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第16話 勇者、胸の内を吐き出す
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ホーリアの勇者の仕事は、徹夜も残業も当たり前の超絶ブラックの体力勝負なのに、リリーナがここまで貧弱だとは驚いた。
それはそうとして、俺は釣りに戻ろうとした。
クラウィスに勇者の俺なら魔法など使わなくても魚釣りなど楽勝、と大口を叩いてしまったのに、全く成果を上げられていない。そろそろ良い所を見せないと、俺に対するクラウィスの信用度が下がってしまう。
しかし、ニーアはリリーナの緩み切った体が許せなかったらしい。強制的にジャージに着替えさせられたリリーナは、事務所の庭に連れて来られていた。
「別に太ったって魔術で体型を変えられるから大丈夫よ。あたしを誰だと思ってるの?」
「でも、魔法が使えなくなったら、元に戻っちゃうんですよね?」
「そ、そうだけどぉ……」
リリーナはモベドス卒の白魔術師を馬鹿にするなと憤慨していたが、魔術の教え子であるニーアに突っ込まれて口籠る。
見目が良いように自分に変装魔法をかけている魔術師は大勢いるが、魔術が使えない状態、例えば病気になったり死んだりすると魔術が解けてしまう。だから、生前と顔が違うとか、死んだらいきなり太ったとか、魔術師には度々あることだ。
ふと思い返してみると、風邪をひいて魔術を使えなかった時、リリーナは体形がわからない着ぐるみを着ていた。
「う、うるせー!」
俺は何も言っていないのに、何か把握したような顔が気に食わなかったのかリリーナの拳が飛んで来る。
俺はそれを避けて、メイド服から動きやすい服装に着替えたクラウィスの傍に避難した。
クラウィスが着ているいつもよりラフな服は、これまたリリーナお手製の衣装だ。リリーナが着ている赤いジャージもリリーナのコスプレ衣装の1つ。魔術の才能に隠れているが、リリーナは洋裁の才能が飛び抜けている。
「それでは、軽くあっちの山まで走りましょうか」
ニーアが指差したのは、事務所を出て高原を抜けて1つ山を越えた向こうにある山だった。
俺やニーアが軽く走ったら往復で1時間かかるくらいの距離でトレーニングには丁度良い。
リリーナだったら往復で2日くらいだろうか。「そんなに走ったら、足が無くなるっつの」とブツブツ文句を言っているから、誰かが迎えに行くまで帰って来ない可能性もある。
「ただ行くだけじゃつまんないのだー何か賞品があった方がやる気が出るのだ」
「うーん、競走じゃないですけど、そうですね……」
何時でも体力が有り余っているコルダは、やる気満々で準備運動をしていた。賞品と言われて、ニーアは少し考えてから俺を見た。
「賞品は勇者様の靴でもいいですか?」
「えー?!そんなもん全然いらないのだ!」
俺が履いている靴は、職人見習いのルークが作った靴で、顔見知りの割引をしてくれても、財布から出す時に泣きそうになる金額だった。「そんなもん」呼ばわりされる物ではないと思う。しかし、中古の靴ではあるから賞品にするほどの物でもないだろう。
「今使ってるのじゃなくて、その前に履いていたアウビリス様のです」
ニーアの言葉に、俺はゾッと背筋が凍えた。
オグオンから靴を借りたなんて一言も言っていないのに、ニーアは気付いていたのか。
匂いなのか気配なのか。一体どこで気付いたんだ。
「でもさ、ニーア以外には価値無いでしょ?新品じゃないと大したお金にならないし」
「リリーナさん!お金で表せる価値じゃないんですよ!!でも、もし金額を付けるとしたら……別の人が履いちゃいましたけど、ニーアの知ってる界隈では金貨10枚は確実です」
「そんなにー?コルダ、やる気が出て来たのだー!」
ニーアの知っている界隈がどこを指しているのか知らないが恐ろしい世界があるものだ。
オグオンの靴を履いちゃった別の人である俺は話に参加せずに、クラウィスと今日の夕食の相談をしていた。
せっかく山に行くから、俺が適当な動物を獲って来て肉にしようと言うと、クラウィスは俺の釣りの腕には突っ込まずに「運動した後ならお肉の方がいいかもしれませんね」と刺身包丁を引っ込めて柔軟な対応をしてくれた。
「いいですか?!先に事務所に戻って来た人が勝ちですからね!」
「10枚あったらークリームパンいっぱい買えるのだー」
賞品が掛かって一気に燃え上がったニーアは、両方のアキレス腱を伸ばしてクラウチングスタートのポーズをとる。
そして、「よーい、ドン!」の合図でコルダと揃って駆け出して行った。
あっという間に2人の姿は小さくなって山道に消えていく。
身体能力が人間離れしているコルダの圧勝かと思いきや、平坦な道はニーアも負けないくらい早く、なかなかいい勝負だ。
このトレーニングの主役であるはずのリリーナは、ニーアがいなくなった途端に俺の背中に寄りかかって来た。そもそもやる気が無かったらしく、運動用に1つに結わえた髪を解いている。
「それで?あたしは寝直していいわけ?」
『そう言わずに走りましょう。一応、リリーナさんのためのトレーニングですから』
「あたし、置いてかれてんだけど……ニーアは、なんであんなに張り切ってるのよ」
『近頃、勇者様に陰鬱の傾向があり、心配していると考察される』
クラウィスがポシェット越しに俺の顔を窺った。
皆で走れば元気になるとは謎の理論は、魔法剣士のニーアなら考えそうな事だ。
「あっそ。次からはあたしを巻き込まないでほしいわ」
口ではそう言いながらも、リリーナは頭の高い位置で髪を結び直して小走りで駆け出した。
クラウィスでも充分追い付くスピードで、クラウィスもリリーナの横に並んで走り出す。
2人とも軽い足取りだったが、リリーナは100メートルくらいで「お腹が痛い」とか言って歩き出すだろう。俺は背負っていたハープを玄関に置いて、2人に続いた。
+++++
俺の予想通り100メートルを超えた辺りでリリーナは走るのを止めたが、意外にも粘って1キロくらい歩いて、その後は俺の背中に乗ってきた。
クラウィスはそこから2キロくらい行ったところでリタイアしてしまう。
ニーアは、この2人の体力を致命的に見誤っている。2人を抱えて事務所まで引き返した俺には少しハードな筋トレになった。
「あー……死ぬかと思ったー……」
リリーナが燃え尽きた様子で玄関に倒れていて、その横でクラウィスも一仕事終えた顔をしている。
この2人は帰り道は一歩も自力で歩いていないのに。
ニーアの筋肉信仰ではないが、少し体力を付けさせた方がいいかもしれない。
そんな事を考えていると、俺の耳に付けた小型通信機が音を立てた。
「ホーリア」
『アウビリス』
ニーアが迷子にでもなったのかと反射的に応答すると、通信機からはオグオンの少し掠れた声が聞こえて来た。
俺は即座に謝罪文句一覧と、ここ最近の俺の行動記録を思い返す。
オグオンに怒られるような事は何もやっていない。いつも通り何の仕事もしていないからだ。そこを突っ込まれると、俺の首の1つ2つで足りないけれど。
しかし、オグオンは用事らしい用事が無いようで、最近どうだ?と優しげに尋ねて来る。
オグオンにしては不自然過ぎるフランクな口調で察しがついた。
今までイナムの勇者に妙な動きは無いかと隠れて疑っていたが、腹の内を明かした今は堂々と疑えるということだ。
「何も怪しい事はしていない」
『それは安心した』
「用件はそれだけか?」
『ああ、大した事ではないが、そちらから人件費の申請が届いた。新しい仲間が事務所に入ったのか?』
ニーア以外の人員の給料は俺が払っているから、仲間を増やしたと申請をすればその分俺の給料が増額される。60%カットは俺が勤務態度を改めない限り変わらないが、仲間を養える程度のお金は貰っている。
しかし、クラウィスの分の申請は随分前に通ったはずだ。
『記載に漏れがある。フォカロルというのは黒魔術師か?職種は?』
触手なら、8本あるけども。
名前を聞いて思い出した。いつも細かい書類仕事はニーアに任せているけれど、タコの給料申請なんて馬鹿だと思われるから絶対にしたくないと拒否されて、俺が自分で出した。
俺も気が狂ったんじゃないかと思われるかもしれないけれど、あわよくば、フォカロルの分だけ俺の給料が増えないかと思ってダメ元で申請したんだった。
あの時の俺は酒が入っていたのかもしれない。
それはそうとして、俺は釣りに戻ろうとした。
クラウィスに勇者の俺なら魔法など使わなくても魚釣りなど楽勝、と大口を叩いてしまったのに、全く成果を上げられていない。そろそろ良い所を見せないと、俺に対するクラウィスの信用度が下がってしまう。
しかし、ニーアはリリーナの緩み切った体が許せなかったらしい。強制的にジャージに着替えさせられたリリーナは、事務所の庭に連れて来られていた。
「別に太ったって魔術で体型を変えられるから大丈夫よ。あたしを誰だと思ってるの?」
「でも、魔法が使えなくなったら、元に戻っちゃうんですよね?」
「そ、そうだけどぉ……」
リリーナはモベドス卒の白魔術師を馬鹿にするなと憤慨していたが、魔術の教え子であるニーアに突っ込まれて口籠る。
見目が良いように自分に変装魔法をかけている魔術師は大勢いるが、魔術が使えない状態、例えば病気になったり死んだりすると魔術が解けてしまう。だから、生前と顔が違うとか、死んだらいきなり太ったとか、魔術師には度々あることだ。
ふと思い返してみると、風邪をひいて魔術を使えなかった時、リリーナは体形がわからない着ぐるみを着ていた。
「う、うるせー!」
俺は何も言っていないのに、何か把握したような顔が気に食わなかったのかリリーナの拳が飛んで来る。
俺はそれを避けて、メイド服から動きやすい服装に着替えたクラウィスの傍に避難した。
クラウィスが着ているいつもよりラフな服は、これまたリリーナお手製の衣装だ。リリーナが着ている赤いジャージもリリーナのコスプレ衣装の1つ。魔術の才能に隠れているが、リリーナは洋裁の才能が飛び抜けている。
「それでは、軽くあっちの山まで走りましょうか」
ニーアが指差したのは、事務所を出て高原を抜けて1つ山を越えた向こうにある山だった。
俺やニーアが軽く走ったら往復で1時間かかるくらいの距離でトレーニングには丁度良い。
リリーナだったら往復で2日くらいだろうか。「そんなに走ったら、足が無くなるっつの」とブツブツ文句を言っているから、誰かが迎えに行くまで帰って来ない可能性もある。
「ただ行くだけじゃつまんないのだー何か賞品があった方がやる気が出るのだ」
「うーん、競走じゃないですけど、そうですね……」
何時でも体力が有り余っているコルダは、やる気満々で準備運動をしていた。賞品と言われて、ニーアは少し考えてから俺を見た。
「賞品は勇者様の靴でもいいですか?」
「えー?!そんなもん全然いらないのだ!」
俺が履いている靴は、職人見習いのルークが作った靴で、顔見知りの割引をしてくれても、財布から出す時に泣きそうになる金額だった。「そんなもん」呼ばわりされる物ではないと思う。しかし、中古の靴ではあるから賞品にするほどの物でもないだろう。
「今使ってるのじゃなくて、その前に履いていたアウビリス様のです」
ニーアの言葉に、俺はゾッと背筋が凍えた。
オグオンから靴を借りたなんて一言も言っていないのに、ニーアは気付いていたのか。
匂いなのか気配なのか。一体どこで気付いたんだ。
「でもさ、ニーア以外には価値無いでしょ?新品じゃないと大したお金にならないし」
「リリーナさん!お金で表せる価値じゃないんですよ!!でも、もし金額を付けるとしたら……別の人が履いちゃいましたけど、ニーアの知ってる界隈では金貨10枚は確実です」
「そんなにー?コルダ、やる気が出て来たのだー!」
ニーアの知っている界隈がどこを指しているのか知らないが恐ろしい世界があるものだ。
オグオンの靴を履いちゃった別の人である俺は話に参加せずに、クラウィスと今日の夕食の相談をしていた。
せっかく山に行くから、俺が適当な動物を獲って来て肉にしようと言うと、クラウィスは俺の釣りの腕には突っ込まずに「運動した後ならお肉の方がいいかもしれませんね」と刺身包丁を引っ込めて柔軟な対応をしてくれた。
「いいですか?!先に事務所に戻って来た人が勝ちですからね!」
「10枚あったらークリームパンいっぱい買えるのだー」
賞品が掛かって一気に燃え上がったニーアは、両方のアキレス腱を伸ばしてクラウチングスタートのポーズをとる。
そして、「よーい、ドン!」の合図でコルダと揃って駆け出して行った。
あっという間に2人の姿は小さくなって山道に消えていく。
身体能力が人間離れしているコルダの圧勝かと思いきや、平坦な道はニーアも負けないくらい早く、なかなかいい勝負だ。
このトレーニングの主役であるはずのリリーナは、ニーアがいなくなった途端に俺の背中に寄りかかって来た。そもそもやる気が無かったらしく、運動用に1つに結わえた髪を解いている。
「それで?あたしは寝直していいわけ?」
『そう言わずに走りましょう。一応、リリーナさんのためのトレーニングですから』
「あたし、置いてかれてんだけど……ニーアは、なんであんなに張り切ってるのよ」
『近頃、勇者様に陰鬱の傾向があり、心配していると考察される』
クラウィスがポシェット越しに俺の顔を窺った。
皆で走れば元気になるとは謎の理論は、魔法剣士のニーアなら考えそうな事だ。
「あっそ。次からはあたしを巻き込まないでほしいわ」
口ではそう言いながらも、リリーナは頭の高い位置で髪を結び直して小走りで駆け出した。
クラウィスでも充分追い付くスピードで、クラウィスもリリーナの横に並んで走り出す。
2人とも軽い足取りだったが、リリーナは100メートルくらいで「お腹が痛い」とか言って歩き出すだろう。俺は背負っていたハープを玄関に置いて、2人に続いた。
+++++
俺の予想通り100メートルを超えた辺りでリリーナは走るのを止めたが、意外にも粘って1キロくらい歩いて、その後は俺の背中に乗ってきた。
クラウィスはそこから2キロくらい行ったところでリタイアしてしまう。
ニーアは、この2人の体力を致命的に見誤っている。2人を抱えて事務所まで引き返した俺には少しハードな筋トレになった。
「あー……死ぬかと思ったー……」
リリーナが燃え尽きた様子で玄関に倒れていて、その横でクラウィスも一仕事終えた顔をしている。
この2人は帰り道は一歩も自力で歩いていないのに。
ニーアの筋肉信仰ではないが、少し体力を付けさせた方がいいかもしれない。
そんな事を考えていると、俺の耳に付けた小型通信機が音を立てた。
「ホーリア」
『アウビリス』
ニーアが迷子にでもなったのかと反射的に応答すると、通信機からはオグオンの少し掠れた声が聞こえて来た。
俺は即座に謝罪文句一覧と、ここ最近の俺の行動記録を思い返す。
オグオンに怒られるような事は何もやっていない。いつも通り何の仕事もしていないからだ。そこを突っ込まれると、俺の首の1つ2つで足りないけれど。
しかし、オグオンは用事らしい用事が無いようで、最近どうだ?と優しげに尋ねて来る。
オグオンにしては不自然過ぎるフランクな口調で察しがついた。
今までイナムの勇者に妙な動きは無いかと隠れて疑っていたが、腹の内を明かした今は堂々と疑えるということだ。
「何も怪しい事はしていない」
『それは安心した』
「用件はそれだけか?」
『ああ、大した事ではないが、そちらから人件費の申請が届いた。新しい仲間が事務所に入ったのか?』
ニーア以外の人員の給料は俺が払っているから、仲間を増やしたと申請をすればその分俺の給料が増額される。60%カットは俺が勤務態度を改めない限り変わらないが、仲間を養える程度のお金は貰っている。
しかし、クラウィスの分の申請は随分前に通ったはずだ。
『記載に漏れがある。フォカロルというのは黒魔術師か?職種は?』
触手なら、8本あるけども。
名前を聞いて思い出した。いつも細かい書類仕事はニーアに任せているけれど、タコの給料申請なんて馬鹿だと思われるから絶対にしたくないと拒否されて、俺が自分で出した。
俺も気が狂ったんじゃないかと思われるかもしれないけれど、あわよくば、フォカロルの分だけ俺の給料が増えないかと思ってダメ元で申請したんだった。
あの時の俺は酒が入っていたのかもしれない。
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