ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第10話 不可解な操言士と対人間戦

7.悶々(中)

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 これまでの最美との相乗りでは、紀更は最美の背中側にいた。それが普通だと思っていたので、まるでユルゲンに抱え込まれるような、いつもと前後逆のこの態勢はなんだかそわそわする。わざわざ確認するまでもなく、そもそも二人乗り用の鞍の前側に乗るようにうながされた時点で気付くべきだった。

「護衛対象の君が視界にいてくれた方がいいからな」

 落ち着かない表情の紀更と違って、ユルゲンは淡々と答える。

(そう言われたら何も言えないわ)

 ユルゲンは操言士である王黎と紀更の護衛という仕事のために一緒にいてくれているのだ。その仕事を無事に遂行するためにも肝心の護衛対象を視界に入れておきたい。そう言われたら、守られる側としては何も文句を言えない。

(でも、恥ずかしい……っ)

 気まずさを抱えたまま前方を見れば、ルーカスの背中側に乗る紅雷がちらちらと紀更を振り返っては恨めしそうな目線をユルゲンに投げていた。当のユルゲンはそんな紅雷の目線などまったく意に介していないようだったが。

(どうしよう、ユルゲンさんにくっついちゃいそう)

 鞍は二人乗り用のものを王都で用意したので、紀更もユルゲンも座りにくいということはない。しかしいつも相乗りしていた最美に比べてユルゲンの体格が大きいため、彼との物理的な距離がとても近くに感じた。
 そんな紀更の妙な居心地の悪さが気にかけられることはなく、ルーカスの操る馬を先頭に一行は豊穣の村エイルーの北口を出発した。

「今日はあまり怪魔と遭遇しないといいね~」

 王黎がのんきな声で呟く。いつもならすんなりと聞こえてくるはずのその声も、ユルゲンの大きな身体越しに背中で聞くとなんだか声量が小さい。

(落ち着かない……妙に緊張しちゃうわ)

 エイルーの北口から北へ伸びる東国道はカルディッシュ城に続いている。カルディッシュへはこの道をまっすぐに北上するだけだ。
 エイルーを離れてしばらくすると、道は深すぎない森の中に入り、あまり変化のない景色が続く。
 怪魔の出現もなく、平坦で穏やかな移動時間。そして近すぎるユルゲンとの距離。それらが、背中で感じる彼の存在感を殊更紀更に意識させる。

――手を貸してくれないか。

 一昨日の夜、つらら亭での腕相撲勝負の合間にそう言ってユルゲンは紀更の手を握った。周囲の視線が王黎に向かないようにするための陽動ということだった。

――悪かったな、嫌な思いをさせて。

 ユルゲンはそう言って謝ったが、紀更にとっては謝られるようなことではなかった。ワジグ組の傭兵の男に顔を近付けられた際は不快感を覚えたが、近くにいるユルゲンに対して同じような嫌悪感を抱いたことはない。

(ユルゲンさんだから?)

 そう考えてみるが、たとえば王黎に頭をなでられたりしても不快感はない。されたことはないが、ルーカスやエリックに手を取られたからといって、ワジグ組に感じたような拒否感は生まれない気がする。

(ユルゲンさんが特別、ってわけじゃないのかしら)

 つらら亭ではなんだか恥ずかしさを覚えて頬が熱くなったが、それはあの腕相撲勝負の熱気に当てられただけだろう。

(そういえばユルゲンさんって、結構スキンシップが多い?)

 これまでにユルゲンと過ごした、二人きりの時間を思い起こしてみる。
 水の村レイトや、音の街ラフーア。ゼルヴァイス城を囲う第三城壁の上の歩廊。始海の塔で星空を見上げた時。あの時感じた、言葉にならずこそばゆい沈黙。それにポーレンヌの火事現場と、今回の旅の出発前、王都のミニノート川を臨む広場。思えばユルゲンにはよく頭をなでられたし、二度も抱きしめられた。そもそも、家族でない異性に抱きしめられたのは人生初の出来事だ。
 なぜ彼は、その腕を伸ばしてきたのだろう。なでたり抱きしめたり、一昨日のように手を取ったり。ふれ合おうとするのはどうしてなのだろう。

(ポーレンヌの時は、私が泣いたから?)

 紀更は、ユルゲンの前で度々涙を流している。泣き虫で頼りないと思われているに違いない。だからきっと、慰めるためにそうしてくれたのだろう。泣いている幼子を親が抱きしめてあやすのとそう大差はない。実際ポーレンヌの時は、ユルゲンの大きく硬い身体とその体温を感じて落ち着くことができた。

(それで私、気が付いた……)

 それまでずっと、言葉にならなかった自分の気持ち。自分はユルゲンと一緒にいたいと願っていること。旅が終わっても一緒にいたいとささやかに望んでいること。それらを自覚したのが、ポーレンヌのあの朝のことだった。

(じゃあ、ミニノート川の時は?)

 王都で彼に抱きしめられた理由はよくわからない。
 あの時のユルゲンは突然ベンチから立ち上がり、黙って紀更に手を伸ばした。特に何も考えずにその手を取った紀更はユルゲンに引っ張られるように立って、そして彼の腕の中に閉じ込められてしまったのだ。

――紀更……。

 始海の塔の夜と同じ、どこか甘い声。切なそうに紀更の名前を呼ぶ声。

――君は、俺が守る。守ってやる。必ずだ。任せろ。

 そして、堅い決意を秘めた言葉だった。けれどどこかに遠慮が滲んでいて、同時にひどく追いすがっているような、何かを乞われているような気もした。

(守ることが、ユルゲンさんのお仕事)

 旅に出る操言士の王黎と紀更を護衛してほしい。それが操言士団からの依頼。そしてユルゲンが請け負った仕事。守ることは、彼にとっては報酬を得るための手段だ。

(違う……ユルゲンさんはきっと、それだけじゃない)

 依頼だから、仕事だから、報酬を得られるから。だから紀更を守ると言ったのではない。根拠はないが紀更は強くそう思った。

(ユルゲンさん……)

 振り向いて彼の表情をうかがいたい。その青い瞳を見つめたい。けれどその勇気が出ない紀更は、静かに過ぎていく東国道の道のりを眺めた。カポ、カポ、と五頭分の蹄の音が規則正しく、前後から聞こえてくる。
 ああ、なんだか無性にユルゲンの名前を呼びたい。特に用があるわけではないけれど。なんだ、と彼は優しい声で返事をして、きっとこちらを見てくれるから。そうすればきっと、ざわりと砂の波が揺れているようなこの胸の内はなめらかな水で洗い流されたように爽快な心地になるだろう。

(ユルゲンさんも、こんな気持ちでしたか)

 紀更、と何度も名前を呼んでくれた時。意味も理由もなく、ただ名前を呼びたい。呼べばきっと、こちらを向いてくれるから。その瞳がこちらを見てくれることが嬉しいから。そんな風に彼も思っていただろうか。

(私……あなたと一緒にいたいの)

 王都に帰還したあと、離れ離れにならなくてよかった。彼が王都を去らず、それどころか再びこうして共に旅に出ることができて本当によかった。

(ユルゲンさんは?)

 彼はどう思っているのだろう。自分と同じように「一緒にいたい」だなんて。

(そんなこと……)

 思っていてくれるだろうか。

(思って……ほしい)

 依頼だから、じゃなくて。
 仕事だから、じゃなくて。

(もっと……)

 別のつながり。二人だけの、個人的なつながり。何か特別な結び付き。

(なんて呼べばいいのかわからないけど……でも、それが欲しい)

「一緒にいたい」以外の新しい欲望が、紀更の心の中心からわき上がってくる。

(隣にいて……傍にいて)

 もっと、もっと。こうやってすぐ傍に、いつだって。誰かほかの人じゃなくて。

(っ……だめよ。これは私の修行の旅なんだから)

 自分の中で踊る欲望がむくむくと大きくなりそうな気配を感じて、紀更はぎゅっと目を閉じた。鼻から深く息を吐き出し、それから大きく吸い込む。

「紀更? どうした、大丈夫か。気持ち悪くなったか」

 紀更のその息遣いを体調不良と勘違いしたユルゲンが、紀更の頭上から低い声を落とした。

「あっ、だ、大丈夫ですっ」
「そうか。体調が悪いならすぐ言えよ?」
「はい」

 振り向けない紀更は、馬の首を見つめたまま小声で頷く。

(声……素敵だなあ)

 王黎やエリックに向けるユルゲンの声と、自分に向けられるユルゲンの声は少し違うと思う。王黎たちには気を許した軽さがあるのに対して、紀更、と呼びかけてくれる声には彼らには向けない優しさが含まれている気がする。それに戦闘中の雄叫びは野性的だが、こうしてこちらを心配してくれる声は紳士的だ。声だけを聞いたら、彼が怪魔とも戦う傭兵だなんて思えないかもしれない。

(だめ、なのに……)
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