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序 勇者、この世に誕生する

〜3〜

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 副市長は、7日前に俺が来た時と変わらず腰が低く貧相な顔をしていた。しかし、俺と反比例して顔色が良くなっているような気がして腹が立つ。
 俺がソファーに身を投げ出すように座ると、副市長はバネ仕掛けの人形のように俺の傍らに直立不動で立ち上がり、そのまま深く頭を下げた。

「夜も昼も街の人間が事務所に押しかけてくる」

「それはそれは……勇者様にはいつもいつも助けていただいて、感謝してもしきれません……」

「感謝より、時間外労働分の給料を払ってくれ」

「勇者様は、流石の人徳者でいらっしゃいますので……」

「見え透いた世辞はいい」

「お仕事以外でも、この街のために善意で、自ら働いていただいていると、大変好評でございますので……」

 副市長は相変わらずのへらへらした笑顔で深く下げた頭で俺を上目遣いに窺っていた。
 俺を追い掛けて来ていたニーアが、副市長と小声で何かを話し合っていた。話の内容はうっすらと聞こえて来るが、俺に市から時間外の給料が支払われる可能性はかなり低く、何よりも副市長が渋っているのがわかる。
 俺が無意識の内に剣に手を掛けたのを見て、ニーアが副市長を隣の部屋に避難させた。

「勇者様、本当にごめんなさい……元々、予算取ってないみたいです……」

 ニーアが慰めるようにコーヒーを俺に差し出した。
 俺は剣から手を離してそれを受け取る。前世では眠気覚ましにしか飲んでいなかったコーヒーだが、世界が変わって舌が変わったからか、前世よりもまともに味がわかって、少し冷静になる。

 オグオンと話した時から、覚悟はしていた。
 勇者の仕事の殆どは勇者自身の申告制。一日中魔獣の見張りをしていたと勇者が言えば、それを確かめる術はない。だから俺は規定の業務時間とその固定給で納得していた。

「給料の件はわかった。ただ、この街は魔獣の出現が多すぎる」

 そもそも、魔獣は人里に滅多に下りて来るものではない。
 魔獣だと言われて調べたらただの熊だったから猟師に仕事を引き継いだとか、噂を元に街を見張っていたら野良犬だったとか、そういう事例が多々ある。つまり、野良犬を探して街のカフェで張り込みをしていれば給料がもらえるし、カフェの料金は経費で落ちる。

 そういう仕事だから、俺は勇者を選んだのに、この街の言いがかりのような市民の貴重なご意見は別にしても、実際に魔獣が街の近くに頻繁に姿を現していた。
 ニーアが俺から気まずそうに目を反らす。ニーアは一端の魔法剣士とは思えないくらい魔獣に対するのに慣れているから、俺が着任する前からそうだったのだろう。

「一般的に、魔獣が街に出現するのは7日に1匹程度と言われていますが、この街では大よそ1日に2匹、出現が確認されています」

「そんなに?辺りで戦争している訳でもないのに」

「周囲が山で、人里はこの街しかないので人を好む魔獣が多く来ます。それから、ハーブ採取で人が山の奥まで立ち入るので魔獣は人馴れしていますし、そのハーブは魔獣の好物のため人間と取り合っている状況です」

「……」

「それから、観光地のため鳴き声や建物の被害に敏感になっています。度々通報が来るので、魔獣が出現しなくても、出動はその10倍以上です……でも、頑張りましょう!勇者様!」

 ニーアは、両手を握り締めて元気に言ったけれど、その目の下には隈が浮かんでいるし、赤い髪に艶が無い。それで文句の1つも言わないのだから、ニーアが優秀かどうかは別として、我慢強いのだけは確かだ。

「俺は……飛び級で首席卒業したのに」

 最後の抵抗のつもりで俺は呟いたが、ニーアは首を傾げた。

「だからじゃないですか?多分、勇者様が若いから」

 力を失った俺の手からカップが落ちて、苦い匂いを広げてコーヒーが絨毯に零れた。

 勇者養成学校は、遅いと卒業に10年かかる。だからこの世界の勇者は、俺が前世で出会ったゲームや漫画の勇者よりも、遥かに年齢がいっている奴が多い。そんな中、飛び級で2年で卒業した俺は飛び抜けて若い。中年の勇者と比べると徹夜で連日働いても倒れないくらい、若さゆえの体力はある。

 だからと言って、無給で酷使していいはずがないだろう。
 この世界に生まれてから、俺は誰よりも真面目に努力してきたのに、それが仇になっていいはずがない。


 前世の俺は、愚かだった。

 職場も愚かだし、上司も愚かだし、同僚も愚かだったが、一番愚かだったのは俺だ。
 文句を言わずに真面目に仕事をしていれば、いつか誰かが褒めてくれると思っていた。
 3年は続けろという言葉を信じて、年齢がいったら転職できないという言葉を真に受けて、今の職場にしがみ付くしかないと考えていた。
 こんなに苦しんで必死に仕事をしているなんて君は誰よりも偉い!と、誰かが気付いて救い出してくれて、出世の足掛かりになるんじゃないかと、白馬の王子様を待つように、そう信じていた。

 結局、俺は明け方の職場で倒れて、そのまま死んだ。
 ありがとうも、お疲れ様も、誰にも言われることはなかった。
 定時に出勤して俺を発見した先輩が、君には家族がいないから死んでも見舞金を払わなくて済んで幸いだ、みたいな事を本気か冗談か知らないが言ったのが、俺に最期に向けられた言葉だ。

 俺は、前世を繰り返すつもりはない。


 +++++


『平素より、勇者業へのご理解とご協力いただき、誠にありがとうございます。

 このたび、ホーリア市では、魔獣との共生を目指すことにいたしました。

 これは、他の街では類を見ない、極めて先駆的な取り組みです。

 つきましては、市民の皆様も重篤な人的被害が出ない限り、魔獣との共生を目指して広い心で生活をお送りください。

 なお、勇者への連絡は以下の番号の通信機でのみ、承っております。

 自動音声での対応となりますので、業務によっては返答までに相応のお時間をいただくことを、ご了承願います。』


 +++++


「……勇者様。これ、決裁取ってますか?」

 魔獣退治に夜を徹し、街の人間が誰も起きていない早朝。
 街の全ての掲示板に貼った文書を読んで、ニーアはそっと尋ねて来た。

「まさか」

 俺は首を横に振った。
 眩しい朝日の筋が、緑の山々の隙間から差し込んでいる。標高が高い分首都よりも冷たく澄んだ空気が街に染みわたっていた。
 初めて、この街が好きになれそうな気がした。そして、勇者として俺の生きる道が決まった。

「帰って寝る」

 今日の俺の仕事はこれだけだ。
 そして、これからも、そのつもりだ。
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