江戸のアントワネット

あかいかかぽ

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五十、 蔦屋との交渉

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 蔦屋は俄芝居の計画を聞くとぽんと膝を打った。

「そいつはいい。一肌脱がせていただきやしょう。珍しいもんは江戸っ子の大好物だ」

 いかほど、と問いかけたお照に、蔦屋は、

「いやあ、俄は久しぶりだ。宣伝はまかせておくんなさい」

 と胸を叩いた。
 
 墨一枚摺を各所で配って宣伝してくれるという。そこで前もって異国人の女将の姿絵を歌麿に描かせたい、売りに出したい、という話に進んだ。

「錦絵で評判を取れば、吉原も大盛況間違いなし。舞台で本物の女将を拝みたくなるわな」

 蔦屋の強引な話術にお照は戸惑った。
 すると秋馬が膝立ちになって蔦屋にせまった。

「だったらおれに描かせてくれよ」

「歌麿よりいい絵が描けるならね、秋馬さん」

「見てもらおうと持ってきたんだ、どうかよろしく頼むよ」

 秋馬は焦る手で風呂敷の結びを解こうとしている。

 蔦屋の口から『宣伝』という言葉しか引き出せないのがもどかしい。引き出したいのはお金なのだ。
 ただで宣伝してくれるのはありがたいが、交換条件に女将の錦絵を売り出すというのだから、お照の一存で決められることではない。

「いくらかは女将がいただける……ということでしょうか」

「それは勘弁。こちらは絵師と彫師、摺師に金を払うんです。売れるか売れないかは売ってみなけりゃわからねえ。評判になれば吉原俄は盛況になりましょう。売れなかったからうちが大損するだけ。入銀にゅうぎんものでなければ引き受けない宣伝をただでやるんですから、そちらに損はない。いかがですかね」

 錦絵がいくら売れようと儲かるのは蔦屋だけで、描かれた人物に金が払われることはない。そういうもんだと言われれば、そういうもんかと頷くしかないお照である。

 蔦屋は、次々に絵を広げていく秋馬を横目に見ながら笑みをますます深める。

「絵師を誰にするかはともかく、近いうちに一度うかがわせていただきましょう。異人の女将に会ってみたいですからね。耕地屋と耕書堂、名前も似てる。浅からぬ縁がありそうだ」

 お照はこくんとうなずいた。蔦屋は名うての切れ者だ。はんぱな交渉をしたら不利だ。ひとまず引き下がろう。

「ほう」

 ある一枚の絵を手に取り、蔦屋が感心の声をあげた。

「長崎、いや薩摩かな。めずらしい貴重な顔料を使ってますね。高価だったでしょう」

 蔦屋が目をとめたのは、秋馬の筆力ではなくて絵の具だった。

「亡くなった源内先生が南蛮渡来の藍色を研究していたと聞きましたが、これのことかな。そちらの緑色もいい発色ですな」

 長崎はオランダ貿易、薩摩は琉球を介した中国貿易のことだ。
 さすがは地本問屋。顔料に目をつけた。
 絵の良し悪しを判断してほしかった秋馬は口を尖らせている。

「さすがは秋馬さんだね、絵の具も気が利いている。どこで手に入れたんですか」

 蔦屋は満面の笑みだ。秋馬は頭を搔いた。

「残念ですが扱っていた連中は捕まってしまいましたよ。どうやら抜け荷だったらしくて」

「なるほどねえ。錦絵はぱっと目を引いて、いつまでも印象に残るものが強いのですよ。絵師はもちろんでしょうが、摺師がほしがる色だなあ。だが外国の産では高くつく、量も限られる、抜け荷に手を出したらお上ににらまれる。作り方がわかればねえ。残念だが諦めるしかないか」

「もし、もし……、ですよ」

 秋馬が声をひそめた。

「うちにすこうしばかり残っていて、特別に蔦重さんにお譲りすると言ったら、おれの絵を使っ──」

「買い取らせていただきますよ、ええ、もちろんですとも。抜け荷を売り物に使うわけにはいきませんから、顔料屋か摺師にまわして組成を調べてもらいましょう。同じ色が作れたら儲けもんだ」

「……わかりやした」

 藍色の作り方を知っているとは秋馬はついぞ口に出さなかった。



「秋馬さん、船宿のほうは大丈夫なのですか」

 収穫がなく、ただ疲れただけのふたりは、帰り道に茶屋に立ち寄った。
 秋馬には船宿を切り回している女房がいる。

「日雇いの荷運びがなくなったので女房に怒られたよ。少しは真面目に船頭をやれってな。まさか抜け荷だったなんて言えないし。しばらくはおとなしく女房の尻に敷かれておくわ」

 絵師として脚光を浴びたい秋馬だ、船宿の女主人の亭主という立場は辛いのだろう。

「そうだ、女将さんに口添えを頼めばいいんだ。絵師は歌麿ではなく、秋馬にしてくださいって」

「その件はまだどうなるかわかりませんよ。女将がゆるすかどうか。ご公儀がゆるすかどうか」

「それもそうだな」

 浮世絵を売るには一枚一枚すべて幕府の許可がいる。
 女将はいわば将軍が預かっている人質であり、フランス国の御台所みだいどころ。許可が出るかは疑わしい。
 なかなかに前途多難に思える。だがそれをなんとかしてしまうのが蔦屋重三郎だ。
 それに許可が出るとしても歌麿か秋馬かと選ぶなら、問うまでもない。女将は歌麿の美人画を、絵の手本にしているくらいに好んでいるのだから。
 お照としても、どうせなら歌麿が描いた女将を見たい。
 だから秋馬が期待を膨らませすぎないようにとお照は釘を刺したのだった。



「なんで出かけてんだい、探したじゃないか」

 お照の顔を見るや激しく叱責するのはお松だった。吉原大門で腕を組んで怒りの形相で立っている。

「どうかしたのですか」

 お松の顔がくもる。

「まさか、父になにか……」
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