聖騎士の盾

かすがみずほ

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【続編・神々の祭日】騎士と甘橙(オレンジ)

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「二階の1番奥の部屋よ。ドアは壊さないでね」
 上を指差され、レオンは娼婦の腕をもぎ離して1人で二階へ上がった。
 濃くなる隠微な匂いにむせそうになりながら、意を決して片手で扉を開ける。
 カーテンの閉じた薄暗い部屋に踏み込んだ途端に女のかん高い嬌声が溢れ出し、下半身だけを脱いだ間抜けな格好の兵士2人の生っ白い尻と目があった。
 ベッドの上で仰向けに寝そべった女に対し、一人は口淫をさせ、もう1人は股ぐらに顔を突っ込んでいる。
「……」
 頭まで血が上り、一瞬戸を閉めてしまいたい思いにかられたがどうにか踏みとどまった。
「お前達」
 努めて冷静に声を掛けると、がらの悪い兵士達がニヤニヤ笑いながらこちらを見る。
「なんだ、もう来ちまったのか。美人の総長様は」
「真っ赤な顔しちゃって、童貞って噂は本当かあ?」
 刈り上げた金髪と、鳥の巣のように跳ねた茶の巻き毛の男。
 1人の娼婦を挟んで辱めている彼らは、脱走常習犯の中でも下っ端の2人だ。
 問題は青い軍服のままベッド脇のカウチソファに寝そべり、分厚い本を詰まらなそうに読んでいるもう1人の若い男だった。
 レオンよりも体格が良く、神殿兵の青い軍服が窮屈に見える。目を完全に隠す程伸び放題に伸びた緩くウエーブの掛かった長い漆黒の髪――そしてはっきりと分かる程浅黒い肌は、明らかに純粋なエルカーズ人のそれではない。
 出身地から送られて来た身上書によれば、母親が南の大国バルドルの出だという事だ。
 元は黒豹の魔物で、他の魔物達を手下にし、近隣の村々を脅かしていた存在だったらしい。人間に戻ってからもそのまま山賊生活を続け、農村を荒らして食料を略奪していた所を捕らえられ北部に送られて来たという、ほぼ犯罪者だ。
 剣も格闘も抜群のセンスがあり騎士候補としてオスカーに選ばれ神殿兵になったが、そのふるまいは野生の獣のようで、レオンの言う事を聞いた試しがない。
「その本を置け、ヴィクトル・シェンク!」
 厳しい口調で告げると、彼はようやく本ではなくこちらに顔を向けた。――とはいえ、その目がどこを見ているのかはさっぱり分からない。
「取り巻きを連れて訓練に戻れ。今なら地下牢での謹慎も1日で許す」
 はらわたが煮えそうなのをどうにか抑えながら伝えると、彼は本をベッドの上に放り、獣のようなしなやかな動きでソファを立った。
「……俺に命令するな……異国人」
 男が威圧感を放ちながら目の前まで迫り、低く掠れた声で言い放つ。
「俺はお前を指揮官だと認めた覚えはない……それでも俺たちを連れ戻すと言うなら、剣を抜け」
 明らかな挑発にレオンは息を飲んだ。
 創設されたばかりの神殿騎士団がこんな場所で刃傷沙汰を起こすわけにはいかない。
 レオンが剣を抜けないことを知っていて彼は言っているのだ。
「お前相手に抜いてやるような剣は持ち合わせていない」
 答えると、ヴィクトルが馬鹿にしたようにフッと唇の端を片方だけ上げた。
 下っ端2人を相手にしていた娼婦が不穏な気配を感じたのか、シーツを胸に早々に廊下に逃げ出して行く。2人の神殿兵は興が削がれて舌打ちし、ズボンの腰を持ち上げながらレオンに毒づいて来た。
「どんなに剣のお強い騎士様も、こんな場所じゃカタナシだなぁ?」
「女の鳴かせかたを教えてやろうか? 童貞ちゃん」
 安い挑発にも平静を保とうとするが、レオンの肌が赤く染まっていく。
 ヴィクトルが楽しそうに彼らを振り返りつつ、いかにも意地悪く口を開いた。
「さあ総長殿、どうする。ご主人様の伯爵様に泣きついて俺たちを処刑するか?」
「俺たちみたいなのを集めて騎士団ごっこをさせるなんざ、あのオスカーとかいう貴族もとんだ間抜けだ」
 茶髪の男が下卑た笑いを上げ、一歩前へ出てレオンに近付いてきた。
「俺たちゃまだやることがあるんだよ。さっさと帰ってくださいませんかねえ、総長殿。それともアンタが女の代わりをするか?」
「ひゃははっ、そりゃ傑作……がフッ」
 高笑いし始めた刈り上げの男を、レオンは思い切り拳で殴り飛ばしていた。
 金髪頭が吹っ飛び、後頭部をベッドの柱にしたたかに打ち付けて床に崩れ落ちる。
「お前らに抜く剣は無いが、今日という今日は我慢ならん」
「よくもやりやがったなてめェ!!」
 茶色の巻き毛の男が殴り掛かってくる。
 レオンはそれも僅かな仕草だけで造作無く避け、勢い余った男の鳩尾に膝蹴りを食らわせて昏倒させた。
「うぐぅ……」
 目の前で青い軍服の体が床に落ちる。
「俺の腕は二本しかない。お前は自分の足で帰って欲しいものだが、嫌というなら」
 ヘイゼルの瞳に怒りを燃やしてヴィクトルを睨み付ける。
 相手はしばらく黙っていたが、無言で殴り掛かって来た。その動きは先の2人よりも格段に素早いが、荒削りだ。
 背後に宙返りして避け、着地と同時に足払いを食らわせる。
 ヴィクトルは飛び上がってそれを阻止すると、中腰のレオンに回し蹴りを食らわせてきた。
 上半身を極限まで反らしてそれを避け、体の真上を空振りした脚を両手で掴む。
「!?」
 動揺した相手の足首を思い切り捻ると、その体が木製の床に激しい音を立てて倒れた。
「クソ、お前――本当に人間かっ!?」
 ヴィクトルが素早く上体を起こし、ベッドの上の本をレオンの顔に投げつける。
 重量のあるそれを片腕で防いだ隙に掴んでいた脛で胴を蹴りつけられ、脚を制していた手を離してしまった。
 痛みに耐えながら前傾して踏み込み、立ち上がり掛けでまだ体勢を整えている最中の相手に拳を連続で叩き込む。
「うっ、ぐっ!」
 最初は避けられたが後の二発がまともに入り、床にのびている茶髪の上にヴィクトルが仰向けに倒れこんだ。
 ベッドの上に掛かったその右脚を素早く掴みつつ相手の股間に片脚を入れ、体を回転させながら持った脚をくの字に曲げて絡めとるように巻き込む。
 最後に自分の脚で相手の左脚をも巻き込んで掬いながら後ろに倒れ、ヴィクトルの股関節を4の字にがっちりと固めた。
「ぐっ……うっ……っ!」
 もう相手の身動き出来る余地は一切ない。溜まりに溜まった鬱憤を発散するように骨の折れるギリギリまで力を込めてやると、悔し紛れの呻きが上がる。
「剣だけのっ、甘ちゃんかと……っ、可愛い顔して油断させやがって、クソ、この卑怯者っ……っ!」
 上体を起こしながら歯を剥いて呻く彼を見ると、いつも顔を覆い隠している髪が後頭部の方に流れ、その顔立ちがあらわになっていた。
 思っていたよりも若い。
 切れ長の吊り目で左の目尻に黒子があり、女好きのしそうな色気のある顔をしている。
「誰が卑怯だ……お前の方こそ可愛い顔をしているじゃないか。髪を切ったらどうだ」
 久々の格闘に興奮しているせいか、自然に微笑みが浮かぶ。
「……っ、くっそ、離せ……っ!」
「離してください、だろう。ちゃんと目上の者には敬語を使え、軍規が乱れる」
 いつになく饒舌になって相手を挑発すると、ヴィクトルは琥珀色の瞳を見開いて怒り狂った。
「畜生っ……! 異国人の犬になるくらいなら、いっそこのまま死ぬっ……」
「馬鹿、脚が折れたくらいで死ねるか」
 会話しているうちに、開きっぱなしの扉の向こうで、バタバタと複数人が階段を上がってくる音がした。 
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