トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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2章

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 毎日のように言われ続ければ慣れもするが、塵のような苛立ちが積もらない訳でもない。そうした内面の不調を、志貴は週に一度、思い切り体を動かすことで整えていた。

「精が出るな、志貴」
「中佐こそ。たまにはゆっくりお休みになってはいかがですか」

 休みの日、志貴は公使館から徒歩で三十分ほどのところにある、海軍武官府に足を運ぶことにしている。そこには、母国でのご近所さんであり、幼馴染でもある衛藤えとう一洋いちよう中佐が赴任しており、武官府の広間を一時的に改装して毎週柔道の道場を開いていた。日本からわざわざ畳を持ち込んでいる本格派で、有名な道場の三男坊という彼の生まれと、その道場主である父親の誇りがそうさせているようだった。
 元々は武官たちの自主的な鍛錬の場として開かれたが、やがて身元が確かであれば、軍籍の有無を問わずに希望者を受け入れるようになった。子供の頃から、数年間隔の中断はありつつも衛藤家の道場に通い、護身術として柔道を習っていた志貴も、一洋に誘われて通い続けている。体を動かす機会は貴重な上、仕事を離れて一洋と話ができるのは、異国での任務で緊張を日常とする中で、唯一身構えずにいられる大切な時間でもあった。

「俺が休んだら、道場が立ち行かないだろう」
「中佐の他にも、指導できる上級者はいます。現にお忙しい時は、代理の方が面倒を見て下さっているでしょう」
「その『中佐』といい、他人行儀な話し方といい、何とかならないか。背中が痒くなってくる」

 軽い調子で苦情を言われ、志貴は曖昧な笑みを浮かべた。
 稽古が終わり、畳を片付けて和の道場を洋の広間に復元するのは、所属、階級を問わず全員で行うことになっている。一洋の気さくな人柄と、リベラリズムと柔軟性を尊ぶ海軍伝統の気風が、このマドリードの地に風通しのいい邦人の社交場を作っていた。
 本国や他国の在外公館では、互いに冷ややかに距離を置く陸軍武官とも友好的な協力関係を築き、情報共有も頻繁に行われているという。公使館も武官府も小所帯で家族を帯同する者もなく、民間邦人も少ないスペインという任地だからこそ醸成された、特別な同胞意識なのかもしれない。
 とはいえここには、一洋の部下も陸軍の武官も集まる。その前で、昔お世話になったというだけの幼馴染が図々しく振る舞うことなどできるはずもない。親しき中にも礼儀あり、というのは真実だ。せっかく一洋が心を配って和やかな場を作っているのに、彼との付き合いに甘えて秩序を乱しては本末転倒だ。特に軍人との間には、明確にけじめをつけた方がいい。
 しかし、誰に対しても垣根を作らない一洋は、志貴の態度が不服なようだ。

「諸君、今は出世して立派に一等書記官を務めているが、志貴は昔は俺の後ろに隠れているような子だったんだ。可愛い弟分だから、くれぐれも苛めてくれるなよ」
「中佐!」
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