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第一部・一章
第一章エピローグ ちょっとそこら辺でのこと
しおりを挟む「泣いちゃって眠れないかと思って送り出したけど、死んじゃって二度と目覚めなくなってたかもしれなかったか」
神父ディミアンは湯で暖まった赤ら顔を上に向けて、わっはっはっと笑った。
アレクセイは思わずため息をついた。
「あ、神父さん、あの陰謀論のおかげで助かったよ」
「ん? 陰謀論ってなんだ?」
「ほら、大陸の半分を焼いた大きな戦争の<支配者>って……」
<支配者>キズビトはまさに支配者としての力をもっていた。かの戦争ではキズビトに支配された王族や聖人までもいたが、権力者達は隠蔽してきたのだ。
サーシャの力を見て、それが真実だと分かった。
普段、しょうもないことばかり言っている神父だが、意外に世の真理を見ているのかもしれない。
「あー、あれかぁ。なに、お前あんな話信じてたの。バカだなぁ」
「お、おおぅ……。まあ、それでいいや……」
世の真理とは見えなくても当てられるものらしい。
そのプロトヤドニィ山での激闘から二日。
王都に戻ってきたアレクセイは神父と共に公衆浴場へとやってきていた。この国では主に入浴は朝が普通なので、今は客は少ない。
山であったことを話したところ、真っ先に出たのが先ほどの、泣いちゃって眠れないかとうんぬんの発言だ。まったく笑いごとではない。本当に二度と目覚めなくなりかねなかったのだから。
とはいえ、いい湯だ。アレクセイもまたふぅと小さく息をもらす。
「それにしても、こうして公衆浴場を復活させたのは、現国王の最大の功績だなぁ」
神父は湯加減にご満悦だが、これまた二重に不敬だ。
現国王はもっと功績があるし、そもそも公衆浴場の閉鎖は教会の指示だったのだから。
アレクセイの世代は知らないのだが、公衆浴場は男女の売春の温床、さらには同性愛者の発展場となり、教会は相当に煙たがっていた。そこで大陸西部地方では大規模な疫病が流行った際に、疫病の感染経路は裸で湯に浸かる公衆浴場だとして、全面的に禁止にしたのだった。
そんな西の教会派閥の風習がこの地方にも影響を及ぼし、教会に協力的だった前王の時代にこの国でも禁止された。
が、今の国王はこうして復活させたところを見ると、どうやら前王とは違う立場のようだ。むしろ市井の民から見ても、現国王と教会はあまり折り合いがよくないと感じる。
神父は湯をすくい、顔にかけ、ふぅと長いため息をこぼした。そのままアレクセイの方を振り返らず、
「白鉄に入るつもりになったか」
「え、分かるの?」
「ま、その顔を見ればな。何年一緒にいたと思ってるんだ」
アレクセイの年齢=この神父とのつきあいだ。
こちらから報告しなきゃと思っていたのに、まさかこんな簡単に言い当てられてしまうとは。
「でもなぁ、私はやっぱりお前は神父を目指した方がいいと思うんだよ」
「なんで? せっかく騎士団に入れるのに神父の方がいいの?」
危険だから、そんな予想がアレクセイの頭に浮かぶ。
だが、違った。
「お前さ、騎士団に入ったら、もてるようになるんじゃないかって期待あるだろ?」
アレクセイはサッと神父から目をそらした。
確かにそれがないとは言えない。男の子だもん。
「でも、現実は甘くないんだ。それならいっそのこと神職について、俺はもてないわけじゃない、清いままでいなければならないから女に縁がないんだ、とそう自分に言い聞かせながら一生を送る。そんな人生をお前には歩んでもらいたい」
「想像以上に最低な理由だった!」
この人にまともな返答を期待したのがバカだったと、当たり前の事実に立ち返る。
「さて、私は先にあがるよ」
「めずらしい。早くない?」
「ああ。めでたいことがあったら飲みたくなるだろ。ちょっと地下墓地に行ってくる」
「あ、そう」
“飲みたくなる”と“地下墓地”が繋がるのが、この男がこの男である証の一つだ。
教会関係者が最も嫌がる地下墓地の管理人を、王都で神父に就任した時から勤めている。誰かに押しつけられたわけではない。自発的にだ。かと立派なことなどでは決してない。
理由はその立地。
暗く陽が当たらなく、一定の温度が保たれる地下、広い空間、そしてほとんど人がこない。
すなわち最高なのである。
酒の密造に。
アレクセイは呆れながら、出てゆくその初老の背中を見送った。
が、浴室から神父はいなくなって少しして、
「って、めでたいことって……」
やっぱり騎士団の加入のこと?
思い至って、ついにやにやと笑いだしてしまった。でも、風呂で一人でにやにやしていたら、ちょっと変態っぽいと思い直して、そのまま顔の半分を湯の中に隠した。
嬉しさのせいで、ぶくぶくと泡立っていた。
~ ↑ ↑ ↓ ↓ ← → ← → B A ~
だいぶ長風呂をしてしまった。体が熱くなるくらいに温まった。ポイ捨ての炎で焼き殺されそうになった時程ではないけど。
時間をかけて涼んで、井戸水をたくさん飲んでから、公衆浴場を後にした。
と、同時に女性の浴場の方から、エカテリーナが出てきた。湯上りで、うっすらと髪は濡れ、顔が火照っている。
シスターがきていたことも驚きだが、先に入っておきながら、女性と同じタイミングで出てきたとなると、相当の長風呂をしていたようだ。
シスターに「きてたんだ?」と声をかけると、「あら、ずいぶん長風呂だったのね」とやはりそのことを言われて笑ってしまった。
「ライヤ様とサーシャ様も誘ってみたんだけどね」
エカテリーナは語尾を少し残念そうに潜ませた。
あの二人は義肢と模様で周りを驚かせたくないだろうから、公衆浴場にはこないだろう。
アレクセイは今日ライヤとサーシャに送られて、教会まで帰ってきたばかりだ。その時に少しおかしなことがあった。だいたいの場合、おかしいことの原因はこの神父なのだか、今回は珍しくシスターのエカテリーナだった。
突然、サーシャに頭を深々と下げて謝りだし、謝られる心当たりがないサーシャがおろおろとしだしてしまい……。
どうやら、アレクセイとサーシャが教会の前で話していた時、顔を出したシスターが失礼な態度をとったということらしいが。
すると今度は逆にサーシャが「こわがらせてごめんなさ、い」と謝りだし、シスターは更に頭を低くしだし――。
その間をアレクセイがとりなそうとして……。
だいぶ疲れた。ただでさえ疲れていたのに。
そんな時、神父が顔を出し「話は終わり。アレクセイ風呂いくぞ」と無理矢理収拾をつけて連れ出されたのだった。
どうやらその後に、シスターはあの二人と風呂に誘えるくらいに打ち解けたようだ。
自然と二人で歩きだし、教会へと向かう。
聖山でのことはあまり詳しく話すと心配されてしまいそうで、アレクセイは騎士達がかっこよかったという話をたくさんした。
と、ふとシスターが止まった。
少し前に出てしまったアレクセイが「どうしたの?」と振り返った。
「アレクセイ。わたしに報告しなきゃならないことがあるんじゃない?」
シスターが顔を寄せてきた。どうやらアレクセイのこれからについて、ライヤからでも聞いているようだ。
アレクセイは改めて姿勢を正し、シスターを見返した。
「シスター。俺、白鉄騎士団に入るよ。それで、できれば応援してくれるとうれしい」
エカテリーナは改めてアレクセイを見た。
ずっと子供だとばかり思っていたが、あどけなくも男の顔をしていると分かる。
それがうれしかった。
「うん。大変だと思うけど、がんばって。つらかったら帰ってきていいから」
そしてまた日常の話をしながら、二人は歩いて帰路につく。
日はまだ高く、でも、人通りは少ない王都の通り。
これはそんなちょっとそこら辺でのこと。
少年が自分の居場所を見つけたことを、ただ喜ぶ女の姿があった。
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