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第一部・二章
ただそれだけで全てが停止する
しおりを挟むチョンチョンという生首の後を追って、瓦礫の中から人命救助を続けている副団長のエヴゲーニーは、ふと自分が影の中になったことに気づいて、上を見上げた。
何かが落ちてくる。
慌ててエヴゲーニーは一緒にいた冒険者を突き飛ばして、その場から離れた。
ぐしゃりと音を立てて、何かが地面と激突して弾けた。赤くない体液、甲殻類らしい硬そうな破片……。
「リュウガニ、なのか……?」
最悪の予感と共に再び空を見上げた。
龍が上空からこの瓦礫の街に迫ってきている。
『再び龍飛来――』
天空の覇者の目に人間は羽虫のようにしか映っていない。それが集まっているからと言って、特に何かを気にすることもないのだろう。だが、その気まぐれに滑空してきたというだけで、この場にある命がすべて吹き飛ぶのだ。
「オグレマゲ、伏せて!」
龍が一直線に向かっていた先には、アレクセイの姿があった。
間違えられた食人鬼と共に身を屈める。だが、龍が羽ばたいた風を受ければ、そんなことは何の役にも立たないのは分かっている。それでも為す術がないのだ。
自分を覆う影が大きくなってくる。
死――。
頭を抱えて目を瞑った。
その時、
「ん……ッ!」
風の中からそんな小さな小さな声を聞いた気がした。
目を開けて空を見上げると、神鳥から飛びあがったサーシャが龍の横っ面にその拳を叩きつけた瞬間を見た。
龍が空中で止まり、自分に歯向かってくる存在に目を向けた。
数百年前、この地上で戦った龍とキズビトが今こうして相まみえた。
だが、その力の差はあまりにも大きすぎるのが、アレクセイにも見て取れる。
いくらサーシャであっても、このあまりに巨大な龍の前ではおそらく無力だ。
「サーシャ!」
サーシャはその呼びかけにも応えられない。体が落下する。
だが、今はアレクセイを守れたことに満足して、うっすらと微笑んだ。
すぐに神鳥がカバーして、その背に乗せる。
「逃げろ、サーシャ! ダメだ!」
そう叫んでみても、龍が神鳥を目で追っている。逃げることはかなわない。
背を向けた途端に殺されるだろう。
だから、サーシャはあえてその眼前に出た。
龍の口の周りに膨大な量のマナが集まる。その力によって空間に黒く穴があき、ゆらゆらと揺れだす。
おそらく龍の息吹が出されようとしている。
これが地上に降り注げば、待っているのは全滅だけだ。
だが、サーシャの方が早かった。
「コッカトリ、ス」
つぶやきと共に首元の琥珀が一つ光った。そこから首を出したのは雄鶏から生まれる怪鳥、万物を石へと変える化物だ。
その鶏の姿をした化物から、けたたましい鳴き声が響き、龍の鼻先に視線が集まる。
<かたくかたく朽ちることない石に――>。
その視線がもつ<古い言葉>が龍へと届いた。
龍の顔の表面の鱗から色が失せ、輝きのない灰色へと変わり始める。息吹のために集まっていたマナまでもが、砂のように細かく灰色に変わってゆき、空中へと霧散してゆく。
これが理のこちら側では最強とも言われる怪鳥、コッカトリスの力だ。
だが、次の瞬間――。
龍が吼えた。
古い言葉もマナもこもっていたわけではない。
龍が声を上げた。ただそれだけのことだ。
それなのに、その咆哮は全てを震わせた。
この世界そのものが震えあがったかのような、そんな声だった。
何もかも止まった。
声一つで怪鳥の力も、騎士達も冒険者達も、その全てを無力化したのだ。
騎士と冒険者、百戦錬磨の者達――ライヤやイゴールまでもが、ただ耳をふさいでその場でうずくまった。体が動かない。誰もが顔もあげることができなくなった。
肉体を行動不能にされたが、それはもっと大きな意味をもっていた。
魂への圧力だ。
理の外の存在は、魂そのものに圧を加えてくることがある。
騎士達はそれを知っていた。が、龍の咆哮は彼らのこれまでの経験にはないものだった。何もかもを圧し潰すような、そんな力。
同時に神鳥までもが羽ばたく力をなくした。
成長すれば、たとえ龍であっても生物としての格で超える存在なのに、盟友であるサーシャを守れずに落下する。
龍と同じ天空の存在であるサーシャもまた、あの咆哮で体が動かせなくなり、空中に投げ出された。
ただ声を上げただけで、この場にいたあらゆる生物を完全に制圧した。
これが龍という存在。
龍はもうこの場の動けない生物たちに興味はないようだった。
後は軽く息を吹きかければ、全てが灰燼に帰すだろう。
そんなつもりだった。
が、何かが視線の端で動いた。改めてその場を見ると、龍は我が目を疑った。
小さき者が動いている。
「サーシャ!!」
「ア、レクセ、イ……?」
サーシャがなんとか呼び声に応える。
<速く駆けろ>
<強く強く支えろ>
あらゆる生物が止まる中、アレクセイだけは落ちてくるサーシャを受け止めようと、古い言葉で体を強くし、瓦礫の上を駆け出した。
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