先生、教えて。

オトバタケ

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(ここはどこだ?)

 酷く体が痛み、顔を顰めながら目を開けると、壁と壁に挟まれた薄暗い通路にビール瓶のケースが乱雑に置いてあるのが見えた。
 生ゴミの臭いなのか、どこかから腐った卵のような臭いが漂ってきて、吐きそうになって鼻を摘まむ。

「ってぇ……」

 動かした腕の骨がギシリと鳴って、体中に鋭い痛みが走った。
 力を入れるとジクジク痛む腹に注意しながら徐々に上半身を起こしていくと、みみず腫と痣と火傷が所狭しと付いている、みすぼらしい体が目に入ってきた。
 太股には白と赤の液体がこびりついていて、そこに液体を流している孔は相当酷い状態なのか、痛みも感じないくらい麻痺している。

「さむっ……」

 自分の置かれた状況を理解すると、急に寒気を感じた。
 申し訳程度に全裸の体の肩に掛けてあったスプリングコートで身を包む。
 これは、俺のコートだ。
 花冷えで震え始めた体を擦って温めながら、他の服を探すべく辺りを見渡す。
 汚ならしい路地裏のどこにもコート以外の服はなく、諦めの溜め息をつく。

 何故こんな所にこんな格好でいるのか思い出そうとするが、霞がかかったようにぼんやりしている脳は思考を拒否する。
 体の状態から、悪趣味な男を引いてしまったのだということは分かるので、それ以上の情報は必要ないかと考えるのを放棄し、再び地面に寝転がる。
 このまま眠れば、凍死するだろうか?
 こんな穢れた体なんて無くなってしまえばいい。

「おい、大丈夫か?」

 うつらうつらしていると、甘い響きのバリトンヴォイスが上から降ってきた。
 何かに導かれるように瞼を開くと、大人の色気の漂う逞しい体を高級そうな黒いスーツで包んだ男が、俺の顔を覗いていた。
 柔らかそうな鳶色の髪の下の顔は、夜なのに何故か逆光のように影がかかっていて見えない。

「このまま死ぬんだ。放っておいてくれ」

 こんな汚い路地裏で全裸にコート一枚の傷だらけの訳ありの男に声を掛けるなんて、汚いことなど知らない愛が溢れた環境で育ってきたのだろう。
 俺とは別世界に住む男に羨望と嫉妬を覚え、冷たく言い放つ。

「簡単に死ぬなんて言うな」
「お前みたいに順風満帆に生きてきた奴には、死んで解放されたいってのが分かんねぇんだよ」
「死んだつもりで全てを捨てて生きることだって可能だろ」
「なんだよお前、ヒーロー気取りなわけ? じゃあヒーロー様が俺を抱いてくれたら生き続けてやる」
「そんな体を抱けるわけないだろ」
「そうだよな、こんな汚い体なんて抱けねぇよな」

 自嘲して笑う俺の顔に、逆光で見えないが何故か整っているのだと分かる男の顔が近付いてきて、柔らかな感触が唇に当たった。

「君は汚くはないぞ」
「え……」

 表情は見えないが、男が優しく微笑んでいるのだと何故だか分かる。そう、さっき唇に当たった感触と同じように。
 そっと指で唇に触れると、男がクスッと笑った。

「なんだよ」
「抱いてくれなどとせがむくせに、キスでそんな初な反応をするのが可笑しくてな」
「うるせぇ」

 カーッと顔に血が集まっていくのが分かるが、からかってくる男に負けたくなくて顔を背けずに睨みつける。
 関係を持った男の何人もが俺とキスをしたがったが、唇が近付いてくると悪寒が走って吐き気を感じ、とてもじゃないがキスなんて出来なかった。
 男からは不意討ちでされたわけだが、した後も吐き気は感じなかったし、気持ち悪いどころか気持ちよさを感じてしまった。

「なぁ」

 男の腕を掴んでこちらに引き寄せ、そっと唇を合わせてみる。
 やはり気持ち悪さなど微塵も感じず、甘くて柔らかいその感触に幸せな気持ちしか沸いてこない。
 甘い砂糖菓子を食べているような幸福感を味わいたくて何度も何度も唇を押し当てる俺を、男は微笑んで受け入れてくれていた。

「うわっ、何するっ……」
「怪我を治療しなければならないだろう」

 もう何度目か分からないキスをした俺の体を、横抱きで抱き上げた男。
 細身ではあるが百八十センチ近くある俺を余裕で抱えあげる男が憎らしくて、その厚い胸板を拳でドンドンと叩く。
 俺の抵抗など蚊に刺されたくらいにしか感じていないのか、足元が縺れることなく歩き始めた男。

「お前、格好いいのな。やっぱ抱いてくれよ」
「俺に男を抱く趣味はない。だが、君が真っ当に生きるようになったら抱いてやってもいい」
「マジ? 約束だからな」

 男の柔らかな髪を掴み、口付けをせがむ。
 男とのキスは優しく穏やかな気持ちになれて、自分には穢れた血など流れていないような気になった。
 男に抱いてもらえれば、この体が綺麗になるかもしれない。

「お前が抱いてくれるまで誰とも関係を持たないから。一度死んだつもりで新しい人生を歩いていくから。だから、今度会う時は絶対に抱いてくれな。約束だぞ……」

 キスの合間に必死で訴える。
 男は了承するように優しいキスをくれる。
 男から薫る甘い香りと温もりが心地好くて、いつの間にか眠りに落ちていった。
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