このたびゲスの極み上司に脅されまして

猫田けだま

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酒は飲んでも飲まれるな

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* * *


尊い、尊すぎて言葉が出ない。


ダビデ像に勝るとも劣らない逞しさ。
美の象徴、ミューズに肩を並べるほどの色香。
そのどちらをも兼ね備えた、究極の芸術品。
全能の神が気まぐれにお創りあそばした最高傑作が今、目の前で腕を組んで立っている。


ああ、こっちを見ないで。そんな目で見つめられたら、私……わたしっ!


両目を手で覆って、後退ろうとしたとき。


「おい……これは、なんのプレイだ」


不機嫌なバリトンが耳を打った。


声の主は目の前のアポロン――もとい、二階堂部長。月桂樹の冠の下で、これ以上なく眉がひそめられている。


「プレイというか、唯一の趣味ですね」


私の答えに、彼は両手を広げて訴える。


「理解に苦しむ……この布切れと楽器はいったいなんだ。男を辱めるのが趣味なのか」
「布切れだなんて〝アポロン神なりきりセット〟四万もしたんですよ」


半身だけ覆う、ドレープをたっぷりとった亜麻布のキトン。そして小道具の冠と竪琴は、数ヶ月前にネットで購入したものだ。


人台に着させた時にも萌えた。だけど彼が着用すると、まさに理想形。光の神アポロンが、神話の世界から飛び出してきたようで、眩しくて目を開けていられない。


「ああ、アポロン様」


自然と漏れたつぶやきに、特大のため息を被される。


やだ、アンニュイな吐息。その蔑んだ目付きも、たまらない。


鼻息を荒くする私に対して、彼の表情は冷めきっていく。


「で、俺はどうすればいいの?」


どうすればって……ただ、存在して下さるだけで、有難いのだけどせっかくの機会なので。


「その、お酌をさせて頂いても?」
「いいけど」
「ほんとですか、では私も着替えてきますっ!」
「はっ、なに言って――」


彼の言葉を背中に、部屋を飛び出した。そして荷物置き場に戻ると、パンドラの箱から、ビーナスの衣装を取り出した。


シルクとオーガンジーのドレスは、露出度が高めで少し恥ずかしい。でも彼の気が変わってはいけない。急いで着替えて茶の間に戻った。


「アポロン様、ささ、果実酒でございます」


安焼酎をぐい飲みに注ぎ、彼に向かって差し出す。彼は一瞬だけたじろいだが、覚悟を決めたように武者震いをして、酒を受け取った。


「で、お主の名は?」
「ビーナスでございます」
「そうか、ビーナス、今宵は月が美しいの」
「太陽神アポロン様の前では月の光など、取るに足らぬものにございます」


世界が塗り替わった。


ここはコンクリートジャングル東京ではなく、緑豊かな古代ギリシア。平屋の縁側ではなく、白亜の神殿。そして私たちは美しき神、アポロンとビーナスだ。

                                                   
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