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後編
第5話ー⑤
この場にいる人々の呼吸が聞こえるほどに、誰もが請安の言葉に耳を傾けていた。
窓を叩く雨を降らした雲はいつの間にか通り行き、代わりに虫たちのささやきがこの部屋に届き始めていた。
「家族はその人にとって、時と場合により様々に変化していきます。」
「”生きる力”であったり、“枷”であったり、“安息の場所”であったり。」
「しかし、人にとって幸せでありたい気持ちは普遍的であります。」
「家族の幸せ。個人の幸せ。」
「その二つは、いつも同じ方向を向いているのでしょうか。」
「何よりも、家族の幸せと、個人の幸せは共存できるのでしょうか。」
請安は座椅子の上で姿勢を変えずに、顔だけで全員をゆっくりと見渡した。
父の代理でこの場にいる勾太には請安の話す内容などどうでもよくて、頼まれた役を果たすために退席を諦め、留まっていればいいだけだった。
「本日は家族で、皆様お越しいただいております。」
「わたくしは、絆という言葉は薄っぺらくて、あまり使いたくありませんが、同席されている家族の皆様には、何かしら繋がりを感じていらっしゃると思います。」
「その繋がりを強く感じる瞬間とはいったいいつなのでしょう。」
「皆様、入室時にお配りいたしました資料に、記入欄がございます。」
「少しお時間をお取りいたしますので、具体的に感じる瞬間を、その欄にご記入ください。」
緩んだ空気の中、それぞれに動き出す。
「筆記用具をお持ちでない方はお配りいたします。あとバインダーも必要な方はおっしゃってください。」
何人かが手をあげる。
極力関わりたくない勾太は「えぇぇぇ・・・面倒くさい・・・」と思い、大きく溜息をついた。
継母は鞄の中からボールペンを出し、すでに考え込んでおり、こちらを気にしてくれる様子もない。子どもたちはいつの間にか眠ってしまっているようだ。
顔を上げた勾太の前方に座る野球部らしき高校生が手をあげた。
それにつられるように、勾太も俯きながらゆっくりと手をあげた。
次々に配られる中、俯いた勾太の視線の先に白い足袋が飛び込んできた。
ゆっくりと勾太は顔を上げる。
そこには筆記用具とバインダーを差し出す請安が立っていた。
「わぁ!」
驚き思わず体を後ろに仰け反ってしまった勾太に、継母が微笑んだ。
恐る恐る受け取る勾太の姿を、周りの人々は微笑ましく見ている。
野球帽を被る高校生までこちらを見ながら微笑んでいる。
「思いつくままに書いてください。」
周りとの温度差に、素っ頓狂に見える勾太に請安は笑顔で語りかけた後、足袋で畳を擦る微かな音を残しながら元の席に戻って行った。
―――――――――――――――
「ただいま。」
久米香月は電気の消えた家の中でひとり呟いた。
住み慣れ、安心を感じるはずの場所に少し恐怖を感じてしまう。
急いでリビングの明かりをつける。
見渡す人の気配がしないガランとした空間は、ひとりを余計に心細くしてしまった。
一旦自宅に寄ってきますと言っていた北越智は、少し遅くなると連絡が来ていた。
あれだけ母の元を離れ、独り立ちをしたいと思っていた自分が、情けないほど寂しさに押しつぶされそうになっている。
大きく溜息をつき、両方の頬を軽く叩き気合で気分を変えた久米は、腹の減り具合が限界に来ていたため、とりあえず冷蔵庫を開けた。
そこには昨日の材料の残りが並んでいた。
今すぐに食べられそうなものがない・・・
ドアを閉じ、冷凍庫を引き出す。
母が作り置きしてくれているエビフライとハンバーグが数個凍っていた。
炊飯器は今朝セットしていたので、ご飯は炊けている。
再び溜息をつき、「解凍するか・・・」とつぶやきながら手に取った。
調理は嫌いではない。
だけど学校帰りで疲れている上に、空腹なままかかる手間を考えれば、面倒臭くて仕方がない。
明日の朝ご飯に昼食の準備が、同時に頭をよぎる。
「どぉーしょ・・・。」
レンジのスイッチを入れながら、これからひとりでやらなければならないことを考えた。
『コンビニか購買部で頼むか・・・』
『絶対、量足りん・・・金かかる・・・』
手持ちの現金もチャージもそんなに多くない。
だからと言って、母の財布から勝手に持ち出すことはできない。
今ある材料をなんとか調理して、母が回復するまでもたせるしかない。
さらに大きな溜息が漏れた。
フライパンをコンロにセットしながら、何かを思いついた久米は一気に肩を落とした。
「せや、ユニフォーム、洗濯もしやな・・・。」
――――――――――――――――
勾太は鉛筆を持ったまま、空白の欄を見つめていた。
家族の繋がりがわからなかった。
いや、わからないんじゃない。
書けなかった。
野球の試合を応援しに来てくれた。
笑顔で「おかえり」と子どもたちは言ってくれる。
泥だらけのユニフォームを洗ってくれている。
だけど、どれも素直に「繋がり」と呼ぶには何かが足りなかった。
継母の紙をチラリとのぞき見する。
記入欄いっぱいに書かれた文字が見える。
勾太の視線に気づいた継母が微笑みかけた。
ハッと慌ててバインダーをたてて、勾太は空白を隠した。
「では、皆様。まだまだ書き足りないことと思いますが、回収させてもらってよろしいでしょうか。」
請安の声が空気をかえるように響いた。
集中が切れ少しざわつく人々からスタッフが、バインダーを受け取り始める。
順番に近付くスタッフの影に胸が押しつぶされそうになってしまう。
勾太は浅くなる呼吸を咳払いでごまかしながら、バインダーに紙を裏返しにして差し出した。
請安の元にアンケート用紙が集まる。
勾太は落ち着かず、鼻を掻いたり、小さな咳払いを繰り返した。
そんな中、ふと前に座る男子高校生と目が合う。
小さく頭を下げるその高校生に、動きを止めた勾太はつられて会釈をした。
「どうでしたか?みなさん。『家族の繋がりを感じる瞬間は何でしょうか』と尋ねました。」
「やはり具体的にはなかなか難しかった方もいらっしゃいますね。」
アンケートをすべて受け取った請安は正面の席に座った。
「具体的に書こうとすればするほど、何か違和感はなかったでしょうか?」
「自分が『繋がっている』と感じるその瞬間を、相手も同じように感じているのでしょうか。」
勾太は何も考えずに聞こえる言葉を右から左へ流していた。
「私は絆と言う言葉は、薄っぺらくてあまり使いたくない。と言いましたが、理由はここにあります。」
「絆、愛、真の〇〇、思いやり、寄り添い、いろいろありますが、どれも具体的ではなく、曖昧な言葉です。」
その言葉に少しざわつく人々の空気を和らげるように請安は続けた。
「私は、それらの言葉を否定するつもりはありません。」
「ただ、便利なのです。」
「『家族だから』『愛しているから』『絆があるから』――そう名付けた瞬間、私たちは相手を理解したような気持ちになれます。」
「ひとつになれたような気にもなれてしまいます。」
「ですが、そのとき私たちは、本当に目の前にいる相手を見ているのでしょうか。」
請安は一枚一枚、アンケートをめくっていく。
そして一枚に手を止めた請安は少し微笑んだ。
「たくさん書かれた方もいらっしゃいます。そして――何も書かれていない方もいらっしゃいます。」
ポケットからスマホを取り出そうとしていた勾太は、固まった。
「書けなかったのかもしれません。書きたくなかったのかもしれません。あるいは、まだ言葉にする必要を感じなかったのかもしれない。」
請安は顔を全員に向けた。
「しかしそれが正解とかではないのです。」
「『家族』という言葉に、みなさんはどれだけ縛られてしまっているかを、今日は深掘りして、更にみなさまと考えていきたいと思います。」
そう言い請安は微笑んだ。
―――――――――――――――
汗くさいユニフォームを洗濯機で回し、誰もいないリビングルームで久米は、白米とハンバーグ、目玉焼きを雑に詰め込んだ丼を頬張っていた。
音のない部屋は、嫌にクーラーが利きすぎて寒く感じてしまう。
久米はTV画面にコメディ映画を流しながら、心細さを紛らわしていた。
麦茶でご飯を喉に流し込んだ後、落胆なのか疲れなのかよくわからない深い溜息をついた久米は、椅子の背もたれにもたれかかった。
ピーンポーン!
その時、玄関の呼び出しベルが鳴った。
やっと北越智が来てくれたのかと、席を立った久米は玄関へ向かった。
上唇と歯茎に留まる米粒を舌で取りながら、ドアを開けた。
「・・・・・あ。」
そこには制服姿のまま小さく頭を下げる戒外興文が立っていた。
窓を叩く雨を降らした雲はいつの間にか通り行き、代わりに虫たちのささやきがこの部屋に届き始めていた。
「家族はその人にとって、時と場合により様々に変化していきます。」
「”生きる力”であったり、“枷”であったり、“安息の場所”であったり。」
「しかし、人にとって幸せでありたい気持ちは普遍的であります。」
「家族の幸せ。個人の幸せ。」
「その二つは、いつも同じ方向を向いているのでしょうか。」
「何よりも、家族の幸せと、個人の幸せは共存できるのでしょうか。」
請安は座椅子の上で姿勢を変えずに、顔だけで全員をゆっくりと見渡した。
父の代理でこの場にいる勾太には請安の話す内容などどうでもよくて、頼まれた役を果たすために退席を諦め、留まっていればいいだけだった。
「本日は家族で、皆様お越しいただいております。」
「わたくしは、絆という言葉は薄っぺらくて、あまり使いたくありませんが、同席されている家族の皆様には、何かしら繋がりを感じていらっしゃると思います。」
「その繋がりを強く感じる瞬間とはいったいいつなのでしょう。」
「皆様、入室時にお配りいたしました資料に、記入欄がございます。」
「少しお時間をお取りいたしますので、具体的に感じる瞬間を、その欄にご記入ください。」
緩んだ空気の中、それぞれに動き出す。
「筆記用具をお持ちでない方はお配りいたします。あとバインダーも必要な方はおっしゃってください。」
何人かが手をあげる。
極力関わりたくない勾太は「えぇぇぇ・・・面倒くさい・・・」と思い、大きく溜息をついた。
継母は鞄の中からボールペンを出し、すでに考え込んでおり、こちらを気にしてくれる様子もない。子どもたちはいつの間にか眠ってしまっているようだ。
顔を上げた勾太の前方に座る野球部らしき高校生が手をあげた。
それにつられるように、勾太も俯きながらゆっくりと手をあげた。
次々に配られる中、俯いた勾太の視線の先に白い足袋が飛び込んできた。
ゆっくりと勾太は顔を上げる。
そこには筆記用具とバインダーを差し出す請安が立っていた。
「わぁ!」
驚き思わず体を後ろに仰け反ってしまった勾太に、継母が微笑んだ。
恐る恐る受け取る勾太の姿を、周りの人々は微笑ましく見ている。
野球帽を被る高校生までこちらを見ながら微笑んでいる。
「思いつくままに書いてください。」
周りとの温度差に、素っ頓狂に見える勾太に請安は笑顔で語りかけた後、足袋で畳を擦る微かな音を残しながら元の席に戻って行った。
―――――――――――――――
「ただいま。」
久米香月は電気の消えた家の中でひとり呟いた。
住み慣れ、安心を感じるはずの場所に少し恐怖を感じてしまう。
急いでリビングの明かりをつける。
見渡す人の気配がしないガランとした空間は、ひとりを余計に心細くしてしまった。
一旦自宅に寄ってきますと言っていた北越智は、少し遅くなると連絡が来ていた。
あれだけ母の元を離れ、独り立ちをしたいと思っていた自分が、情けないほど寂しさに押しつぶされそうになっている。
大きく溜息をつき、両方の頬を軽く叩き気合で気分を変えた久米は、腹の減り具合が限界に来ていたため、とりあえず冷蔵庫を開けた。
そこには昨日の材料の残りが並んでいた。
今すぐに食べられそうなものがない・・・
ドアを閉じ、冷凍庫を引き出す。
母が作り置きしてくれているエビフライとハンバーグが数個凍っていた。
炊飯器は今朝セットしていたので、ご飯は炊けている。
再び溜息をつき、「解凍するか・・・」とつぶやきながら手に取った。
調理は嫌いではない。
だけど学校帰りで疲れている上に、空腹なままかかる手間を考えれば、面倒臭くて仕方がない。
明日の朝ご飯に昼食の準備が、同時に頭をよぎる。
「どぉーしょ・・・。」
レンジのスイッチを入れながら、これからひとりでやらなければならないことを考えた。
『コンビニか購買部で頼むか・・・』
『絶対、量足りん・・・金かかる・・・』
手持ちの現金もチャージもそんなに多くない。
だからと言って、母の財布から勝手に持ち出すことはできない。
今ある材料をなんとか調理して、母が回復するまでもたせるしかない。
さらに大きな溜息が漏れた。
フライパンをコンロにセットしながら、何かを思いついた久米は一気に肩を落とした。
「せや、ユニフォーム、洗濯もしやな・・・。」
――――――――――――――――
勾太は鉛筆を持ったまま、空白の欄を見つめていた。
家族の繋がりがわからなかった。
いや、わからないんじゃない。
書けなかった。
野球の試合を応援しに来てくれた。
笑顔で「おかえり」と子どもたちは言ってくれる。
泥だらけのユニフォームを洗ってくれている。
だけど、どれも素直に「繋がり」と呼ぶには何かが足りなかった。
継母の紙をチラリとのぞき見する。
記入欄いっぱいに書かれた文字が見える。
勾太の視線に気づいた継母が微笑みかけた。
ハッと慌ててバインダーをたてて、勾太は空白を隠した。
「では、皆様。まだまだ書き足りないことと思いますが、回収させてもらってよろしいでしょうか。」
請安の声が空気をかえるように響いた。
集中が切れ少しざわつく人々からスタッフが、バインダーを受け取り始める。
順番に近付くスタッフの影に胸が押しつぶされそうになってしまう。
勾太は浅くなる呼吸を咳払いでごまかしながら、バインダーに紙を裏返しにして差し出した。
請安の元にアンケート用紙が集まる。
勾太は落ち着かず、鼻を掻いたり、小さな咳払いを繰り返した。
そんな中、ふと前に座る男子高校生と目が合う。
小さく頭を下げるその高校生に、動きを止めた勾太はつられて会釈をした。
「どうでしたか?みなさん。『家族の繋がりを感じる瞬間は何でしょうか』と尋ねました。」
「やはり具体的にはなかなか難しかった方もいらっしゃいますね。」
アンケートをすべて受け取った請安は正面の席に座った。
「具体的に書こうとすればするほど、何か違和感はなかったでしょうか?」
「自分が『繋がっている』と感じるその瞬間を、相手も同じように感じているのでしょうか。」
勾太は何も考えずに聞こえる言葉を右から左へ流していた。
「私は絆と言う言葉は、薄っぺらくてあまり使いたくない。と言いましたが、理由はここにあります。」
「絆、愛、真の〇〇、思いやり、寄り添い、いろいろありますが、どれも具体的ではなく、曖昧な言葉です。」
その言葉に少しざわつく人々の空気を和らげるように請安は続けた。
「私は、それらの言葉を否定するつもりはありません。」
「ただ、便利なのです。」
「『家族だから』『愛しているから』『絆があるから』――そう名付けた瞬間、私たちは相手を理解したような気持ちになれます。」
「ひとつになれたような気にもなれてしまいます。」
「ですが、そのとき私たちは、本当に目の前にいる相手を見ているのでしょうか。」
請安は一枚一枚、アンケートをめくっていく。
そして一枚に手を止めた請安は少し微笑んだ。
「たくさん書かれた方もいらっしゃいます。そして――何も書かれていない方もいらっしゃいます。」
ポケットからスマホを取り出そうとしていた勾太は、固まった。
「書けなかったのかもしれません。書きたくなかったのかもしれません。あるいは、まだ言葉にする必要を感じなかったのかもしれない。」
請安は顔を全員に向けた。
「しかしそれが正解とかではないのです。」
「『家族』という言葉に、みなさんはどれだけ縛られてしまっているかを、今日は深掘りして、更にみなさまと考えていきたいと思います。」
そう言い請安は微笑んだ。
―――――――――――――――
汗くさいユニフォームを洗濯機で回し、誰もいないリビングルームで久米は、白米とハンバーグ、目玉焼きを雑に詰め込んだ丼を頬張っていた。
音のない部屋は、嫌にクーラーが利きすぎて寒く感じてしまう。
久米はTV画面にコメディ映画を流しながら、心細さを紛らわしていた。
麦茶でご飯を喉に流し込んだ後、落胆なのか疲れなのかよくわからない深い溜息をついた久米は、椅子の背もたれにもたれかかった。
ピーンポーン!
その時、玄関の呼び出しベルが鳴った。
やっと北越智が来てくれたのかと、席を立った久米は玄関へ向かった。
上唇と歯茎に留まる米粒を舌で取りながら、ドアを開けた。
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