傷ついて四葉のクローバーになる

八月朔 凛

文字の大きさ
7 / 16

3話 息をすることはとても苦しい(後編)

しおりを挟む
眩しい光と息苦しさで目が覚めた。白い天井とうっすらと鼻に沁みる消毒の香りに、腕や鎖骨に繋がれている点滴やカテーテルや栄養チューブ。息をする度曇る酸素マスク。間違いなくここは病院だと理解したものの、何故病院にいるのかが分からなく、ミカエラは目覚めたての意識がはっきりしない頭で、必死に考えていた。

「ミカエラ……?ミカエラ!目が覚めたの?……本当によかった!」

 視界の端で、ソフィーが嬉しそうに微笑みながら、ぎゅっと手を握った。手は冷たく、自分の方が何故か温かい。

「ミカ……気が付いたか?ここは基地内の軍病院だ。なにがあったか覚えているか?」

 アンドリューは、いつもと変わらない仏頂面と、腕組みの姿勢でゆっくりと言う。ミカエラは覚えてないと、首を振ろうとしたが、上手く顔や首が動かなく、首の方は火傷をしたような、鈍く深い激痛が、身体を動かす度に走る。

「そうか……ミカ……お前は一週間程前に  ズッヒャーハイト  で撃たれで倒れていたんだ」

 アンドリューは、腕組みをしたままぶっきらぼうな声で言う。
 その瞬間全て思い出した。自分が得体の知らない敵と戦っていたこと、そしてレオンハルトが撃たれたこと。

 ──レオンハルトは無事ですか?──

 声を出そうとしても、何故か声が全く出ない。もう一度振り絞るが、掠れたような声さえ出ない。その代わりに、ただでさえ息苦しい喉に焼かれるような激痛が走り、それと同時に気道が閉まる感覚が襲い、息が吸えない。吐けない。ミカエラは思わず喘ぐような呼吸になる。

「どうしたの?ミカエラ?」

「どうしたんだ!ミカ?!」

 二人は同時に目を大きく見開き、驚いたような声と顔でこちらを見つめる。

 必死に声が出ないことを伝えようと、何とか動く右手で小ぶりなジェスチャーをするが、二人は不思議そうな顔をするばかりだ。

「ミカエラ苦しいの?痛いの?辛いの?医者を呼ぼうか?」

 確かに痛いし、息苦しくて辛いが、今はそれどころでは無いという意味で、何とか首を微かに横に振ると、「じゃあどうしたの?」と聞かれ、必死に『声が出ないの』と口をパクパクすることしか出来ない。『声が出ない』という、たった六文字の言葉さえ伝えることが出来なくて、悔しくて悲しくてまた涙が溢れ出てきた。

「ミカどうしたんだ?息苦しいのか?ジェスチャーだけじゃ……言わないと分からないぞ」

 違う!言えないんだ。喋れないだ。何故か声が出ないんだ!見てくれよ、察してくれと、涙が混ざった目でじっと訴える。

 ──声が出ないんだ。なんにも呻き声さえ出ないんだ──

 ミカエラは息苦しさを我慢して、必死に声をもう一度出そうとするも、カヒュウという音で消される。

「コエガ……デナイ……?……ミカエラ!声が……出ないの?」

 しばらくしてから、ソフィーは目を大きく見開きながら、恐る恐る聞いてきた。ミカエラはやっと気づいてくれたと、安堵しながら小さく頷いた。

「……ヴァルトを呼んでくる!」

 アンドリューも目を大きく見開いてから、滅多に崩さない仏頂面を崩し、勢いよく部屋から出ていった。 

  しばらくして何故か軍医総監《ヴァルト》が、ゴム手袋をはめながら入って来た。それにしても何故軍医のトップが、自分の主治医なのだろうかとミカエラは思いつつ、それを伝えるすべが無いミカエラは、考えることを辞めた。

「こんにちはミカエラくん。目覚めて良かった……声が出ないって?どう見せてくれる?」

 ミカエラは目で小さく頷くと、ヴァルトは「失敬」と言いながら布団を剥がし、ミカエラをベットから少し起こし、それからマスクを外し、口を開けるように指示をされた。

「もう一回出来るかな?声を出してみてくれないかい?」

 もう一度喉に力を入れるが、やはり掠れた声さえ出なく、同じように凄まじい息苦しさと喉の痛みだけが声の代わりだと言うように現れ、苦しくて顔を小さく横に振ると、「ごめんねー」と、言いながら、ヴァルトは、いきなり鉄の器具を口の中に突っ込んた。
 ポケットからペンライトを取り出し、ヴァルトは宝探しをするように、口腔内をじっと見る。金属のひんやりとした冷たさと、舌にじりじりとくる鉄独特の苦味と酸味。ミカエラは何事かと背中にひんやりとした汗をかく。

「……うん、いきなり器具を入れてごめんね。ありがとう」

 ミカエラの体勢やマスクを元に戻すと、ヴァルトは目の横の皺をクシャとさせ、笑顔でそう言う。

「……それでヴァルトさん、どうですか?」
 
 アンドリューは仏頂面を崩さず、腕を組みドアの入口にもたれかかっているような姿勢で低く濁った声で訊く。

「首を切られた時だと思うんだけど、声帯が損傷している」

「そこから何らかの理由で機能が麻痺して声帯としての機能が果たせていない……」

「ステロイドを投与しながら暫くは様子を見るけど、もしかしたら、ずっとこのまま……の可能性があることを頭の片隅に置いて欲しい」

 ヴァルトは一瞬目を伏せてから、真顔に戻りミカエラをじっと見る。ミカエラも力がない目でヴァルトを見つめてから、目を伏せて向いた。
 『戻らない可能性が高い』一瞬他人事のように聞いていたが、喉の痛みと息苦しさ共にじわじわと実感が湧いてきて、背中に何か冷たいものが走り、心臓がバクバクと早く鳴ってるのが感じられる。
 どうして自分だけいつもこうなんだ?必死に生活をして何も悪いことしていないのに、どうしてよりによって一番大切にしていた声なんだ?上手く表情を作れない自分は、これからどうやって自分の意思を伝えればいいんだ?そもそも声を失った自分は生きている価値や意味はあるのか?
 そう考えて続けていると、身体が震え、息が上手く出来なく、なぜだか胸が苦しくなってくる。

「ミカエラ……」

 ──今は誰の言葉も聞きたくない。お願いこっちに来ないで──

 ミカエラは涙ぐんだ顔でソフィーを見ると、首を振った。それを見たソフィーは無言で一歩下がった。それから少し寂しそうな笑顔を浮かべると「また来るね」だ言って部屋を出た。周りの人々もそれを察したのか「またな」と言い、次々部屋から出て行く。
 誰もいなくなった後、ミカエラは大きく呼吸をしながら、光が無い虚ろな目から雨上がりの草露のようにポロポロと涙を流し泣いていたが、やがて体力が無くなっていたのか酷い眠気が襲い、静かに目を閉じた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

愚者による愚行と愚策の結果……《完結》

アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。 それが転落の始まり……ではなかった。 本当の愚者は誰だったのか。 誰を相手にしていたのか。 後悔は……してもし足りない。 全13話 ‪☆他社でも公開します

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...