聖騎士の盾

かすがみずほ@3/25理想の結婚単行本

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流浪の騎士

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「ここはもう良い。来て貰いたい所があるのだ。さあ、早くこちらへ」
 そう呼びかけられレオンは戸惑った。
「だが、敵がまだ――」
「そんなことよりも早く」
 急かされ、有無を言わさず先を行く神父についてゆく。
 密集した家屋の間の人気のない狭い通路を共に急いで歩いていると、ジーモンは息を切らしながら話し始めた。
「この町はもうすぐ白旗を上げる。町の有力者達の評議会で、今しがたそう決まったのだ」
「白旗を……!? 降伏勧告すら無しで攻めてきた相手に……!?」
 レオンは驚き反論した。
「戦場のルールが通じない相手に降伏をすれば、この町の人たちがどうなるか分かりません。ましてや相手は、悪魔と通じている――」
 脳裏に、今まで見てきた戦場の悲惨な光景が浮かぶ。
 降伏した城市は、その抵抗が激しければ激しかった程、そのあとで苛烈な制裁を受ける。
 略奪や強姦。
 酷ければ、老人や7歳以下の子供など、わずかな「害にならない者」を除き、町のほぼ全員が殺されることもある。
「分かっている。だがもう決まったのだ。このまま抵抗し続ければ最後の一人まであの化け物達に殺される。それよりは悪魔の使い共に頭を垂れ、命乞いをした方がマシだと……」
 神父の表情は苦渋に満ちている。
 話す内に、二人は小さな民家の前に着いていた。
 古い木組みの家は大分昔から空き家なのか、窓は外れ屋根も半分が落ち、荒れ放題の暗い様相を呈している。
「さあ、中へ」
 神父が袖から錆びた鍵を出して扉を開け、廃墟の暗闇の中へレオンを案内する。
 闇の中で火打ち石を使い、ジーモンが腐り掛けたテーブルの上の古びた燭台に火をともした。
 家具が倒れ、荒れ果てた部屋の中がぼんやりと浮かび上がる。
 壁に掛けられた埃だらけの肖像画の中から、ジーモンに似た禿げ頭の男性がこちらを見下ろしているのが見えた。
「この家は、鍛冶屋だった私の祖父が昔使っていた家でな。この床下に、昔の古い地下道がある。市壁の外まで繋がっているはずだ」
「……!?」
 レオンは酷く驚き、訝しむように相手の顔を見た。
「もし降伏をすれば、この町の中で生き残った男たちは全員殺されるか、殺されないまでも全員が首をそろえて一か所に拘束されることになる。その前に、レオン、お前だけでも逃げるのだ。一人ならば抜け道を通り壁外に出ても目立つことはない」
「……嫌です……!!」
 レオンは即座に首を振った。
「何を言う。お前はもともとこの町の人間でも何でもない。巻き込まれることは無いのだ。それに」
 ジーモンが節くれだった両手を広げ、レオンの包帯を巻いた左手を掴んだ。
「お前には人智をこえた力があるのだろう。――神の恩寵か悪魔の呪いかは、敢えて聞かないが」
 触れられた場所からギクリと身体に動揺が走り、言葉を失った。
「私たちは降伏した後、もしかすればあんな姿の化け物にされてしまうかもしれない。もしも、ああなったとしても……元に戻る為の方法を、レオン、お前が探してくれまいか」
 ジーモンがレオンの左手から手を放し、激しい音を立てて古いテーブルを横倒しにした。
 燭台が倒れ、火が床にこぼれた液状の蝋に燃え移る。
 それを気にすることもなく、ジーモンは炎の明かりを頼りに、テーブルのあった部分の床板を外した。
 下に真っ暗な狭い穴と、そこへ降りてゆくための梯子が見える。
「さあ、火が完全に回る前に早く。――行け、騎士殿。我々の希望になってくれ」
 ここまで言われては、もう四の五の言うことは出来なかった。
 無意識にレオンの瞳から涙がこぼれ、止まらなくなる。
「……どうか、ご無事で」
 そうは言ったが、もう二度と会うことの出来ない予感の方が強かった。
 ――必ず。必ず、あなたの心に報います。
 切に誓い、梯子に足を掛ける。
 下に行けば行くほど暗くなってゆく穴の中に降りるうち、頭の上で床板が完全に塞がれ、視界は真の闇にふさがれた。
 降り立った所から先は狭い一本道が前方に向かって続いている。
 壁にしっかりと手をあて、レオンは一方向へと進んだ。
 長いこと使われていなかった地下道の中で、舞い上がる埃と湿気に息苦しさを感じながら、涙で頬を濡らし、それでも手探りで先へ向かう。
 居場所をまたも失ってしまった。
 だが、それでもまた、生きねばならない。
 暗闇の中で脳裏に浮かぶのは、死んでいったカスパルの顔、それに今別れたばかりのジーモン神父の表情だった。
 やがて道が僅かに上り坂になり、星明かりがわずかに漏れている場所が目に留まり、レオンは剣の柄を使ってその周囲を覆っているレンガを懸命に崩した。
 やっと人一人分通ることの出来るようになった穴を這うようにして出てみれば、そこは東南の市壁の外側で、広い夜空と荒れ野が目の前に広がっていた。
 振り返れば、背後には今出てきたばかりの町があった。壁の内側に幾つもの激しい炎が上がり、空が赤く染まっている。
 剣の腕も、永遠の命も、傷つかない体も、この炎と敵の軍勢の前では余りにも無力だ。
 誰を助けることも出来ない。ただ、どんなに辛い思いをしても、たくさんの仲間の死を見ても、自分だけは死ぬことは出来ないという、絶望的な呪いを抱えているだけ――。
 それでも生きるほかない。自分を救い、そして解き放ってくれたジーモン神父の為にも。
 レオンは涙と土埃で汚れた頬をぬぐい、行く当てもない未来に向かって歩き出した。
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