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聖騎士の盾番外編
悪魔ともう一人の騎士
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エルカーズの南の果て、草も生えぬ荒野に建つ幻の城。
この世と異次元の境目に建ち、人目から隠されているその聖域に、カインは一人、身を隠していた。
俗世に無理矢理引っ張り出されたはいいが、定命の人間達の汚い欲望に利用されるのは真っ平だ。
気に入った人間の、気に入った願いしか聞いてやりたくない。
他の兄弟はどうだか知らないが、彼はそういう主義の神だった。
そして今――彼の寝室の豪奢なベッドの上に、その「気に入った人間」の一人が裸身で眠っている。
短く切りそろえた金髪に、整った繊細な顔立ちと、逞しい体躯の青年。
アレクス。
本名はアレクサンドル・ローラン。
この男はたまたま、遠見の魔法を掛けた銀盤で戦場を写していて見つけた。
カインにとっては人間同士の戦争を見るのは格好の退屈しのぎで、敵も味方もない。
エルカーズの大軍団に対し、小国タルダンの主戦力は、唯一神に忠誠を誓う、童貞ばかりの聖騎士団だ。
圧倒的な戦力差故か、どの男達も若い身空で完璧な死相が見えていた。
彼らの信じる神の、何と残酷な事だろう。
せっかくこの世に生まれたというのに、性の快楽どころか人肌の温かさすら知らないまま無残に死んでいくと思うと、聖騎士達が酷く哀れに思えた。
そして中でも、密かな叶わない恋に悶え苦しみ、一人の男の名前を心で叫び続けていた青年に、カインは特別興味を惹かれた。
――レオン、レオン、レオン・アーベル、お前が愛しい、どうか一度だけ抱きたい。
その悲壮な叫びには、心を動かされずにはいられなかった。
カインがレオン・アーベルという男に姿を変えて彼の天幕に現れた時、彼はただただ、驚いて震えていた。
「この間は、酷いことを言って悪かった。あの時はあんなことを言ったが、――俺も本当は、ずっとお前の事を愛していたんだ……」
そんな風に言ってやると、彼はその美しいスミレ色の瞳からハラハラと涙を零して言った。
「もう、明日死んでもいい……お前がそんな事を言ってくれるなんて、まるで夢のようだ」
人間の歓喜の感情は心地よい。
明日になれば、彼にとってその夜の出来事は夢として認識されるはずだった。
その場に、本物のレオン・アーベルが踏み込むまでは。
カインは結果的に、アレクスの運命を決定的に変えてしまった。
このまま聖騎士団の中に彼を置いていけば、戦場で死ぬよりも苛烈な死が待っている。
それが見えていたから、彼を残して消える訳にはいかなかった。
そして、天幕の中で対峙したレオン・アーベルのあどけない瞳の中にも、ハッキリとした死相が浮かんでいたのを、カインは見てしまった。
敵の奇襲に遭い、多くの兵士を切り殺した後、力尽きて死んでいく。
そして同時に彼の心から、聞き取れない程微かな、切実な声が聞こえた。
小さな子供の声だ。
誰か、誰か、一緒にいてほしい、抱きしめて欲しい、寂しい、寂しい、寂しい……。
いたたまれないような切ない気持ちになって、彼を城に呼んでしまった。
もしも彼らの神が男同士で愛し合うことを寛容に許したならば、アレクスもレオンも互いに深く愛し合い、相互に飢えを満たす恋人同士になっていたかもしれない。
そう思うと、彼ら二人をこの不毛な戦の中で死すべき運命から逃れさせてやりたくなった……。
「ん……」
カインの目の前で、眠っていたアレクスの瞳が開いた。
その虹彩の中にはどうしようもない程強い死の予兆が灯っている。
彼はゆっくりと裸の体を起こしたが、カインの姿を見た途端に酷く怯え出した。
「こ、ここはどこだ……お、お前のその姿は……悪魔か……!?」
「……お前がそう思うならそうだ」
「レオン……レオンと居たはずなのに……ああ、よく思い出せない……俺は昨日何を……」
「……よく聞けよ、アレクス。お前がレオンだと思ったのは、この俺だ……お前の願いを叶えてやろうと思って、今思えば、余計な事をした」
アレクスが両手で頭を抱えた。
徐々に記憶が蘇っているのか、その顔色が蒼白になっていく。
「俺は……俺はレオンに抱かれていたはずなのに……もう一人、レオンが来て……うっ……うわあああああっ……!」
錯乱を始め、ベッドで暴れるアレクスの体を尾で戒めてどうにか抑えつける。
「っ、んな取り乱すな、アレクス、アレクス……!」
「っう……はあっ、あっ……」
やがてカインの腕の中でアレクスが大人しくなり、肩を震わせて泣き始めた。
「昨日のことはみんな……悪魔が見せた幻だったのか……」
絶望に打ちひしがれた声。
「俺はもうおしまいだ……。団にも帰れない……レオンと顔を合わせられない……っ」
呻くように泣き崩れたアレクスをただ強く抱きしめてやりながら、カインは慰めるように語りかけた。
「まだ希望が無い訳じゃねえ。お前は、お前のことを認めてくれない神など捨てて、新しい人生を生きればいい。どうせなら、レオン・アーベルも攫って、二人で生きればいいじゃねえか」
そう言ってやると、アレクスは驚いたように目を見張り、そして寂し気に笑った。
「悪魔というのは、随分優しい事を言うんだな……。今まで生きて来て全く知らなかった……」
聖騎士が見せたその表情を、カインはとても愛しいと思った。
だが、どう言うわけか彼の顔から暗い運命が消えて行かない。
カインは訝しんで、アレクスの瞳からその死の運命を読み取ろうとした。
――迎えにやって来たレオンと再会するアレクスが見える。
アレクスはレオンに会うなり懇願している。
自分はこのままどこにも行くあてがない。騎士団に戻り、火あぶりになるくらいならここでお前の剣で殺してくれと。
そのアレクスを、少しの迷いの後、一刀の元に斬り殺すレオンの血に塗れた姿が見えた。
――だめだ。
カインは運命を読むのを止めた。
レオンという男が、余りにも、余りにも頑な過ぎる。彼にはそもそも友と共に団を離れるという発想が微塵もない。
骨の髄まで、聖騎士団の価値観に染まっているからだ。
その上レオンは人間にしては鬼神のような強さを持っているようで、とても無理矢理攫っていけるような男ではなく、それを何とかかどわかしたとしても、恐らく神への忠誠を盾に永遠に心を閉ざしてしまうだろう。
そしてアレクスは、そのレオンを絶望的に愛しすぎていて、彼と離れて外の世界で生きるという発想が一片もなく、また彼の意思に反してでも行動を起こそうという気持ちが全くない。
二人とも切実に愛に飢えているのは全く同じなのに、パズルのピースが噛み合わない……。
酷く無力さを感じて、カインはアレクスを抱いたまま押し黙ってしまった。
人間の望みや、死の未来を読む力があっても、自分が出来るのはほんの少しの助力だけだ。
そしてそれは時としてなんの意味もなさない。
愛を渇望したまま死すべき運命を負ったこの二人の青年は、やはり死ぬしか無いのだろうか。
最後の手段として、カインはアレクスの耳元に囁いた。
「お前の命を俺に預けてみねえか、アレクス」
アレクスが腕の中でビクンと体を震わせた。
「安心しろ。魂を取る訳じゃない。お前の命の炎を抜き取る、ただそれだけだ。痛くも辛くもない、焼かれたり斬られたりするよりも穏やかに死ねる。だが、お前のその綺麗な気持ちだけは、永遠に俺の中に記憶として残る。レオン・アーベルを愛していたその気持ちだけは、ずっと」
スミレ色の瞳が悲しげに、だが嬉しそうに頷いた。
カインは白い尾を青年の裸の腰に巻き付け、尾の先端に飛び出た針を、その心臓に深く突き刺した。
幼い頃から彼が宝石のように大切にしていた思い出の一つ一つが、カインの心に流れ込んでくる。
気弱なアレクスを何かと庇い、心無い大人や他の子供から守ってくれた幼いレオン。
少年期の、粗末なベッドで眠るあどけない寝顔や、神に一心に祈りを捧げる気高い横顔。
成長し、負け知らずの強さを誇り、戦場で剣を振るう時の猛々しく美しい獣のようなレオン。
幼馴染みだけに時折見せる、優しい笑顔を浮かべたレオン……。
「お前は、レオンの全部に惚れてたんだな……」
腕の中で、殆ど命の炎の消えかけている聖騎士が、微かに微笑んで僅かに頷いた。
「――お前の命でレオンを救えるか、一か八かやってみるか……」
完全に命の消えたアレクスの体を抱きかかえながら、カインはそれでも、彼に話しかけた。
「まあ、まずはあの石頭にショックを食らわせて、どうにかしねえとならねえけどな……」
――運命が、少しずつ変わり始めていた。
【end】
この世と異次元の境目に建ち、人目から隠されているその聖域に、カインは一人、身を隠していた。
俗世に無理矢理引っ張り出されたはいいが、定命の人間達の汚い欲望に利用されるのは真っ平だ。
気に入った人間の、気に入った願いしか聞いてやりたくない。
他の兄弟はどうだか知らないが、彼はそういう主義の神だった。
そして今――彼の寝室の豪奢なベッドの上に、その「気に入った人間」の一人が裸身で眠っている。
短く切りそろえた金髪に、整った繊細な顔立ちと、逞しい体躯の青年。
アレクス。
本名はアレクサンドル・ローラン。
この男はたまたま、遠見の魔法を掛けた銀盤で戦場を写していて見つけた。
カインにとっては人間同士の戦争を見るのは格好の退屈しのぎで、敵も味方もない。
エルカーズの大軍団に対し、小国タルダンの主戦力は、唯一神に忠誠を誓う、童貞ばかりの聖騎士団だ。
圧倒的な戦力差故か、どの男達も若い身空で完璧な死相が見えていた。
彼らの信じる神の、何と残酷な事だろう。
せっかくこの世に生まれたというのに、性の快楽どころか人肌の温かさすら知らないまま無残に死んでいくと思うと、聖騎士達が酷く哀れに思えた。
そして中でも、密かな叶わない恋に悶え苦しみ、一人の男の名前を心で叫び続けていた青年に、カインは特別興味を惹かれた。
――レオン、レオン、レオン・アーベル、お前が愛しい、どうか一度だけ抱きたい。
その悲壮な叫びには、心を動かされずにはいられなかった。
カインがレオン・アーベルという男に姿を変えて彼の天幕に現れた時、彼はただただ、驚いて震えていた。
「この間は、酷いことを言って悪かった。あの時はあんなことを言ったが、――俺も本当は、ずっとお前の事を愛していたんだ……」
そんな風に言ってやると、彼はその美しいスミレ色の瞳からハラハラと涙を零して言った。
「もう、明日死んでもいい……お前がそんな事を言ってくれるなんて、まるで夢のようだ」
人間の歓喜の感情は心地よい。
明日になれば、彼にとってその夜の出来事は夢として認識されるはずだった。
その場に、本物のレオン・アーベルが踏み込むまでは。
カインは結果的に、アレクスの運命を決定的に変えてしまった。
このまま聖騎士団の中に彼を置いていけば、戦場で死ぬよりも苛烈な死が待っている。
それが見えていたから、彼を残して消える訳にはいかなかった。
そして、天幕の中で対峙したレオン・アーベルのあどけない瞳の中にも、ハッキリとした死相が浮かんでいたのを、カインは見てしまった。
敵の奇襲に遭い、多くの兵士を切り殺した後、力尽きて死んでいく。
そして同時に彼の心から、聞き取れない程微かな、切実な声が聞こえた。
小さな子供の声だ。
誰か、誰か、一緒にいてほしい、抱きしめて欲しい、寂しい、寂しい、寂しい……。
いたたまれないような切ない気持ちになって、彼を城に呼んでしまった。
もしも彼らの神が男同士で愛し合うことを寛容に許したならば、アレクスもレオンも互いに深く愛し合い、相互に飢えを満たす恋人同士になっていたかもしれない。
そう思うと、彼ら二人をこの不毛な戦の中で死すべき運命から逃れさせてやりたくなった……。
「ん……」
カインの目の前で、眠っていたアレクスの瞳が開いた。
その虹彩の中にはどうしようもない程強い死の予兆が灯っている。
彼はゆっくりと裸の体を起こしたが、カインの姿を見た途端に酷く怯え出した。
「こ、ここはどこだ……お、お前のその姿は……悪魔か……!?」
「……お前がそう思うならそうだ」
「レオン……レオンと居たはずなのに……ああ、よく思い出せない……俺は昨日何を……」
「……よく聞けよ、アレクス。お前がレオンだと思ったのは、この俺だ……お前の願いを叶えてやろうと思って、今思えば、余計な事をした」
アレクスが両手で頭を抱えた。
徐々に記憶が蘇っているのか、その顔色が蒼白になっていく。
「俺は……俺はレオンに抱かれていたはずなのに……もう一人、レオンが来て……うっ……うわあああああっ……!」
錯乱を始め、ベッドで暴れるアレクスの体を尾で戒めてどうにか抑えつける。
「っ、んな取り乱すな、アレクス、アレクス……!」
「っう……はあっ、あっ……」
やがてカインの腕の中でアレクスが大人しくなり、肩を震わせて泣き始めた。
「昨日のことはみんな……悪魔が見せた幻だったのか……」
絶望に打ちひしがれた声。
「俺はもうおしまいだ……。団にも帰れない……レオンと顔を合わせられない……っ」
呻くように泣き崩れたアレクスをただ強く抱きしめてやりながら、カインは慰めるように語りかけた。
「まだ希望が無い訳じゃねえ。お前は、お前のことを認めてくれない神など捨てて、新しい人生を生きればいい。どうせなら、レオン・アーベルも攫って、二人で生きればいいじゃねえか」
そう言ってやると、アレクスは驚いたように目を見張り、そして寂し気に笑った。
「悪魔というのは、随分優しい事を言うんだな……。今まで生きて来て全く知らなかった……」
聖騎士が見せたその表情を、カインはとても愛しいと思った。
だが、どう言うわけか彼の顔から暗い運命が消えて行かない。
カインは訝しんで、アレクスの瞳からその死の運命を読み取ろうとした。
――迎えにやって来たレオンと再会するアレクスが見える。
アレクスはレオンに会うなり懇願している。
自分はこのままどこにも行くあてがない。騎士団に戻り、火あぶりになるくらいならここでお前の剣で殺してくれと。
そのアレクスを、少しの迷いの後、一刀の元に斬り殺すレオンの血に塗れた姿が見えた。
――だめだ。
カインは運命を読むのを止めた。
レオンという男が、余りにも、余りにも頑な過ぎる。彼にはそもそも友と共に団を離れるという発想が微塵もない。
骨の髄まで、聖騎士団の価値観に染まっているからだ。
その上レオンは人間にしては鬼神のような強さを持っているようで、とても無理矢理攫っていけるような男ではなく、それを何とかかどわかしたとしても、恐らく神への忠誠を盾に永遠に心を閉ざしてしまうだろう。
そしてアレクスは、そのレオンを絶望的に愛しすぎていて、彼と離れて外の世界で生きるという発想が一片もなく、また彼の意思に反してでも行動を起こそうという気持ちが全くない。
二人とも切実に愛に飢えているのは全く同じなのに、パズルのピースが噛み合わない……。
酷く無力さを感じて、カインはアレクスを抱いたまま押し黙ってしまった。
人間の望みや、死の未来を読む力があっても、自分が出来るのはほんの少しの助力だけだ。
そしてそれは時としてなんの意味もなさない。
愛を渇望したまま死すべき運命を負ったこの二人の青年は、やはり死ぬしか無いのだろうか。
最後の手段として、カインはアレクスの耳元に囁いた。
「お前の命を俺に預けてみねえか、アレクス」
アレクスが腕の中でビクンと体を震わせた。
「安心しろ。魂を取る訳じゃない。お前の命の炎を抜き取る、ただそれだけだ。痛くも辛くもない、焼かれたり斬られたりするよりも穏やかに死ねる。だが、お前のその綺麗な気持ちだけは、永遠に俺の中に記憶として残る。レオン・アーベルを愛していたその気持ちだけは、ずっと」
スミレ色の瞳が悲しげに、だが嬉しそうに頷いた。
カインは白い尾を青年の裸の腰に巻き付け、尾の先端に飛び出た針を、その心臓に深く突き刺した。
幼い頃から彼が宝石のように大切にしていた思い出の一つ一つが、カインの心に流れ込んでくる。
気弱なアレクスを何かと庇い、心無い大人や他の子供から守ってくれた幼いレオン。
少年期の、粗末なベッドで眠るあどけない寝顔や、神に一心に祈りを捧げる気高い横顔。
成長し、負け知らずの強さを誇り、戦場で剣を振るう時の猛々しく美しい獣のようなレオン。
幼馴染みだけに時折見せる、優しい笑顔を浮かべたレオン……。
「お前は、レオンの全部に惚れてたんだな……」
腕の中で、殆ど命の炎の消えかけている聖騎士が、微かに微笑んで僅かに頷いた。
「――お前の命でレオンを救えるか、一か八かやってみるか……」
完全に命の消えたアレクスの体を抱きかかえながら、カインはそれでも、彼に話しかけた。
「まあ、まずはあの石頭にショックを食らわせて、どうにかしねえとならねえけどな……」
――運命が、少しずつ変わり始めていた。
【end】
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