その男、幽霊なり

オトバタケ

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お婆様とバラ

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 小さな桟橋に向かうと、杭に結ばれたロープの先に手漕ぎボートが浮かんでいた。中には釣り道具一式が乗せられている。

「拓也」

 先にボートに乗り込んだ雅臣が、手を差し出してくる。いつもなら払ってしまうそれだが、ユラユラと揺れるボートに少し恐怖心を抱いていたので、初めて乗るんだから仕方がないと言い訳をして雅臣の手をとる。
 ぐいっと引っ張られて乗り込んだボートは、不安定で足を踏ん張れない感じだが、想像したよりも安定感はあった。一段高くなっている所に腰掛けると、ロープを杭から外した雅臣が、向かいの段に腰を下ろす。そしてオールを握ると、湖の中心を目指して漕ぎだした。
 ボートの形状のせいか、公園の池でデートをしているカップルが脳裏に浮かぶ。いや、目的は釣りなんだ。ピンクのハートが飛び散る妄想をしかけた頭を制する。

「この辺りにしましょうか」
「俺は初めてで何も分からないから、アンタの好きにしてくれ」

 漕ぐのを止めて聞いてきた雅臣に答えると、困ったように眉を下げられた。雅臣に任せっきりで、自分の意思のない俺に呆れたんだろうか。

「用意をしてもらったんですし、釣りをしないわけにはいかないですからね」

 溜め息をつきながら、一人ごちる雅臣。やはり雅臣の気分を害してしまったんだと項垂れる。

「したくないなら無理にしなくていいぞ」
「拓也は、したくないんですか?」
「初めての経験をアンタとできるって楽しみに思ってた。だけど初めてだからって全部アンタに任せて、アンタを嫌な気分にさせるなら、しなくてもいい」
「拓也……」

 苦い思いを吐き出す俺の肩を、優しく抱き寄せてくれる雅臣。包んでくれる腕の中は居心地がよく、揺り籠の中にいるみたいで安心する。

「分かっていないんですね。まぁ、拓也らしいといえば拓也らしいですが」

 ささくれていた気持ちが落ち着きを取り戻してくると、溜め息混じりの呆れ声が耳許を擽ってきた。

「なんのことだよ?」

 身を捩って雅臣の腕の中から抜け出し、発言の意図を探ろうと表情を確かめる。青い瞳には劣情の炎が燃え上がっていて、雅臣が興奮し始めていることを伝えてきた。
 なんで盛ってるんだ? パニックになりながら炎を見つめていると、隠すように目を伏せられた。恥じらうようなその仕草を見て、俺の雄が一気に目を覚ます。

「つ、釣り、するんだろ?」
「そうでしたね。これが拓也の竿です」

 ボート内に漂い始めた妖しい雰囲気を一掃するような能天気な声をあげると、はっとしたように顔をあげた雅臣が釣竿を手渡してくれた。

「竿を軽く振って、餌を遠くまで投げてみてください」

 釣竿をしならせて、弧を描いた釣糸の先を入水させる雅臣。リールを巻いて糸を手繰り寄せ、分かりましたか、と問うように俺を見てくる。
 一連の流れるような動作が格好よくて見惚れていてしまったので、頷くのに数秒掛かってしまった。そこには突っ込んでこず、熱情を抑え込むように無心に釣糸を垂らす雅臣を真似て、俺も釣りを始める。

「……」

 釣りを始めて三十分くらい経っただろうか? 全く動きのない竿先を見つめながら溜め息をつく。
 釣り始めてすぐに雅臣は、二十センチくらいの魚を釣り上げた。その後も順調に釣り上げ、バケツの中には五匹の魚が泳いでいる。あと一時間もすれば頂点に達しそうな太陽の光を浴び、キラキラと輝く魚の鱗を虚ろに眺めていると、ツンツンと竿先が水中に引っ張られた。

「おっ、きた! って、なんだよ、これ」

 初めての当たりが嬉しくて性急に釣り上げたい気持ちを抑え、逃がさないように慎重にリールを巻き上げた先にいたものに唖然とする。

「亀ですね。お気に召しませんか?」
「召すわけないだろ」

 針を口内にがっつり咥え、じたばたと手足を動かしている亀を見て、眉を顰める。

「この亀ならば満足できますか?」
「なっ、なに出してんだよ」

 リールを巻いて釣り針を引き上げた竿を足元に置いた雅臣が、ズボンのファスナーをシャッと開けて、俺の釣り上げた亀より立派な亀の頭を取り出した。じたばた足掻いていた俺の竿先の亀は、ぽちょんと湖の中に沈んでいく。

「魚でなければ満足できませんか?」

 ずんと迫ってくる亀の頭。早くソレを食わせろと言わんばかりに、体の奥がキュウキュウ蠢動する。

「突然日光に晒されて亀が怯えています。何処か、暗くて湿った隠れ家はないでしょうか?」

 雅臣の指が俺の足首に触れ、ゆっくりと上がってくる。膝裏、腿の裏となぞり、隠れるには絶好の洞窟に辿り着く。

「亀を匿ってくれませんか?」

 ノックをするように指先を動かしながら、掠れた声が訊ねてくる。ごくりと唾を飲み込んだのを了承だととったのか、洞窟を隠す衣服を取り払い、ながい指が中の探索を始める。

「くっ、あぁっ……お、おちるっ」

 ユラユラ揺れるボートの上で、雅臣に抱えられて突き上げられる。水面はジャバジャバと波立ち、湖底に吸い込まれそうな恐怖心が沸いてくる。こんな危うい状態なのに異様に興奮しているのは、吊り橋効果とかいうやつのせいだろうか?

「大丈夫ですよ、僕がしっかり抱えていますから。でも……」

 落ちる時は二人で一緒に、とドロドロに甘い声で囁いてくる雅臣。
 雅臣と一緒ならば、どこまでも堕ちていっていい。だが、雅臣と共に行きたいのは、高い高い空の向こうだ。

「天国が、いい」
「そうですね。共に飛び立ちましょう」

 翼を探すように俺の肩甲骨の辺りをまさぐりながら、天国を目指して加速する雅臣。快感で潤んだ視界の先に、楽園が見える。


「ボートの上でやるとか、正気の沙汰じゃないだろ」

 不安定な場所で知らず知らずのうちに体に力が入ってしまっていたのか、泥のように重い体を横たえ、甲斐甲斐しくズボンを穿かせてくれている雅臣に睨む。

「何処でも盛ってしまう僕に嫌気がさしましたか?」

 しゅんと項垂れる雅臣の、叱られるのを怯える子供のような顔を見て、俺だけがフラフラで理不尽さを覚えていた苛立ちが消えていく。

「俺が本当に嫌なことをすると思うのか?」

 欲情した雅臣に流されたわけだが、本当に嫌だったら殴ってでも拒否する。腹筋に力を入れて起き上がり、大きな体を縮めて反省している様子の雅臣の髪を、よしよしと撫でてやる。
 上目遣いで俺の表情を確認する様が、飼い主の機嫌を窺う犬にそっくりで、髪を撫でる掌に力が入ってしまう。わしゃわしゃ撫でられて髪をボサボサにしながらも、幸せそうに破顔する雅臣を見て、俺の頬も痛いくらいに持ち上がる。

「屋敷に戻って昼食をとって、家に戻りましょうか」
「魚はどうするんだ?」

 ちょうどボートの隣でぴちょんと跳ねた魚を見て、バケツの中を確認する。雅臣が釣り上げた五匹の魚は、さっきまでの縦揺れなど気にも留めていないといった感じで優雅に泳いでいる。

「昼食の準備は済んでいるでしょうから、家に持ち帰って夕食にしましょうか」
「じゃあ、母さんに魚を持って帰るって電話しとくな」

 こんな綺麗な湖に住んでいた魚だから旨いんだろうな。魚の味を想像して溢れてきた涎を飲み込む俺に目を細めながら、ボートを漕いで桟橋に向かう雅臣。
 まだ力がうまく入らない体を抱えられて四駆に乗せられ、屋敷に戻っていった。
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