先生、教えて。

オトバタケ

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 夜の帳が下り始める頃に、国重邸に辿り着いた。
 紫色に染まった幻想的な空の下を、繋いだ手はそのままで玄関へと続くアプローチを寄り添って進む。

「ただいま戻りました」
「ただいま」

 直人との関係と、ずっと共にいる決意を夫人に告げる覚悟を決め、繋いだ手を解かずに玄関のドアを開けるが、帰宅の挨拶をしても夫人はなかなか出迎えに現れない。
 夕飯の準備で手が離せないのだろうか?
 明かりの灯っているキッチンを見てそう思いながら、直人と並んでそこに向かう。

「奥様?」

 電気はついているのに姿の見えない夫人に首を傾げながらも奥に進むと、シンクとテーブルの間に横たわる人影があった。

「お母さま、だいじょうぶ?」

 それが、何かを掴もうとするように伸ばされた腕に頭を乗せて横向きで倒れている夫人だと分かった途端、俺と固く繋いでいた手を解いて母親の元に駆け寄っていく直人。
 離れていった手の温もりにチクリと胸が痛んだが、夫人の顔色が尋常ではないくらい青白かったので、醜い嫉妬はすぐに消え去った。
 抱き抱えようとする直人を、こういう時は無理に動かしては駄目だったのだと咄嗟に思い出して止める。
 状態を確かめるために恐る恐る触れた夫人の頬は、多少冷えているがちゃんと温もりがあり、脈も呼吸もしっかりとあったので、最悪の事態にはなっていなかったと胸を撫で下ろす。

「梅田先生をすぐ呼ぶな」

 石のように固まって動かない夫人におろおろしている直人に余裕があるように装って告げ、本当は直人と同じで動揺して震える指で梅田先生に電話をする。
 焦って自分でも何を言っているのか分からなかったが、異変に気付いた梅田先生は、すぐに向かうから夫人を動かさないように、と指示を出して電話を切った。
 急いで一階の寝室に向かい、二階の寝室同様にベッドだけが置かれたシンプルな部屋の、一人で眠るのにちょうどいい広さのベッドから掛け布団を掴み、キッチンに戻って夫人に掛ける。

「お母様は眠っているだけだから大丈夫だ」
「ほんとぉ?」

 医者である梅田先生に診てもらわないと本当のところは分からないが、呆然と立ち尽くしている直人を襲っている恐怖を少しでも弱めてやりたくて、そう声を掛けて微笑み掛けると、ほっとしたように固まっていた顔の筋肉が弛んだ。

「お母さま、いつ起きるかな?」
「サーカスの話を聞きたがっていたんだ、すぐに目を覚ますさ。起きるまで静かにして、ゆっくり寝かせてあげような」
「うん」

 膝立ちになって母親の顔を覗き込む直人を、心配いらないからなと落ち着かせるように背後から抱き締める。
 梅田先生が現れるまで、そのまま夫人を見守っていた。

 慌ただしい足音と共に息を切らした梅田先生が現れると、夫人の状態を確認して寝室に運ぶように指示を出してきた。
 勢いよく抱き抱えようとする直人を制して俺が夫人をベッドまで運ぶと、診察をするからと部屋から追いやられた。

「お母さま、どっか痛いの?」
「昨日、足が痛いって言ってたろ? だから、念のために診るんだ」

 眠っているだけのはずの母親が診察を受けると聞いて不安に襲われている直人に、大丈夫だからなと微笑んで抱き締めてやり、落ち着かせるように背中を撫でてやる。
 俺の肩に顔を埋た直人は、静かにそれを受け入れている。

「あらら、こりゃ、まぁるく収まっちゃったってやつか?」

 軽い口調でおちょくってくる声に振り返ると、そこにいたのは直人の従兄弟で、梅田先生の息子の克己だった。

「克己?」

 俺の肩から顔を上げた直人が従兄弟の姿を確認すると、俺を力の限りで抱き締めてきた。

「先生はぼくのだからな。ぼくと先生はけっこんしたんだから、先生にさわっちゃだめだぞ」
「結婚か。そりゃ、おめでてぇこって」

 怒気を孕んだ声で威嚇する犬のように宣言した直人に、鼻で笑いながら答える克己。

「ナオくん、お姉ちゃんが目を覚ましたわ。顔を見せてあげて」

 ちょうど診察を終えて部屋から出てきた梅田先生が不思議そうに俺達を見ながら、直人に告げる。
 嬉しそうに部屋に入っていく直人の後ろ姿を見て、また嫉妬の炎が燃え上がりそうになり、それを必死で鎮火していると、暫く無言で顔を顰めていた梅田先生と克己が話を始めた。

「もう駄目なのか?」
「えぇ。すぐに始めて欲しいそうよ」
「けっ、二十六年掛けたのに一年でおじゃんかよ」
「一年でも、またお姉ちゃんと話せて嬉しかったわ」

 目尻に溜まった涙を指で掬いながら言う梅田先生と、やるせなさそうな顔をしてボリボリと頭を掻く克己。
 一体、何の話をしているんだ?

「記憶の戻った直人に、嬲り殺されたりしねぇよな?」
「お姉ちゃんの記憶も戻るんだから、納得するはずよ。お姉ちゃんの最期の望みなんだもの、絶対に成功させるわよ」
「分かってるって。けど、失敗しても開発した直人の責任だから笑ってやるけどな」

 先程までの渋い顔から一転、穏やかな笑みを浮かべて会話する梅田親子に、益々話が読めなくなって頭が混乱する。

「私は先に準備をしておくわ。克己はナオくんを眠らせて運んで頂戴」
「あいよ」

 直人と夫人のいる部屋に戻っていく梅田先生を呆然と見送りながら、交わされていた会話の内容を理解しようと脳を動かすが、全く分からない。
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