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背水の陣
十
しおりを挟む雪丸が浅く息をしだした。
「母さんはいつも忙しそうで……翡翠も、具合が悪いから、一緒に遊べなくて……そんな時、剣術を習うよう外に連れられて、社務所に帰ることも減って……私はもう、いらない子なんだと思ってた。
だから母さんは私を見てくれもしないんだと思ってた」
「お雪……」
牡丹が悲しそうな顔で名を呼ぶと、雪丸は耳を塞いだ。
「やめろ!母さんがそんな顔する資格なんてないだろ!
いつもそばにいてくれたのは母さんじゃなく叔父さんだった!つらくて寂しい時も慰めてくれたのは、私と翡翠を狙っていると言われてる叔父さんだけだったよ!
今更何なんだ……私じゃなくてあんたの大切な翡翠にやらせれば良いじゃないか!」
最後の方は絶叫に近い声で雪丸は抵抗した。
翡翠はおろおろと雪丸、牡丹を交互に見て、庄右衛門は静かに話を聞いているだけだった。
「もういい加減にしてくれ!私を頼る癖に私を愛してこなかった人に、指図なんてされたくない!」
雪丸が言った時、牡丹は雪丸に向かって頭を下げた。突然のことで、その場にいた全員が驚いて固まっていると、
「お雪の言う通りです。憎まれて然るべき行いを、私は長らくお雪にしてしまいました。幽幻から守るためとはいえ、鬼母の如き所業だったと思っております……謝っても謝りきれません」
牡丹は震える声で雪丸に言う。雪丸は思いがけない母親の姿勢に困惑していた。
気を取り直して口を開こうとすると、
「でも今だけは、お雪の力が必要なの。このままでは、翡翠だけでなく、お雪だって絶対に幽幻の手で殺されてしまう。それだけじゃない。庄右衛門殿も巻き込まれてしまうの。だからお願い……」
牡丹が顔を上げた。雪丸そっくりな綺麗な切長の目から、とめどなく涙が流れている。
「酷なことだと思う。お雪が望むなら、力を貸してくれるのはこれが最後でも構わない。幽幻を、人ならざるものを封印して……!」
必死な訴えだった。
それは翡翠だけでなく、雪丸も助けたい思いからくるものだと、流石の雪丸にも理解ができた。
そして、叔父の企みが真実であるということも悟った。
母親の今まで見たことのない泣き顔に、怒りや恨みの矛先を見失った雪丸は、口を開けたり閉めたりするだけで、声にならない苦しみを吐き出せずにいた。
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