その男、幽霊なり

オトバタケ

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雅臣が異世界トリップ!? そこで出会ったのは……(雅臣視点)

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 朝の挨拶を交わすような、鳥の囀りが聞こえる。そろそろ起床する時間か。そう思い瞼を開くと、紫色の空が広がっていた。
 周囲に視線を巡らす。辺り一面に広葉樹が立ち並んでおり、此処は森の中なのだと分かる。

「どうしてこんなところに?」

 水彩絵の具で描いたような透明感のある景色を眺めながら、ぽつりと呟く。
 まるで絵本の世界に迷い込んだようだな。そんなことを考えながら紫の空を再び仰ぐと、ぱっと脳裏を過った漆黒の瞳。

「夢を見ているんですね」

 昨日は土曜日だったため、拓也と共に一条の屋敷に戻った。
 少し遠回りしてドライブをしてから昼頃に到着し、昼食をとってから僕は一条の経営陣と会議を、拓也はお婆様の話し相手と、夕食まで離れ離れで過ごした。夕食の後は、やっと訪れた二人の時間を堪能した。
 屋敷で過ごす夜は、いつもに増して僕の温もりを欲しがる拓也。寂しかったと訴えるように縋りついてくる体に、罪悪感を覚える。
 僕が拓也のご両親と親しくしているから、拓也も僕の家族と親しくなりたいと考えていてくれていることは知っている。その気持ちに甘え、お婆様の話し相手を頼んだ。
 進んで相手をしてくれるが、やはり気疲れするようで、土曜の夜は快楽の波にたゆたったまま眠ってしまうことが多い。そんな拓也を抱き締めて共に眠れる幸福を得たいがために、拓也に負担がかかると分かっていながら同行させているのだ。

「拓也……」

 神に許しを乞うように、魂の伴侶の名を紡ぐ。
 拓也が離れていってしまった地獄のような日々ーー。忍の術のせいだとは分かっていた。だが本当は、自分本意で独占欲の強すぎる僕が嫌になったのでは、と自己嫌悪に陥った。
 拓也がこの腕の中に戻ってきてくれると、拓也に嫌われた原因だと考えた独占欲はより強くなり、一時も離したくないという気持ちが増した。
 もう拓也を傷付けたくない。僕の想いが拓也を傷付けてしまうのだとしたら……
 その度に傷を舐めて癒すから、ずっと隣にいて欲しい。

「せっかくですから探索してみましょうか」

 悶々と回り始めた思考を断ち切るように、無理やり高揚した声をあげる。夢の中だというのに、五感がはっきりと感じられる。これは、明晰夢というやつなのだろうか。
 前に読んだ明晰夢の記事を思い返しながら清々しい空気を吸い込んでいると、僅かに水音が聞こえた。何かに導かれるように、音に向かって歩き始める。
 縦横無尽に伸びる枝のトンネルを抜けた先には、小さな泉があった。周囲を囲む木々に隠されるように存在する其処には、柔らかな陽射しが降り注いでいる。

「え……」

 脇にある岩に腰掛け、泉に足を浸している人物に釘付けになる。スポットライトを浴びたように浮かび上がる衣は、ギリシャ神話の神々が纏っているものに似ていて、その神々しさに祈りを捧げたくなる。

「拓也?」

 僕の声にピクリと反応し、此方を見る漆黒の瞳。まさに黒い宝石の其れは驚いたように見開かれたあと、嫌悪の色を浮かべて威嚇するように睨んできた。

「なんで俺の名前を知っているんだ?」

 射殺されそうな鋭い眼差しが、僕を射る。
 容姿も、声も、雰囲気も、拓也のそれだが、眠っている僕の体が抱き締めている拓也ではない。なぜなら目の前の拓也には、猫科の動物が持つ三角の耳と細長い尻尾が付いているからだ。
 髪と瞳と同じ、漆黒の耳と尻尾をピンと立て、いつでも攻撃ができるように準備している。手負いの獣のような警戒心丸出しの姿を見せられ、本当の拓也ではないと分かっていても悲しくなってくる。

「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ」

 子供を宥めるように優しく声を掛けるが、眼光の鋭さは変わらない。

「何を、そんなに怯えているんです?」
「怯えてなんかいない」

 怒りを圧し殺したような声で吐き捨た拓也が、ギッと睨みつけてくる。
 プルプルと小刻みに震えているのは怒りのせいだけではないのだろう。脆さが垣間見える瞳にそう思う。

「アンタ、変な格好してるけど、人間だろ?」

 拓也に問い掛けられて自分の体を見ると、何故か燕尾服を着ていた。

「俺を殺しにきたんだろ?」

 僕の返事を待たずして、拓也が次に放った言葉に固まる。

「殺るならさっさと殺れよ。父さんと母さんの時みたいに」

 拓也の顔が、憎悪で歪む。ギリッと奥歯を噛み締める音が、僕の耳にも届く。
 この拓也の両親は、人間に殺されたということなのか?

「僕はこの森に迷い込んだだけです。拓也を傷つける気は一切ありません」

 僕は敵ではない、だから安心して。そう伝わるように微笑み、そっと手を伸ばす。だがその手は、逆立てた尻尾によって払われてしまった。
 鞭のように固い其れに思い切り打たれ、甲が赤く腫れ上がる。ジンジンと痛むが、拓也の痛みに比べたら塵ほどだろう。

「早く殺れよ」
「殺しません」
「アンタ、人間なんだろ?」
「全ての人間が酷いわけではないです」
「そんなこと分かってる。ほんの一握りしかいない気性の荒い獣人を見て、奴等は獣人を悪とみなして虐殺した。そんな仕打ちをされたら、頭では理解できても感情はついていかないだろっ!」

 血を吐くような叫びを浴びせられて、心臓を抉られたような痛みが走る。民族間での虐殺のようなことが、此処では繰り広げられているのか。
 大切な両親を自分達と違う種族というだけの理由で殺され、同種の者たちも次々に虐殺されたら、人間を嫌いになるのも仕方がないことだ。拓也の中から、人間に対する憎悪を消すことはできないだろう。

「僕はこの世界の人間ではないんです。獣人という存在も今知ったばかりです。僕は拓也を憎んではいない。拓也を傷付けるつもりもない。だから、僕だけは信じてください」

 人間は憎いけれど僕だけは特別だと思って欲しいだなんて、エゴ丸出しだな。だけれど拓也の特別になりたくて縋るように見つめる僕を、拓也は未知の生物を見るようかのように眺めている。
 すると、黒髪の間から生えている三角の耳がピクリと動いた。

「やっぱりな……」

 悔しそうに呟いた拓也が、僕から目を逸らす。

「どうしたんです?」
「どうした、だと? 俺の居場所を伝えたのはアンタだろ?」
「なんのことです?」
「駆除部隊が近付いている」

 憎々しげに呟いた拓也が泉から足を上げ、立ち上がる。そして森の奥に向かって一歩を踏み出そうとした時、足が縺れて体勢を崩した。

「大丈夫ですか?」

 咄嗟に駆け寄り、体を支える。必死に身を捩って僕の腕の中から抜け出そうと試みる拓也だが、うまく体に力が入らない様子だ。

「どこか痛むんですか?」
「あの罠を仕掛けたのもアンタなんだろ?」
「罠? どこを怪我したんです?」

 拓也が傷つけられたと分かった途端、憤怒の炎が燃え上がった。拓也の顔を覗き込むと痛みで顰められていて、僕の身も心も針の海に沈められたように痛くなる。
 怪我の箇所を探すように顔から視線を下げていくと、尻尾がレーダーのようにピンと立った。そうだ、駆除部隊が近付いているのだった。

「逃げましょう」

 拓也を横抱きで抱える。やめろ、と藻掻く体を腕の鎖で押さえ付け、拓也が目指していた森の奥に駆けていく。
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