コッキングへようこそ

笹野にゃん吉

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No.3 そして明日はやって来る

8.違う景色

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 レコードは止まる。
 酒を注いだグラスは涸れる。
 開いたドアもいずれ閉まる。
 
 人生とは、そんなつまらない事の繰り返しだ。 
 一度去った冬もまたやって来て、人は冷たい風に凍える。胃の腑を焼くような熱を求め酒場は賑わう。

 キュッキュ。

 エリック・カークナーは、いよいよそれにも飽いてきた。赤ら顔の客をながめ、耳の裏にこびりついたジャズを聴き流し、うんざりするほど透きとおったグラスを磨く。

 日常というものは、日常ゆえにさしたる変化がなく。
 場所や事を変えても、いつしか馴染み日常になっていく。
 要はきょうも退屈なのだ。

 タリンタリン。

 それでも、まったく同じ今日はない。
 昨日と今日は風の冷たさが違う。客の顔が違う。注文される酒の種類が違う。
 酒場のドアをあけたその人も、これまでとは違っていた。

「いらっしゃいませ」
「エヘヘ」

 入店したのは少女だった。十になったか、ならないかというくらいの小さな女の子。頬骨のうえにそばかすが散っていて、口許に意味不明の笑いをはりつかせていた。冬の寒い夜に、楽しいことなんて何もないはずだ。辛いことや苦しいことなら、いくらでもあるだろうけれど。

 少女は小さくスキップを踏んで、酒場のくさい息をふり払う。
 そうしてに腰を下ろした、くたびれた男と向かい合った。

 酒場を満たすBGMはいよいよ山場だ。
 話している内容までは聞こえない。

 けれどすぐに動きがあって、少女が円卓に灰皿とピンクのキャンドルを置いた。照明の傘に手をつっこんで影を呼び、それを突き放すようにマッチをこする。

 今までとは違う景色だ。
 何度となく繰り返してきた、自分の歩んできた道とは、微妙に異なる何かがそこにはあった。

 キュッ、キュ。

 心なしか、グラスを磨く音もこれまでとは違うようだ。
 そうやって明日も、少しずつ異なるのかもしれない。
 
 結局、退屈なんてボクの怠慢かな?

 エリックは少女を見つめる。
 こちらからでは背中しか見えない。

 それでも判る。
 きっと彼女は笑っているだろう。
 彼女の歩く道程は、決して明るくはないけれど。
 少なくとも地獄ではないはずだから。

 キャンドルの炎が、ひとつの欲望を呑みこめば。
 また一曲が終わって、

 タリンタリン。

 次の曲が始まる。


                      〈そして明日はやってくる(了)〉
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