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働き蜂
三
しおりを挟む新しい畳が敷かれたとある部屋。
庄右衛門は入って早々、無理矢理跪かせられた。
「兵次郎様、浅桜庄右衛門を捕らえました!」
庄右衛門は前方の上座に座る男を睨みつけた。上質な羽織と優雅な着物姿で正座をする、柔和な壮年……椿山兵次郎だ。
「よく帰ってきたねえ、庄右衛門」
優しい微笑みを浮かべ、穏やかな口調で話しかけてきた。殺した相手が生きているというのにさほど驚かない様子だ。庄右衛門は訝しむ。
「なんで戻ってきたのかな、と思ったけど、まさか僕に復讐しようと企んでいるのかな?」
「それ以外に理由はねえよ」
庄右衛門が唸ると、兵次郎は大袈裟に身震いしてみせた。
「それは困ったなあ。白兵戦じゃ君にはまるで歯が立たないし、逃したらせっかく罪をなすり付けて極悪人にした意味がなくなってしまうね」
兵次郎の薄く形の整った唇が弧を描いた。
「じゃあ、やっぱり今回も殺す事にしよう。でもただ命を奪うのだけはつまらないよね」
そう言って後方に手招きした。忍びのものが盆を持ってきた。
やっとこ(ペンチ)、大振りのハサミ、釘に小ぶりの槌などがずらりと載っている。一見するとただの大工道具だが、それらを目にした庄右衛門はうっすらと冷えた汗を流す。兵次郎は嬉しそうに笑った。
「流石に仕事でも使うしねえ。これから何されるかわかったんだね」
どこからか取り出した細長い木製の笞を手に持ち、庄右衛門の広い背中を兵次郎の細い指が這った。耳元で優しく囁く。
「あの時はすぐに殺しちゃったからなぁ。ジワジワといたぶってから殺してあげる。まずは笞打ちからにしようか」
「兵次郎の居場所に心当たりがあるの?」
雪丸はあざみと並走しながら尋ねる。あざみは雪丸の瞬足に驚きながらも返事をした。
「兵次郎はね、元くのいちなの。その立場を活かして堺(現在の大阪)の近くの娼家を隠れ蓑にしているわ。その娼家で働いている人たちは皆、忍びかくのいちよ」
「えっ?くのいちって女性の忍びのことじゃないの?」
雪丸が疑問に思うと、あざみは説明してくれた。
「敵方の人間に、時には春を売ってでも懐に入り込んで情報を得るのがくのいちの仕事よ。もし相手が男色を嗜んでいるなら、男のくのいちも必要なの。」
雪丸はへえ、という間抜けな返事をしてしまった。庄右衛門と兵次郎の間柄どころか、兵次郎がどんな人間かもわかっていなかった。
「庄右衛門と兵次郎は幼馴染って聞いたことはあるんだけど、私はほとんど話を聞かせてもらえなくて……」
「全く庄右衛門たら、一緒に旅をしているんだったら説明しときなさいよ……」
海が見える小高い丘に着いた。夕暮れがじわじわと水平線に沈む。
あざみが茂みの中に身を隠すよう声をかけた。どうやら、ここであざみの仲間と合流するらしい。
「流石に敵の隠れ家に少人数で行くのは危険だわ。おまけに相手は兵次郎……気を抜いたら命はない」
あざみが指さす方向を見ると、丘から一里半(六km)直線上、森を抜けたところに小さな町がある。どうやら宿場のようだ。その西側に妖しい紅色に染まった建物があった。娼家だ。
「兵次郎の隠蓑はあそこよ。恐らく庄右衛門が連れ込まれたはず。仲間は今、別件で兵次郎を張っているの」
あざみが説明すると、雪丸に向き直った。
「庄右衛門と兵次郎のこと、仲間が来るまで話してあげる」
庄右衛門と兵次郎は幼馴染で、親友でもあった。
同じ里に生まれ同じ鍛錬を行い、同じ戦場に赴いたりして長い時を共にした。
庄右衛門は体術、忍術全てに秀でていたので新人教育を担当するようにもなった。
厳しく恐ろしいことで有名なのでいつしか「鬼の庄右衛門」と呼ばれるようになった。
もっとも、厳しくするのは戦場で何がなんでも生き残って欲しいという思いからくるもので、鍛錬や戦場以外では思いやり溢れる人間だったゆえに、かなり慕われていた。
忍びの里の頂点に立つ者を上忍と呼ぶが、庄右衛門はその部下の隊長の役割を受け持つ中忍という立場で戦場に赴いた。
兵次郎も忍びとして優れてはいたものの、どちらかというと参謀役であり、見た目も整っていて相手の機微にもすぐ気付くことから、中忍を受け持ちつつもくのいちの仕事を担うことが多くなった。
くのいち部隊の新人教育を担当し、柔和で見目麗しいことから「華の兵次郎」と呼ばれていた。同じくのいちや、女性から大変人気であった。
鬼と華。
特性の違う者同士ではあったが気は合うようで、二人は仲が良かった。兵次郎は良縁に恵まれなかったのか嫁を娶らず、浅桜家と家族ぐるみで交流をしていたそうだ。
しかし、庄右衛門の嫁・はると親しかったあざみによると、数年前からはるは兵次郎を気味悪がっている様子だったと言う。どことなく睨んでいるように見えて、何か怒らせるようなことをしただろうかと気に病んでいた。
予兆といえばそれくらいで、ある日突然兵次郎は浅桜家を裏切って罪を被せ、里を抜け出し好き放題し始めた。
兵次郎の慇懃さは有名だし、心優しい男だったのに、なぜそこまで残酷なことをしたのか、周りの誰もわからなかった。庄右衛門も、最後まで兵次郎を疑いもしなかったのだ。
「兵次郎は、あたしの師匠でもあるのよ」
言われて、雪丸はあざみがくのいちであることを思い出した。
「庄右衛門も、あたしの憧れだった……だからこそ許せないのよ。大切な人同士でこんなに酷い事件が起こるなんて考えもしなかったんだから。
死んでしまったはずの庄右衛門が帰って来てくれたのは奇跡以外の何ものでもない。なんとしても、今回は庄右衛門を死なせたくないの……」
あざみの伏せた瞼に、長い睫毛が震えている。
庄右衛門の嫁の言葉を真剣に聞いていれば、兵次郎をもっと疑っていれば、と悔やんでいるのだろう。
雪丸はあざみの肩を軽く叩いた。
「兵次郎が裏切ったのは庄右衛門自身も信じられなかったくらい、誰も予想が付かなかったんでしょ?でも今度はあざみさんも気付いて、仲間も来てくれる。それに私もいる。絶対に庄右衛門を助け出せるよ!」
雪丸が勇気付けるように言うと、あざみは軽く笑って礼を言った。
「女に咄嗟に優しい言葉をかけられるなんて、あんた若いけどいい男だねえ」
「いやあ、それが私、こんな格好してるけど、女なんだ……」
雪丸が困ったように笑うと、あざみはあんぐりと口を開けた。
何か言おうとしたが、茂みの前に音もなく十五人の忍びの者が現れた。先頭にいる初老の中忍が頭巾をずらす。
「爺、娼屋の様子はどうだった?」
あざみが伺うと、あざみに爺と呼ばれた初老の中忍はムッとした顔をしている。
「爺ではない、團蔵と呼べと何度言えばわかるんだ!今までどこへ行っていたんだ?兵次郎の娼家を探る任務を言いつけたのに、ここ数週間姿を眩ましたかと思えば、急に出てきおって……」
「傷心旅行ですぅ」
まさか北へ逃げようとしていたなどと言えないので、すっとぼけるあざみ。團蔵は知ってか知らずか、ため息を吐 きつつ続けた。
「全く、おかげでわしがお前の代わりに出なければならなくなったのだぞ……まあ良い。戻ってきたのだから、今回のことは咎めはせぬ。
先程兵次郎の娼家を偵察していたら、信じられんことだが庄右衛門が連れ込まれた」
「庄右衛門が?本当に本人だったんですか?」
「猿轡を噛まされていたが、あんなに見慣れた顔だ。今更間違えたりはせん。一体どうなっておるのだ?あやつは間違いなく死んだはずだ」
あざみと雪丸が目を合わせると、團蔵は眉を顰めた。
「……その少年は誰だ?」
「雪丸。庄右衛門を助けだす手がかりになるそうよ」
あざみが気を取り直して話す。
「爺、兵次郎の様子は?」
「縛られてはいたが何も怪我などはなかった。が……奴はやはり殺す気のようだ。しかも、いたぶってから命を奪うと」
團蔵が悔しそうに答えると、あざみは顔が青くなる。しかし雪丸は目を輝かせた。
「それならば、すぐに殺されてしまうことはないはず。今のうちに早く忍び込んでしまいましょう」
「それが良さそうね……」
あざみは目を鋭く光らせ、皆一斉に娼家へ向かった。
くのいちとしてのあざみの気迫に慄きつつ、雪丸も付いて行く。
(庄右衛門、どうか、無事でいて……!)
雪丸は強く拳を握った。
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