わたしの愛する黒い狼

三谷玲

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喜劇の舞台裏

私の嫌いなふたりの天才

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 私は今、幸福の真っ只中にいる。
 ファネットゥ王女を娶り、ノースフレイル辺境伯という最上級の爵位を手に入れた。
 望んでいたものを手に入れられたのだ。これ以上望むべくもない。

 ファンデラント公国の最北端にあるノースフレイルの地は、巨大な氷の山を背景にしている。
 その山の一角に建てられた居城は、前の辺境伯のおかげでやたらと華美で目の毒だが、妻にはとても喜ばれている。
 コースティ家の質素な作りは彼女には退屈だったらしい。
 その執務室で左手の指を弾き、彼からの連絡がないかと確認するのが私の日課だ。
 目当てのものはもちろんなかったが、先日届いたクラメール王国からの報告書を目にして、私は去年の喜劇を思い出していた。



 差別や偏見をなくそうといくら国策で謳っても、このファンデラント公国は貴族社会だ。今回のように入れ替えはあっても、その爵位がなくなることはない。いずれはそれもなくなる可能性はあるが、サウスラーザン辺境伯のように代替えの利かない家があるままでは、それも先のことだろう。
 そんな身分社会で、私は貧乏な子爵家の五男に生まれた。当然、私の分の爵位などなく、いずれは爵位のある女性と婚姻するか、功を立てるか、はたまた養子にでもならなければ平民となる。

 私の出生には理由があった。

 大公が公太子だった当時、公太子妃の懐妊の一報が知らされて、国内の貴族はこぞって子供を設けた。女子ならば后に、男子なら側近にと。ご多分に漏れず我がスローン家でも同じこと。
 幸いというか必然というべきか、私が生まれた。スローン家は多産な家系なのだ。一番下の兄と私では十の年の差があった。
 伯父伯母も覚えられないほどにいる。彼らの多くは平民となったが、それなりに幸せな生活を送っているはずである。
 そんな両親、いや、スローン家の期待を一心に生まれた私は、その期待を裏切らない程度には容姿に頭脳、体力と健康にも恵まれた。
 この頃まで自分は天才だと本気で思っていた。

 公国では十歳から八年間、学院で学ぶことが権利として定められている。
 私はリーレイの半年後に生まれ、無事同時期に入学を果たした。彼のために生まれてきたも同然の私は彼を見てこう思った。

(人は平等というがそれは大きな間違いだ)

 と。
 佇まいから只人とは違う。誰もがひれ伏したくなるような威圧感。さらに、狼の獣人であるしなやかな体躯。十歳でこんなにも差が出てしまうとは、思いもしなかった。
 最高の教育を受けてきたのであろう、学問においても、他の追随を許さなかった。
 黒髪に金の瞳は時に人に厳しく、寄せ付けない雰囲気を与えてはいたが、決して他人を見下すことなく公平な目を持っていた。
 これでも自分は他人よりも勝っていると自負していたが、本当の天才と凡人には目に見えない大きな壁があることをまざまざと思い知らされたのである。

 そして、天才はもう一人いた。

 イーノック・コースティ。サウスラーザン次期辺境伯である。
 私達のひとつ上、十一歳にして、次期辺境伯としてその才は遺憾なく発揮され、とりわけ魔術は段違いの実力。
 なおかつ、いつでも穏やかで心優しい性格、誰とでも分け隔てなく付き合うことのできる人の良い男だった。
 赤茶の髪は緩くカーブし、警戒心を与えない灰褐色の瞳は常に弧を描き、出会う人すべてを魅了した。

 私は彼らに、自分がいかに努力をしても叶うことがないことを身体に、脳に刻み込まれたのである。
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