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第2章

その7 決闘は突然に

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 ここはエルレーン公国首都シ・イル・リリヤにある公国立学院。

 学生食堂での夕食は大宴会になった。
 ムーンチャイルドの特製料理が、学生全員にふるまってもなお余りあるくらいに提供されたのである。

「うまいうまい」
「すんげーうまい」
「男子たちちょっと遠慮しなさいよ。女子にも料理を!」
「嘘つけ女子だってバクバク食ってんじゃん」
「おいしいものに男女の別はないっ!」
「とにかくマジうめえ!」

 むさぼり食う学生たち。みんな至福の表情である。

 そこへ男子寮の監督であるシャンティさんと護衛のミハイルさんが飲み物を持ってきてくれる。至れり尽くせりだ。

「さあみなさん、お好きなものを選んでください。食べてばかりだとエネルギー酔いしますよ」
 飲み物はムーンチャイルドが作ったものではなく普通の天然水やジュースや紅茶、コーヒーなどだった。

 大陸南部の国で栽培されているコーヒーまであるとはすげえ。さすが大都会シ・イル・リリヤだ。
 しかしワインとか、おれの田舎で日常的に飲まれていたアスワ(発芽したトウモロコシから作るアルコール度数の低い酒)みたいなものは用意されていない。おいしい天然水があるから必要ないか。学校の食堂なんだしな。

 やがて山のようにあった料理もほぼ食い尽くされる頃。腹も満ちるしエネルギー充填されて元気になった学生たちは、思い思いに歓談を始めた。

 料理がある間はみな無口だったのだ。

「昼も《呪術師(ブルッホ)》様が来てくださって、感激したな~。あのステーキもマジ美味かった。今日は良い日だった!」
 幸せそうなモルガン君。

「ふふふ、モルは《呪術師》様が手ずからステーキ切り分けてくれたのがいちばん嬉しかったんだよね~」
 満面の笑顔のブラッド。

「ブラッドはよくわかってるな。てか、わかりやすすぎだろモルガン。本当に《呪術師》様のこと大好きなんだなあ」

「そ、そんなことはないっ」
 むきになって打ち消そうとする。

 おっと、口を滑らせたかな。

 モルガンの顔が、赤くなった。
 バレバレなのに。
 この世界では同性婚だってあるってのに、学長に恋してるって認めたくないのか?

「……《影の呪術師》様……カルナック師匠には、ずっと以前から、好きな人が、いらっしゃるんだから」

 おおっと~!
 それって、このおれ、リトルホークのことなんだよな。
 照れるぜ。

「ちょっとモルガン。めったなこと言わないでよ」
 近くに居た女子が、モルガンにくってかかった。

「そうよ。ルーナリシア殿下が学院をご卒業されたら、いずれ良き日を選びご成婚だもの。こころよくお祝いすることを考えて!」

 あれ?
 ちょっとニュアンスが微妙?
 カルナック学長とルーナリシア殿下との婚姻を、学院内でも、誰もが無条件に祝福してるわけじゃないのか?
 ……そうだなあ。
 みんなカルナックのことを師匠と慕ってる。
 誰かの夫になってしまうのは、取られたみたいに思うのかも……

「よっ、リトルホーク! おまえも飲めよ」
 そのとき、横から差し出された木製のゴブレットには、縁まで、なみなみと液体が注がれていた。底のほうから細かい泡が立ちのぼっているのが見て取れる。

「まあ飲め! とにかく飲め! 安心しろ、酒じゃあない」
 赤ら顔の金髪美形青年がそう言った。
「ま、おまえも、やけ酒でも飲みたくなるだろう?」

「はぁ?」
 ぐいっとゴブレットを押しつけてきたのはエーリクだった。
 赤ら顔の大酒飲みはドワーフの専売特許ではなかったらしい。

「エーリク! 水に酔ったのか!? 酔うほど飲むなって! 寮長に言われただろ!」

「平気だよ。寮長も、酔ってるから」

「おいおい……」
 指さす方を見れば机に突っ伏して寝息を立てているシャンティさんがいた。ミハイルさんはかいがいしく世話を焼いている。

 ふと思い出す。
 シャンティさんたちと初めて出会った、祭りの時のことを。
 ……懐かしくて。
 涙が勝手に出てくる。


 ルナ。おれのルナ。
 おれは早く、この都で名を上げなきゃいけない。
 そしておれたちはもう一度、婚約式と結婚式をあげるんだ!

 しかしエーリクは引っ込まなかった。
 本当に酔っているんじゃないのか?

「だけど、リトルホークも苦労するなあ」
 完全に絡み酒だよ、このアホは。

「学長のパトロンが、ムーンチャイルドにもご執心だしな。まあ学長もそれだけは応じないと断っているそうだが」

「なんだって」

 つららでも背中に差し込んだみたいに。背筋がすうっと冷えた。

「おや、きょう入学したばかりじゃ知らないのも無理なかったな。学院内じゃ有名な話、ルーナリシア殿下との婚姻は隠れ蓑で、本当の恋人は……フィ」

 ばんっ!

 突然、食卓に勢いよく手をついた誰かが、エーリクの口にパンを押し込んだ。

 顔色を変えたブラッドが。
 パン籠を抱えてエーリクの傍らに立っていた。

「もごもごもご」

「それ以上は口にするべきではありません、エーリク先輩。たとえあなたが公子と繋がりの深い、身分の高い方であろうとも。少なくとも今、ここでは」
 ブラッドの全身を包む、危険なまでに燃え立つ陽炎を、おれは、いや、そこにいた全員は目撃した。
 精霊の水に酔って寝てしまったシャンティさん以外の全員が。

「ムーンチャイルドと《影の呪術師》様の名誉を傷つける不遜な発言の数々、以前から腹に据えかねていました。ぼくは、あなたに決闘を申し込みます!」

 ブラッドはエーリクにパン籠を投げつけたのだった。

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