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四十八、 女将と忘八
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翌日、とある引手茶屋で忘八の会合があると耳にしたお照は勇んで向かった。
女将も一緒に行くというのだからさらに気合いが入った。
シャルルを一人きりにしておけないと女将が心配しきりだったので、万寿屋で預かってもらうことにした。行きに弥五郎に預けて、帰りに引き取ればよいのだ。
「あんたかい、俄をやりたいと言い出したのは」
「ようやっと現れたな。これまでに何度も呼びかけたのに、一度も会合に顔を出さないかったくせに」
「頼み事があるときは素直なんだな」
吉原の忘八衆がずらりと居並ぶ会合に笑顔で迎えられた。笑顔で言葉の石つぶてを投げつけられる。
「わたくしのためにお集まりいただきキョウシュクですわ。今日の引手茶屋はたいへんな人ですこと。おほほほほ」
女将は高らかに笑った。
鼻白んだ忘八たちだったが意外にも芝居は歓迎するという。
仲之町のどんつき、水道尻に近い場所に閉店した茶屋があるのでそこに舞台をしつらえたらいいと提案までしてもらえた。茶屋を控えの間にして、中で衣装に着替えたり休んだりすればいいと。
良案に、お照は膝を打つ。場所は確保できた。さてここからが問題だ。
「つきましては、芝居のかかりの件ですが──」
「びた一文出さないよ」
いきなりぴしゃりと打ち返された。お照はぐっと拳を握る。
「吉原俄が貧相では物笑いの種になってしまいます。そうならないためには、ぜひ皆様の協力を──」
「ベルサイユの女将はしこたまため込んでると聞き及んでいるよ。ほら、いまだって金の匂いがぷんぷんするへんてこな服を着ているし」
女将にとっては礼装である。
「幕府の御役についているという噂もある。いざとなればご公儀から金を引っ張れるのではないか」
「そこが思案のしどころです。ご公儀のことですから、お金を出した分、鼻面を突っ込んでくるやもしれません」
お照がそう言うと忘八たちはぐうと唸る。ご公儀となるべく関わりたくない。敬して遠ざけたいのだ。
「日程はどうなってるんだ。八月いっぱいやり通すのかい。できたら紋日にしてほしいけどねえ」
俄は八月いっぱいやるのが通例である。月に数日ある紋日は女郎の揚代が倍になる。吉原にとっては客を呼び込みたい日なのだ。
「けっこうですわ」
さすがに毎日の興行は女将も考えてなかったらしい。
「譲歩できるのはここまで。いいかい、吉原が恥をかくような芝居は許さない。芝居の筋立ては先に教えておくれよ。心中ものや幕政批判をやられちゃ困るからね」
「ずっと聞きたかったんだがよ、ベルサイユの女将さんはなんでいままでおれたちを避けてきなすったんだい」
「近所の連中は不安がってるよ。得体が知れないとね」
忘八衆の視線が女将を刺す。女将は甚だしく悪印象のようだ。それも当然かと思う。
吉原は自治を重んじる。吉原の一郭に異人の親子を住まわせるのは目をつぶろう、幕府の後ろ盾も無視できない。
しかし、何度か寄合に呼んだものの、なにかと理由をつけて欠席する。周囲と交流しない。不審はつのる。
「たまに仲之町を散歩しているだろう。まるで自分の庭みたいに堂々とさ。気まぐれで声をかけたときまるで虫けらを見るような目で睨んだろう。見下されて気分が悪いよ。……あの白いこどもは腕白で可愛いけどね」
「どこかの国のおひいさまだったのかもしれないけどさ、今は落ちぶれてるんだろ」
寄合にお金を工面してもらおうと思っていたことがどれだけ無謀だったか、お照は思い知った。女将は耐えられないといったようすで扇子の影で笑った。
「なぜわたくしがあなたたちの会合に顔を出さなくてはいけないんですの。わからないでもありませんのよ。あなたがたにとってはわたくしは異物ですもの。悪目立ちするしショーグンがついているし、扱いにくいヤッカイモノでしょうね。呼び寄せて一言二言、がつんと言い含めておきたかったのでしょう。ですから、わたくしも、わざわざ一線を引いて関わりあいにならないように気を遣っておりましたの」
女将はここで一息置いた。
「だってわたくしが本気を出したら、花魁のお株を奪ってしまいかねませんでしょう。フランスでは誰も彼もがわたくしの髪型やローブをこぞって真似したのですのよ。吉原のありようを壊さないよう、慈しみの心をもって息を潜めておりましたこと、理解していただきたいわ」
女将は両の瞳からほろりと涙を流した。
「これは悔し涙ではないわ。デュバリー夫人のときとは違いますもの。勝ち負けでなく、あらためてジンギを結べてカンゲキしておりますのよ」
忘八は呆然と女将の一人芝居に見入っている。
お照が膝をすすめた。
「こたびの俄が成功したら女将を吉原の仲間とお認めください。忘八のみなみなさま、ここはお互い歩み寄って、是が非でも成功させようではありませんか」
「あ、ああ、こっちとしちゃあ、金も出さずに客足が増えればありがたい。頑張ってくんな」
楼主のひとりが肯うと、ほかもぼちぼちと首を縦にした。
金は出さないと念を押してきた上に、そろりそろりと上がる声には、
「実はな、ベルサイユの女将は幕府の間者だって噂もあってな」
お照は呆れてしまった。
「間者だったら、はなから寄合の仲間になりたがるんではないでしょうか。女将は一年も吉原にいたんですよ」
「それもそうだなあ」
控えめな笑いが起きた。空気がふっと弛緩する。
女将はただ芝居が好きなだけなのだと信じてもらえたのではないかとお照は思量した。
「脚本ができましたら、あらためてうかがわせていただきます」
芝居の筋立ては女将が決めるというので、実際にはまだ何も具体的なことは決まっていない。
八月まであと三月。
ぐずぐずしていたらあっというまにやってきてしまう。
「次に来るときは菓子でもお持ちしましょう」
女将の歩み寄りは場をさらに場を寛がせた。
場が和めば和むほど、焦っているのは自分だけだとお照は思い知る。脚本はもちろんだが、一番はお金のこと。なんとかしなくては。
「それではわたしたちはこれで」
と腰を上げたとき、
「そうだ、耕書堂に声をかけたらどうだい」
一人がそう言うと、そうだそうだと賛同の声があがる。
「耕書堂……ですか?」
「歌麿の美人画で大もうけした地本問屋だよ。店主の蔦屋重三郎は吉原者でね」
「地本問屋がお金を出してくれる……?」
「まあずうずうしいね」
お照は思い出した。女将に頼まれて買い求めた錦絵の一部は耕書堂から売り出されたものだったことを。
江戸の地本問屋でも一二を争う繁盛店の主人に話を持ち込むことなど、一介の町娘にできるだろうか。
「ま、いっちょ行ってみます」
話を持ち込むだけならビタ銭一文もかからない。
女将も一緒に行くというのだからさらに気合いが入った。
シャルルを一人きりにしておけないと女将が心配しきりだったので、万寿屋で預かってもらうことにした。行きに弥五郎に預けて、帰りに引き取ればよいのだ。
「あんたかい、俄をやりたいと言い出したのは」
「ようやっと現れたな。これまでに何度も呼びかけたのに、一度も会合に顔を出さないかったくせに」
「頼み事があるときは素直なんだな」
吉原の忘八衆がずらりと居並ぶ会合に笑顔で迎えられた。笑顔で言葉の石つぶてを投げつけられる。
「わたくしのためにお集まりいただきキョウシュクですわ。今日の引手茶屋はたいへんな人ですこと。おほほほほ」
女将は高らかに笑った。
鼻白んだ忘八たちだったが意外にも芝居は歓迎するという。
仲之町のどんつき、水道尻に近い場所に閉店した茶屋があるのでそこに舞台をしつらえたらいいと提案までしてもらえた。茶屋を控えの間にして、中で衣装に着替えたり休んだりすればいいと。
良案に、お照は膝を打つ。場所は確保できた。さてここからが問題だ。
「つきましては、芝居のかかりの件ですが──」
「びた一文出さないよ」
いきなりぴしゃりと打ち返された。お照はぐっと拳を握る。
「吉原俄が貧相では物笑いの種になってしまいます。そうならないためには、ぜひ皆様の協力を──」
「ベルサイユの女将はしこたまため込んでると聞き及んでいるよ。ほら、いまだって金の匂いがぷんぷんするへんてこな服を着ているし」
女将にとっては礼装である。
「幕府の御役についているという噂もある。いざとなればご公儀から金を引っ張れるのではないか」
「そこが思案のしどころです。ご公儀のことですから、お金を出した分、鼻面を突っ込んでくるやもしれません」
お照がそう言うと忘八たちはぐうと唸る。ご公儀となるべく関わりたくない。敬して遠ざけたいのだ。
「日程はどうなってるんだ。八月いっぱいやり通すのかい。できたら紋日にしてほしいけどねえ」
俄は八月いっぱいやるのが通例である。月に数日ある紋日は女郎の揚代が倍になる。吉原にとっては客を呼び込みたい日なのだ。
「けっこうですわ」
さすがに毎日の興行は女将も考えてなかったらしい。
「譲歩できるのはここまで。いいかい、吉原が恥をかくような芝居は許さない。芝居の筋立ては先に教えておくれよ。心中ものや幕政批判をやられちゃ困るからね」
「ずっと聞きたかったんだがよ、ベルサイユの女将さんはなんでいままでおれたちを避けてきなすったんだい」
「近所の連中は不安がってるよ。得体が知れないとね」
忘八衆の視線が女将を刺す。女将は甚だしく悪印象のようだ。それも当然かと思う。
吉原は自治を重んじる。吉原の一郭に異人の親子を住まわせるのは目をつぶろう、幕府の後ろ盾も無視できない。
しかし、何度か寄合に呼んだものの、なにかと理由をつけて欠席する。周囲と交流しない。不審はつのる。
「たまに仲之町を散歩しているだろう。まるで自分の庭みたいに堂々とさ。気まぐれで声をかけたときまるで虫けらを見るような目で睨んだろう。見下されて気分が悪いよ。……あの白いこどもは腕白で可愛いけどね」
「どこかの国のおひいさまだったのかもしれないけどさ、今は落ちぶれてるんだろ」
寄合にお金を工面してもらおうと思っていたことがどれだけ無謀だったか、お照は思い知った。女将は耐えられないといったようすで扇子の影で笑った。
「なぜわたくしがあなたたちの会合に顔を出さなくてはいけないんですの。わからないでもありませんのよ。あなたがたにとってはわたくしは異物ですもの。悪目立ちするしショーグンがついているし、扱いにくいヤッカイモノでしょうね。呼び寄せて一言二言、がつんと言い含めておきたかったのでしょう。ですから、わたくしも、わざわざ一線を引いて関わりあいにならないように気を遣っておりましたの」
女将はここで一息置いた。
「だってわたくしが本気を出したら、花魁のお株を奪ってしまいかねませんでしょう。フランスでは誰も彼もがわたくしの髪型やローブをこぞって真似したのですのよ。吉原のありようを壊さないよう、慈しみの心をもって息を潜めておりましたこと、理解していただきたいわ」
女将は両の瞳からほろりと涙を流した。
「これは悔し涙ではないわ。デュバリー夫人のときとは違いますもの。勝ち負けでなく、あらためてジンギを結べてカンゲキしておりますのよ」
忘八は呆然と女将の一人芝居に見入っている。
お照が膝をすすめた。
「こたびの俄が成功したら女将を吉原の仲間とお認めください。忘八のみなみなさま、ここはお互い歩み寄って、是が非でも成功させようではありませんか」
「あ、ああ、こっちとしちゃあ、金も出さずに客足が増えればありがたい。頑張ってくんな」
楼主のひとりが肯うと、ほかもぼちぼちと首を縦にした。
金は出さないと念を押してきた上に、そろりそろりと上がる声には、
「実はな、ベルサイユの女将は幕府の間者だって噂もあってな」
お照は呆れてしまった。
「間者だったら、はなから寄合の仲間になりたがるんではないでしょうか。女将は一年も吉原にいたんですよ」
「それもそうだなあ」
控えめな笑いが起きた。空気がふっと弛緩する。
女将はただ芝居が好きなだけなのだと信じてもらえたのではないかとお照は思量した。
「脚本ができましたら、あらためてうかがわせていただきます」
芝居の筋立ては女将が決めるというので、実際にはまだ何も具体的なことは決まっていない。
八月まであと三月。
ぐずぐずしていたらあっというまにやってきてしまう。
「次に来るときは菓子でもお持ちしましょう」
女将の歩み寄りは場をさらに場を寛がせた。
場が和めば和むほど、焦っているのは自分だけだとお照は思い知る。脚本はもちろんだが、一番はお金のこと。なんとかしなくては。
「それではわたしたちはこれで」
と腰を上げたとき、
「そうだ、耕書堂に声をかけたらどうだい」
一人がそう言うと、そうだそうだと賛同の声があがる。
「耕書堂……ですか?」
「歌麿の美人画で大もうけした地本問屋だよ。店主の蔦屋重三郎は吉原者でね」
「地本問屋がお金を出してくれる……?」
「まあずうずうしいね」
お照は思い出した。女将に頼まれて買い求めた錦絵の一部は耕書堂から売り出されたものだったことを。
江戸の地本問屋でも一二を争う繁盛店の主人に話を持ち込むことなど、一介の町娘にできるだろうか。
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