主神の祝福

かすがみずほ

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夢奏でる夜の庭

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 もうじき、あの夜から一年が経つ。
 あの日――王都で初の春祭りの日に、ヴィクトルの人生を一変させた謎の生き物が異世界からやってきてからだ。
 その名はバアル・アミュール。
 このエルカーズの国の最高神であり、またの名を――。


「あみゅ!」
 闇に包まれた王城の廊下に、子供のような甲高い声が響く。
「シッ。お前、何でついてきたんだよ……」
 精悍な褐色肌の神殿騎士、ヴィクトルはため息混じりにぼやいた。
 誰にも見られないよう、長身をすっぽりと覆う黒いフード付きのマントを被ってきたのに、これでは台無しだ。
 こんな珍妙な生き物を飼っているのは、このエルカーズの国広しと言えども自分くらいなのだから。
「あみゅう?」
 肩に乗っているタコ……のような白い軟体生物が、スルスルと触手を伸ばして高い頬を撫でてくる。
 こちらの機嫌が悪いのが自分のせいだとは、毛ほども思っていないらしい。
 ヴィクトルは琥珀色の瞳を伏せ、黙って軍靴の足を速めた。
 ……本当は、家でアミュが眠っているうちに王城(ここ)に来るはずだった。
 こんな真夜中にヴィクトルを呼び出したのは、この国を実質的に統べているオスカー・フォン・タールベルク伯爵だ。
 自分が仕えているのは総長レオンと神殿であり、伯爵に顎で使われるのは正直納得がいかないが、仕方がない。
(――何せ相手の正体が神ってやつだからな)
 投げやりな動作で樫の木の美しい扉を叩いた。
「言われた通り来たぜ、伯爵殿」
「入れ」
 短く返答があり、金属のノブを回して重い戸を押し開ける。
 ここに来るのは久々だが、部屋の中は前回見た時にも増して混沌としていた。
 足の踏み場もなく天井高くまで積み上げられた本と、丸められた書簡が突っ込まれたいくつもの箱、壁に貼り付けられたいくつもの古い地図。
 壁に備えられたランプには煌々と火がともり、奥の大窓のそばに置かれた執務机には書類の束が塔を作っている。
 その間で、蜜色の髪をした男が書き物をしていた。
 白い軍服に美貌の映える彼は、ヴィクトルが入ってきてもまだ難しい顔をして書類に見入っている。
「相変わらずすげえ部屋だな。あんたいつ寝てんだよ」
 羽根ペンが止まり、明るい緑の瞳がこちらを向いて穏やかに微笑んだ。
「さあな、忘れてしまった……。私のことについては心配はいらない」
 その口ぶりからして恐らく、3日はこの部屋にこもりきりなのだろう。
 この男のことは個人的に好きではないが、仕事に対する姿勢だけは評価せざるを得ない――と思う。
「おや――何故父上を連れてきた」
 肩に乗った生物を見咎めるように、伯爵の凛々しい眉が片方上がった。
「……勝手について来ちまったんだよ」
 ヴィクトルが言い訳すると、
「みゅっ」
 なんでついて来たら駄目なんだ、とばかりアミュが口を尖らせた。
「まあ、いいか。――どうにかなるだろう」
 あっさりと言い、オスカーが羽根ペンを机上のインク壺にさして指を組む。
「さて、本題だ。――お前にしばらく、休暇を与えることにした」
「は!?」
 休暇。
 この王都ヴァーリにやって来てから一度たりとも縁のない言葉だ。
 しかもこの、人使いの荒すぎることで定評があるオスカーの口からそんな言葉が出ること自体が恐ろしい。
 嫌な予感をひしひしと感じながら、ヴィクトルは聞き返した。
「休暇、だと……? 正気か、伯爵殿」
「口が悪いぞ、ヴィクトル。お前、レオンには敬語で話すのに」
「俺の上官は総長だからな。――一体アンタ、なにを企んでる?」
「企んでいるとはまた随分な言われようだ……だがそうだな、お前相手に回りくどい言い方は無駄なようだから単刀直入に言おう。――半年前のバルドルの刺客……覚えているか?」
「あぁ……俺の一族を名乗ってた女と、その子分だろ。俺が尋問した時は何も吐かなかったし、あの後さっさと本国に返したよな」
「確かに。――実はあの二人のうち男の方は、あのとき私が金で買収し、今ではこちら側のスパイとなっている」
「なんだと……」
 そんなことは初耳だった。
 自分が尋問した時、相手は口を聞こうともしなかったのに。
 伯爵の人心掌握術に舌を巻きながらも、ふと思い出した。
(そういや、アミュもそうだが――こいつらは人間の強い望みが読めるんだよな……)
 相手の強く望む事が分かれば、人の心を操るのも簡単だ。
(それなら、俺に尋問なんて無駄な仕事させんじゃねえよ)
 心の中で悪態をついたが、そういう愚痴っぽい望みはさっぱり伝わらないらしい。
 オスカーは目の前で淡々と言葉を続けた。
「三日ほど前、バルドルにいるその男から、気になる情報が送られてきた。エルカーズ南部の有力貴族ボルツ公がバルドルと手を結び、この国全体を手中に収めようとしているとな」
「ボルツ……? 早々に王権争いに敗れて、最近は大人しくしてたんじゃないか?」
「それは先代のボルツ公の話だ。あの太ったロリコンのハゲ頭は引退して、今は若い息子が跡を継いでいる。――その男はどうやら並々ならぬ野心の持ち主のようだ。――南部はお前の故郷でもあるだろう? 土地勘もあるだろうと思ってな」
「ほーお。で、俺に、そいつの身辺を探って来いと?」
「――流石は我が父上の伴侶。話が早いな」
「伴侶じゃねえ! ……お前のどうしようもないオヤジを養ってる飼い主だ、飼い主!」
 脊髄反射的に否定したヴィクトルの肩の上で、アミュが誇らしげに鳴いた。
「みゅう」
「お前も肯定してるんじゃねぇ」
 タコに拳骨を食らわせてから、オスカーの方を向き直る。
「あのな、俺が居なくなったら誰がこの王都の犯罪者を捕まえんだよ。総長は何だかんだでお人好しだし、他の神殿騎士もボヤボヤした奴らばっかりだぞ」
「お前の腰巾着二人がせいぜい働いてくれるだろう。有能なお前にしか頼めないのだ、ヴィクトル。レオンもそう言っている」
 総長の名前を出されると、どうにも言い返せない。
 ヴィクトルが唯一彼に対してだけは強く出られないことをこの男はよく知っているのだ。
「仕方ねぇな……その代わり出張費はたっぷり貰うぞ。この穀潰しに金がかかって仕方ねぇんだ」
 触手で顔をゴシゴシ擦っているアミュを指差す。
「分かった。普段の賃金と同じだけ払おう」
「いや、おまっ、何言ってんのか意味がわからねぇんだが」
「お前は名目上、この王都ではあくまで休暇中ということになる。その上、神殿騎士団は常にギリギリの収入で運営しているのだから、仕方ないだろう。レオンだって無給なのにあのように真剣に役目をこなしているぞ」
「……アンタ、自分の恋人をタダ働きさせてたのかよ……」
「神への奉仕活動と言え。――さあ、余計なことを話している暇はない。明日からお前は、私が与える連れと共に、流れ者の楽師一行のフリをして南部の都市ラーンへ行く。ちょうど、こちらで去年やったのと同じような春祭りをあちらの都でもやるから、それに紛れ込むのだ」
「楽師一行……?」
「本当はバルドル人の楽師と踊り手が招かれて来るはずの所を、お前達がすり替わる。――なかなか良い作戦だろう?」
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