夜桜の下でまた逢う日まで

馬場 蓮実

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終章 残された運命

Epilogue⑥ 告白

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「あなた『酒は飲み干すな』って日誌に書いてたでしょ?あれって、未来に飛んだ時のためよね?」

「勿論それもあるが……一番の理由は、この異界を存続させる為じゃ。酒が無くなれば、ここに来る術は無くなる。つまりその瞬間、もうこの世界は事実上消滅することと同義じゃからな」

「うーわ確かに。申し訳ないんだけどアレ、私が全部飲み干したから」

「…………ん、なに!?」

 あまりにも軽い口調だったせいか、お爺さんはやや遅れて、その意味を理解したようだった。お酒を注ごうとしていた手がピタリと止まり、目をまん丸にして私を見つめる。

「本当に、空にしたのか?」

「ええ。悪気は無いわよ?だってそうしないと、ここまで飛べてないんだし」

 正直に言うと、あの日誌をちゃんと読んでなかったから、空っぽにしてしまったわけだけど。でもここまで来ると、それも含め運命よね。

「しかしお前さん、確か『一杯』と……あれは——」

「私なんて言ってないわ。『沢山イッパイ』って言ったのよ」

 きょとんとするお爺さんに合わせて、私はニコッと笑顔で返した。別に彼がこの意味を理解する必要なんてない。けれど、嘘を吐いたと思われるのは心外なんでね。
 
 そして、一瞬の静寂を破るように、これまでで一番大きな声でお爺さんは高らかに笑い始めた。意外にも、言伝を破ったことに対する嫌悪や失望は、その表情からは微塵も感じない。

「ハッハッハッハ!こりゃあ、一本取られた。まさか、屁理屈のつき方まで子孫に受け継がれておるとはな」

「自分で言っといてなんだけど、何とも思わないの?」

「ああ良い良い、それならば仕方のないことじゃ。……正直安心したぞ。ちょっと話し過ぎたのでは、と後悔しておったからのう」

「……そっか。なら良かった」

 未来を覗けるなら、そりゃ一度くらい覗いてみたくもなる。未来が自分の選択で枝分かれすることなんて百も承知。良い未来を望むことだって至極当然。
 でも、カンニングした先にある未来なんて、それは人生って言える?
 人生は分からない事だらけの方が楽しいわ。何より、枝分かれした先の未来を勝手に『良い』『悪い』で判断して潰せるほど、人って偉くないんだから。ここから先……この私の世代から、枝分かれはさせない。無数の可能性から一本の道を創る。私の選択が、そのまま一本の道になる。
 それが健全な『人』の生き方よね。私がここで、最後の枝分かれを防いで、あっちに繋げる。

 トシ、ハル、待ってないさいよ……と言ってもお酒が無い以上待つ以外の選択肢はないけど。『今の私』が帰らないと、あの約束を果たすことにはならないんだから。

 お爺さんは、勢い良く徳利にお酒を注いだ。並々を超えて、指先に溢れたお酒が滴り落ちる。

「ちょっとちょっと!何こぼしてんのよ!私の分が無くなるでしょ!?」

「……最後にだけ、儂からも打ち明けておこうかのう。一本道の為に」

 私があたふたしているのが馬鹿らしくなるくらい、お爺さんはさも冷静に呟いた。

 既に入っていた桜の花びらが水面まで上がってきた瞬間、躊躇いもなくそれを一気に飲み干す。

「この物語を繋げるには、一つ、嘘をかせねばならん」

「……ん?急に何の話?」

「ハハ。儂もそう思ったさ。理解しろと言う方が無理あるわい」

「えーっと、返答になってませんが」

「倉庫の鍵を掛けたのは、儂じゃ」

「あ、はい……そりゃー、そうでしょうね?」

「和歌を詠んだのも、儂じゃ」

「あー……あの衝立の……?」

「あっちは半世紀以上も前の話じゃがの」

「そりゃあ、昔からご立派な文才をお持ちで」

「おっと、勘違いされては困る。昔の人間はお前さんほど賢くはない」

「私にはあんな、ロマンティックな和歌書けないけどなあ」

「……つまりは、そういうことだ」

「ほう……?いや結局全然意味分かんないんですけど!?」

「ハハハ!……じゃあの、サクラ。逢えて嬉しかったぞ」

 
 その言葉を最後に、お爺さんは満開の桜の中へと消えていった。真下から吹き抜ける上昇気流が視界を遮り、ただただ混乱する私の脳を爽快に冷ます。

「まったく……どこがなのよ。言いたい放題言ってくれちゃってさ」

 間もなく浮かんできたのは、彼の去り際の表情。その穏やかな笑顔と湧き出るような台詞が、何故だか脳裏と耳に焼き付いている。

 瞑った目を再び開けると、舞い上がった花びらが煌々と放つ枝葉の光を乱反射させ、独り残された私を優しく包みこんでいた。

「うーわ、めっちゃ綺麗じゃん」

 この世界に存在するのは、ついに私独りだけ。徳利が倒れていようが、それを立ててくれる人はもう居ない。でも、その孤独を感じさせることなく、この桜は私の視界を鮮やかに満たしてくれる。

 不意に、一枚の花びらが頬に落ちてきた。肌に触れた瞬間、その優しくて温かい感触が胸の奥を熱くする。春の匂いが全身を駆け回り、不安を勇気へと昇華させる。

「よし——」

 私はゆっくりとそれをスカートのポケットに仕舞い、僅かに残った徳利の中身を木の根本に注いだ。ほんの数滴だけど、感謝を示すにはこれが一番だと思ったから。

 公園の入り口まで進むと、一瞬、私の背中を押すように風が強く吹いた。上空を舞う無数の花びらが恒星のように夜空を彩り、遠くの世界までも温かく照らす。まるで、私を導いてくれているよう。

「ありがとう。行ってきます」


 最後に、またこの夜桜の下で目を覚ますことを願って、私は公園を後にした。
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