聖騎士の盾

かすがみずほ@3/25理想の結婚単行本

文字の大きさ
57 / 113
【続編・神々の祭日】騎士の目覚め

1

しおりを挟む
 レオンの朝は大抵、二人用の大きな木桶風呂に溜める大量の湯を準備することから始まる。
 人間がすっぽり入れるような大鍋で川の水を汲みに行き、地下の炊事場の竃の火でそれを沸かすのだ。
 男二人でも持てるか持てないかという重さの大鍋を、分厚いミトンをはめた両手で持ち上げ、レオンは一人で軽々と運んでゆく。
 今住んでいるこの屋敷は、二人暮らしには随分広く、木の板を組んで作られた素朴な風呂は、床を濡らしても大丈夫なよう、二階の大理石のタイルの敷いてある部屋に置いてある。
 立派な石竈のある厨房からその部屋までは、螺旋階段を上っていかねばならなかった。
 湯気を上げる鍋を持って地下から二階へと上がるうちに、首筋が見える程短く刈った艶のある黒髪が汗ばみ、白い肌が上気して微かなピンク色になっていく。
 だが「風呂に入る」という目的の為には、そんな労は問題にならない。
 階段を上り切り、廊下を横切り、体を使って風呂場の扉を押し開け、注意深く大量の湯を大きな木桶に流し込んでいく。
「……お前、早朝からまたそれかよ」
 半ば呆れたような、艶のある声が同じ部屋に上がった。
 気付けば左隣の寝室と繋がる扉が開いていて、そこに全裸の異形の男が立っている。
 美しい絹糸のような銀髪を腰まで垂らし、頭には山羊のような巻角。肌の色はどこもかしこも人間味のない青白さだが、その肉体は彫刻のように鍛え上げられた筋肉で覆われている。
 彼の容貌は美女と見紛うような妖艶な美しさで、男らしい肉体とのアンバランスさが際立つが、それよりも奇妙なのは、彼の腰部から垂れている白い尾だ。
 同居人のそんな姿に驚きもせず、レオンは当然のように言い返した。
「――だって、念願の風呂をやっと手に入れたんだぞ。毎日入りたいじゃないか」
 つい最近まで荒廃していたこのエルカーズという国では、自前の風呂を持つ家庭はまだ珍しい。
 この地方では比較的栄えているこのフレイの町でも、風呂といえば、宿屋兼居酒屋や、雑貨屋の主人が時々臨時で開業する風呂屋を利用するか、あとは町の両側に走っている冷たい川の水で我慢するかの二択がもっぱらだ。
 そんな中、レオンはついこの間、自分で木を切り出してこの素朴な風呂を作り、湯さえ沸かせばいつでも風呂に入る自由を手に入れたのだった。
「でもすげぇ手間だろ。男の癖にやけに綺麗好きだとは思ってたけどお前、そこまで風呂が好きだったのかよ……」
 美貌の男がペタペタと素足で風呂に近付いて来る。その白い尾が湯加減を確かめるように一瞬木桶の中の湯に触れ、すぐに飛び出した。
「あちぃ!!」
「カイン!! 大丈夫か!?」
 カラになった大鍋を持ちあげ、レオンはまだ寝ぼけているらしい相手に注意を促した。
「水で薄めてないんだから、当たり前だろう……! 触らない方がいい」
「うるせぇな、うっかり入っちまったんだよ……」
 ふてくされたようにルビー色の瞳が睨みつけてくる。
「神を名乗る割には、時々結構なドジを踏むんだな……待っててくれ、今水を取ってくるから」
 レオンはクスクス笑い、鍋を持ったまま踵を返した。
 階段を下りながら、さっきの同居人の言動を思い出して唇に笑みが浮かぶ。
 異形の男は、真の名を『騎士の神』アビゴール・カインと言い、少し前からレオンと共に暮らしている、同性の恋人だった。
 二人は世間的には、エルカーズ国の名門貴族オスカー・フォン・タールベルクと、その傍仕えとして働く唯一の騎士、という事になっている。
 本物の貴族オスカーは既に死亡しており、二人は誰も住むもののいないこのタールベルク家の先祖代々の屋敷に住み着いた。
 町の人々に慕われている青年貴族オスカーの正体が実はこの国の古い神の一人であることも、二人の関係も、ごく一部の人間を除いて知るものはいない。
 カインは昼の間は「オスカー」としての人間の姿を取っていて、真の姿を現すのは、夜と、この早朝のひと時だけだ。
(今日は、まだカインのままなんだな……)
 先ほど見た恋人の姿を思い浮かべながら、レオンは厨房で最後の一杯の水を樽から大鍋に移し替え、階段を上り始めた。
 二階にたどり着いて風呂場の扉を開けると、木桶風呂の向こう側の縁に座ったカインが両腕で長く美しい髪を持ち上げ、細い革ひもでそれを一本にくくっている。
 こちらに背を向け、慣れた仕草で髪を結うその優美な姿に目を奪われ、一瞬足が止まった。
 今が、窓から明るい日光が入っている時に彼を見ることが出来る唯一の時間だ。
 その逞しい背中に自分の立てた爪の痕が艶めかしく残っている事に気付き、顔が熱くなる。
 自分の胸を見下ろすと、だらしなく開いたリンネルのシャツの間に、無数の口づけの痕が残っていた。
 毎晩のように愛し合っているせいか、どれがいつ付いたものなのかもよく思い出せない。
(しまった……早朝、川に水を汲みにいった時、この格好で出てしまった……)
 今更後悔しながら、黙って水を少しずつ木桶風呂に流し込んでいく。
 丁度いい湯加減になる頃を見計らい、傍に立てかけてあった木板で湯を揉むようにかき混ぜた。
 まだ背を向けて待っているカインの後ろでシャツを脱ぎ落し、床に乗馬用のズボンを脱ぎ捨てる。
 中に下着は着ていない。昨日ベッドの傍に脱ぎ捨てたままだった。
 どうせ脱ぐからと、それよりも先に風呂の支度を優先させた事を思い出した。
「レオン……もしかしてお前、そのいい加減な格好で裏の川まで出て水を汲んだのか……」
 カインの背中から上がる声がとげとげしい。
 こちらを見ていないのに、自分が下着を付けていなかったことまでお見通しのようだ。
「誰にも会ってないぞ」
 言い訳するように言った途端、相手の白い尾がしゅっと目の前でしなり、木桶風呂の枠を掴んでいた左手首に巻き付いてきた。
「そういう問題か……!」
 怒りに満ちた表情で恋人が振り返る。
 レオンは肩を竦め、詰問を無視した。
 楕円形の木桶の端を跨ぎ、温かい湯の中にさっさと体を滑り込ませる。
 ――こんな所で痴話げんかをしていたら、せっかく温めた湯が台無しだ。
「ああ、いい湯加減だ。お前も早く入れ、冷める」
 浴槽の片側に背をつけて寄りかかり、手首に纏わりつく尾を指で掴み直すようにして引く。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

お前らの目は節穴か?BLゲーム主人公の従者になりました!

MEIKO
BL
 本編完結しています。お直し中。第12回BL大賞奨励賞いただきました。  僕、エリオット・アノーは伯爵家嫡男の身分を隠して公爵家令息のジュリアス・エドモアの従者をしている。事の発端は十歳の時…家族から虐げられていた僕は、我慢の限界で田舎の領地から家を出て来た。もう二度と戻る事はないと己の身分を捨て、心機一転王都へやって来たものの、現実は厳しく死にかける僕。薄汚い格好でフラフラと彷徨っている所を救ってくれたのが完璧貴公子ジュリアスだ。だけど初めて会った時、不思議な感覚を覚える。えっ、このジュリアスって人…会ったことなかったっけ?その瞬間突然閃く!  「ここって…もしかして、BLゲームの世界じゃない?おまけに僕の最愛の推し〜ジュリアス様!」  知らぬ間にBLゲームの中の名も無き登場人物に転生してしまっていた僕は、命の恩人である坊ちゃまを幸せにしようと奔走する。そして大好きなゲームのイベントも近くで楽しんじゃうもんね〜ワックワク!  だけど何で…全然シナリオ通りじゃないんですけど。坊ちゃまってば、僕のこと大好き過ぎない?  ※貴族的表現を使っていますが、別の世界です。ですのでそれにのっとっていない事がありますがご了承下さい。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます! 婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

黒に染まる

曙なつき
BL
“ライシャ事変”に巻き込まれ、命を落としたとされる美貌の前神官長のルーディス。 その親友の騎士団長ヴェルディは、彼の死後、長い間その死に囚われていた。 事変から一年後、神殿前に、一人の赤子が捨てられていた。 不吉な黒髪に黒い瞳の少年は、ルースと名付けられ、見習い神官として育てられることになった。 ※疫病が流行るシーンがあります。時節柄、トラウマがある方はご注意ください。

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

処理中です...