19 / 66
11
しおりを挟む
夕飯を食べ終わり、食洗機に食器を入れる直人の仕事が終わると、後のことは夫人に任せてキッチンを出た。
「先生、見て」
リビングに向かっていると、隣を歩く直人が俺のシャツの裾を引っ張ってきたので歩みを止めた。
「どうした?」
「ほら」
直人が指差す先には玄関の上の吹き抜けに付けられた丸い窓があり、そこには窓と同じ真ん丸な月が映っていた。
「綺麗な月だな。見に行ってみようか」
「うん、行く!」
行き先を変更して、玄関から庭に出る。
広大な庭の、マシンによって綺麗に整えられている芝の上を、屋敷を囲む塀の方に向かって歩いていく。
屋敷からの灯りが届かない距離まで来ると、そこで月を見上げる。
「先生、きれい」
「あぁ、本当に綺麗な月だな」
うっとりと呟く直人の横で、俺も月に見惚れる。
昼間の暖かさが消えて、ひんやりとした空気が月の白い光をより引き立たせるのか、宝石のように美しい。
周りに他の灯りがない静かなここで見上げる月はとても幻想的で、これなら月にウサギが居たり、かぐや姫が住んでいたりという話も、本当のことなのではと信じられそうだ。
「くしゅん」
「寒くなってきたか? そろそろ戻ろうな」
暫く幻想的な月を見上げていたが、隣の直人のクシャミで現実に引き戻された。
「やだ、もっと見る」
「風邪を引いたら辛いのはナオくんだぞ。部屋からだって見られるから戻ろうな」
「じゃあ、こうする」
余程月見が気に入ったのか、戻ろうと諭す俺にむうっと頬を膨らませた直人が、俺の背後に移動して俺を抱き締めてきた。
「ナオ……くん?」
「これならあったかいから平気だよ」
俺の肩に顎を乗せた直人は嬉しそうな声を上げ、月を見上げている。
先生であれ、と叫ぶ頭に反して、直人の温もりに反応した心臓が早鐘を打つ。
雄の本能で徐々に体温の上がっていく体に、直人の行動は暖をとる手段という以外の理由はないんだと言い聞かせる。
「先生、あったかい?」
「あぁ、暖かいけどこれでも風邪を引くかもしれないから、十数えたら戻ろうな。ナオくんは十まで数えられるか?」
「数えられるよ。一、二……」
直人の意識を月から逸らし、ゲーム要素で誘導して戻る方向に持っていく。
「九、十!」
「おっ、ちゃんと十まで数えられたな。じゃあ、玄関までどっちが早く着けるか競争な」
「はいっ!」
「よーい、ドンッ!」
走る前から全力疾走した後のように波打っていた心臓を、ダッシュしているせいだと自分に言い聞かせて、懸命に走る直人の後を追う。
先に玄関に着いたのは、直人だった。
本気で走ったら勝てただろうが、決して足が遅いわけではない直人に、今の状態の俺は態とではなく本当に負けた。
労うように互いの顔を見合って息を整え、呼吸が落ち着いたところで声を掛ける。
「ナオくんの勝ちだな」
「やったぁ! ごほうびは?」
「何が欲しい?」
「チュー!」
「へ?」
「チューだよ」
欲しいと言われたものが予想外すぎて脳が処理出来ずにいると、長い人差し指を自分の唇の端に当てて、ここにしろと訴えるように唇を尖らせた直人。
「お母さまが、ごほうびでくれるの」
呆然と直人の顔を見つめていると、急かすように言ってくる。
直人にとっては、母親から普通に貰っているご褒美なのだ。
母親が子供を抱き締めたりキスしたりするのは、動物の親が子供の毛繕いをすると同じ自然な行為だ。
母親に貰うものを俺からも貰いたいと言ってもらえ、先生として受け入れてもらえているのが分かって嬉しい気持ちと、俺からだけに貰いたいわけではないということへの不満からくる胸の痛み。
正と負の相反する感情が混ざりあった嵐が、体の中を駆け抜けていく。
「お母様にいつもご褒美で貰っているなら、お母様にしてもらおうか」
「お母さまじゃいやだ」
「じゃあ梅田先生に……姫子おば様が来た時にしてもらおう」
「姫子おばさまとはチューしないの」
俺からのご褒美のキスに執着する直人に淡い期待を抱きそうになってしまう雄の俺を、直人は幼児と変わらないのだと先生の俺が必死に止める。
「お母様はナオくんの家族だからチューしてくれるけど、先生は家族じゃないからチュー出来ないんだ」
どうにかして諦めさせようと、直人が納得できそうな言葉で説得する。
「けっこんしたら、かぞくでしょ?」
「まぁな」
「ぼくは先生とけっこんするから、かぞくだよ」
大人の男にしか見えない真顔の直人に言われ、ドクンと鳴った心臓が高速で心音を刻みだして動けないでいると、ニコッと微笑んだ直人が俺の両頬を掌で包んで強引に上を向かせた。
月光を浴びた直人の整った顔がスローモーションで近付いてきて、唇を優しい熱が包んだ。
柔らかくて心地好い、そして砂糖菓子のように甘いその感触は、どこかで味わったことのあるものだ。
思い出そうとしているのか、チリチリと疼きだした脳に気を取られているうちに離れていってしまったその感触に寂しさを覚え、もっと欲しいと手を伸ばそうとして我に返る。
「ナオくん、今のは……」
「お父さまとお母さまはけっこんしきでお口にチューしたの」
その言葉で、唇に感じたあの感触は直人の唇だと分かった。
他人とキスするのが吐くほど気持ち悪くて拒否し続けていた俺の初めての口付けは、吐き気など感じない蕩けそうなほど甘くて気持ちのいいものだった。
直人と触れ合った唇をそっと指でなぞると、細胞が喜んでいるのか熱を持っていた。
「ナオ……」
「先生、ナオくん、どこにいるの?」
完全に雄の俺になってしまい続きを欲しがるように直人の名を呼ぼうとしてしまっていたところを、二人の姿が見えないことを心配した夫人の声によって、先生の俺が戻ってきた。
「お母様が探しているから家の中に戻ろうな」
バクバク鳴り続けている心臓を無理矢理抑え込んで、冷静な声で告げて玄関の扉を開ける。
「先生、もっとチューしたい」
「結婚したらチュー出来るんだろ? 先生はナオくんが一人で何でも出来るようになったら結婚するって約束しただろ。だから、それまでチューもお預けだ」
「ごほうびでも?」
「あぁ。ご褒美は違うものをあげるからな」
キスに異常に拘り、その場を動こうとしない直人を諭し、なんとか室内に入らせる。
直人にとってキスは結婚の象徴で、同じことをすれば大好きな両親に近付けるとでも思っているのだ。
初めての口付けに浮かれて、叶うはずのない淡い期待に胸をときめかせている自分を叩き割るように、胸を叩いた。
「先生、見て」
リビングに向かっていると、隣を歩く直人が俺のシャツの裾を引っ張ってきたので歩みを止めた。
「どうした?」
「ほら」
直人が指差す先には玄関の上の吹き抜けに付けられた丸い窓があり、そこには窓と同じ真ん丸な月が映っていた。
「綺麗な月だな。見に行ってみようか」
「うん、行く!」
行き先を変更して、玄関から庭に出る。
広大な庭の、マシンによって綺麗に整えられている芝の上を、屋敷を囲む塀の方に向かって歩いていく。
屋敷からの灯りが届かない距離まで来ると、そこで月を見上げる。
「先生、きれい」
「あぁ、本当に綺麗な月だな」
うっとりと呟く直人の横で、俺も月に見惚れる。
昼間の暖かさが消えて、ひんやりとした空気が月の白い光をより引き立たせるのか、宝石のように美しい。
周りに他の灯りがない静かなここで見上げる月はとても幻想的で、これなら月にウサギが居たり、かぐや姫が住んでいたりという話も、本当のことなのではと信じられそうだ。
「くしゅん」
「寒くなってきたか? そろそろ戻ろうな」
暫く幻想的な月を見上げていたが、隣の直人のクシャミで現実に引き戻された。
「やだ、もっと見る」
「風邪を引いたら辛いのはナオくんだぞ。部屋からだって見られるから戻ろうな」
「じゃあ、こうする」
余程月見が気に入ったのか、戻ろうと諭す俺にむうっと頬を膨らませた直人が、俺の背後に移動して俺を抱き締めてきた。
「ナオ……くん?」
「これならあったかいから平気だよ」
俺の肩に顎を乗せた直人は嬉しそうな声を上げ、月を見上げている。
先生であれ、と叫ぶ頭に反して、直人の温もりに反応した心臓が早鐘を打つ。
雄の本能で徐々に体温の上がっていく体に、直人の行動は暖をとる手段という以外の理由はないんだと言い聞かせる。
「先生、あったかい?」
「あぁ、暖かいけどこれでも風邪を引くかもしれないから、十数えたら戻ろうな。ナオくんは十まで数えられるか?」
「数えられるよ。一、二……」
直人の意識を月から逸らし、ゲーム要素で誘導して戻る方向に持っていく。
「九、十!」
「おっ、ちゃんと十まで数えられたな。じゃあ、玄関までどっちが早く着けるか競争な」
「はいっ!」
「よーい、ドンッ!」
走る前から全力疾走した後のように波打っていた心臓を、ダッシュしているせいだと自分に言い聞かせて、懸命に走る直人の後を追う。
先に玄関に着いたのは、直人だった。
本気で走ったら勝てただろうが、決して足が遅いわけではない直人に、今の状態の俺は態とではなく本当に負けた。
労うように互いの顔を見合って息を整え、呼吸が落ち着いたところで声を掛ける。
「ナオくんの勝ちだな」
「やったぁ! ごほうびは?」
「何が欲しい?」
「チュー!」
「へ?」
「チューだよ」
欲しいと言われたものが予想外すぎて脳が処理出来ずにいると、長い人差し指を自分の唇の端に当てて、ここにしろと訴えるように唇を尖らせた直人。
「お母さまが、ごほうびでくれるの」
呆然と直人の顔を見つめていると、急かすように言ってくる。
直人にとっては、母親から普通に貰っているご褒美なのだ。
母親が子供を抱き締めたりキスしたりするのは、動物の親が子供の毛繕いをすると同じ自然な行為だ。
母親に貰うものを俺からも貰いたいと言ってもらえ、先生として受け入れてもらえているのが分かって嬉しい気持ちと、俺からだけに貰いたいわけではないということへの不満からくる胸の痛み。
正と負の相反する感情が混ざりあった嵐が、体の中を駆け抜けていく。
「お母様にいつもご褒美で貰っているなら、お母様にしてもらおうか」
「お母さまじゃいやだ」
「じゃあ梅田先生に……姫子おば様が来た時にしてもらおう」
「姫子おばさまとはチューしないの」
俺からのご褒美のキスに執着する直人に淡い期待を抱きそうになってしまう雄の俺を、直人は幼児と変わらないのだと先生の俺が必死に止める。
「お母様はナオくんの家族だからチューしてくれるけど、先生は家族じゃないからチュー出来ないんだ」
どうにかして諦めさせようと、直人が納得できそうな言葉で説得する。
「けっこんしたら、かぞくでしょ?」
「まぁな」
「ぼくは先生とけっこんするから、かぞくだよ」
大人の男にしか見えない真顔の直人に言われ、ドクンと鳴った心臓が高速で心音を刻みだして動けないでいると、ニコッと微笑んだ直人が俺の両頬を掌で包んで強引に上を向かせた。
月光を浴びた直人の整った顔がスローモーションで近付いてきて、唇を優しい熱が包んだ。
柔らかくて心地好い、そして砂糖菓子のように甘いその感触は、どこかで味わったことのあるものだ。
思い出そうとしているのか、チリチリと疼きだした脳に気を取られているうちに離れていってしまったその感触に寂しさを覚え、もっと欲しいと手を伸ばそうとして我に返る。
「ナオくん、今のは……」
「お父さまとお母さまはけっこんしきでお口にチューしたの」
その言葉で、唇に感じたあの感触は直人の唇だと分かった。
他人とキスするのが吐くほど気持ち悪くて拒否し続けていた俺の初めての口付けは、吐き気など感じない蕩けそうなほど甘くて気持ちのいいものだった。
直人と触れ合った唇をそっと指でなぞると、細胞が喜んでいるのか熱を持っていた。
「ナオ……」
「先生、ナオくん、どこにいるの?」
完全に雄の俺になってしまい続きを欲しがるように直人の名を呼ぼうとしてしまっていたところを、二人の姿が見えないことを心配した夫人の声によって、先生の俺が戻ってきた。
「お母様が探しているから家の中に戻ろうな」
バクバク鳴り続けている心臓を無理矢理抑え込んで、冷静な声で告げて玄関の扉を開ける。
「先生、もっとチューしたい」
「結婚したらチュー出来るんだろ? 先生はナオくんが一人で何でも出来るようになったら結婚するって約束しただろ。だから、それまでチューもお預けだ」
「ごほうびでも?」
「あぁ。ご褒美は違うものをあげるからな」
キスに異常に拘り、その場を動こうとしない直人を諭し、なんとか室内に入らせる。
直人にとってキスは結婚の象徴で、同じことをすれば大好きな両親に近付けるとでも思っているのだ。
初めての口付けに浮かれて、叶うはずのない淡い期待に胸をときめかせている自分を叩き割るように、胸を叩いた。
0
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる