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第26話 勇者、社交界に参戦する
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少し日当たりのいい場所に移動して乾いた地面に座ると、リリーナはピクニックでも始めるようにバスケットの中身を広げた。
飲まず食わずで働かされている俺のためにクラウィスが作ってくれた、サンドウィッチやスコーンやスープが詰められている。
ご飯を作ってくれて、それを持って来てくれる仲間がいるなんて俺はなんて恵まれているんだ。と、感動している間に、リリーナが早速食べ始めていた。
リリーナはスコーンを咥えながら俺が残していた分身を掴まえて膝に抱き上げる。珍しそうにひっくり返したり羽を広げたりして観察しながら、わしゃわしゃと雑に撫でていた。本物にやったら蹴り殺されるところだ。
「リリーナは、どうして分身がネズミなんだ?」
「だって、お姉ちゃんがネズミが一番強いって言ってたから」
リリーナがお姉ちゃんと呼ぶのは、長女のリコリスではなく次女のリュリスだ。イナムのリュリスが言うなら、ペストの発生源とかそう言う話か。もしかしたら、リュリスの前世は中世ヨーロッパの人間だったのかもしれない。
「ちょ、チョサクケン?的に、最強って言ってた」
「……」
死んだ奴の事を悪く言いたくないから黙っていたが、何も知らないリリーナに適当な事を吹き込んで、リュリスはあんまり性格が良くないような気がする。
「合ってる?」
無関係な俺が姉妹の仲を悪くすることもないから、間違ってはいないと頷いて、「それよりも事務所はどうなっている?」と素早く話題を変えた。
「ポテコは上手くやっているか?」
「全然ダメ。一時期のあんたくらい引きこもってるわ。あたしとも口を利かないのよ」
一時期の俺くらいということは、リリーナの常時よりは話が通じる状態だ。ポテコの割に、なかなか頑張っているらしい。
「まさか、クラウィスをイジメたりしてないよな」
「あの事務所で引きこもりを相手にしてくれるのはくぅちゃんぐらいだから、むしろ懐いてるわよ」
それを聞いて安心したが、リリーナとも口を利かないのは少し心配だ。前に会った時は、人見知りで固まっているリリーナにポテコの方から話しかけていた。同じモベドス卒だから、魔術の話で盛り上がれると思っていたのに。
俺が卒業後のポテコを案じている間に、リリーナはバスケットを空にして、軍鶏を黒い霧に戻して俺に返した。パン屑を払って立ち上がりつつ、ポケットから鍵を出して俺に差し出す。
「始まるまではあたしが見張ってるわ。この部屋にいてって、教官が。何かあった?」
「侵入して来た奴が何人か、それと爆弾仕掛けようとしたグループが1つ。でも、少し脅したら逃げて行った」
「そう。じゃあ大丈夫そうね」
リリーナと別れて、俺は渡された鍵の部屋番号を辿って、城中のゲストルームに向かった。
まだ参加者は来ていないが、いつでも休めるように掃除が行き届いて整えられている。
俺はパーティーが始まるまで警備していろとしか言われていない。もう解放されたのかと思ったが、何かまだ仕事が残っているらしい。パーティーが始まると魔法が使えないから、少しでも休んでおかないと疲労でぶっ倒れることになる。
何の仕事を任せられるにせよ、やっと人型に戻って休憩できる。体が沈み込むようなソファーの上で、マントに包まって目を閉じた。
+++++
ドアが閉まる音に目を覚ますと、正面のソファーに女性が座っていた。
起き抜けの見知らぬ美女。心臓に悪い。
「誰……?」
「コルベリア家当主の孫娘、ノーラだ」
何時の間にか俺の隣にいたオグオンが答えた。
オグオンは、パーティー用に正装していて、コルベリア家の家色のバラ色のグラデーションが入った白いドレスを着ている。
そういう服を着て髪もセットしていると、オグオンでも案外普通の人間に見えるものだ。部下に不眠不休の仕事をちょっとした御使いのノリで任せる恐ろしい仕事人間だとは誰も思わないだろう。
「はじめまして。ホーリア様」
ノーラはソファーから立ち上がり、膝を折って挨拶をした。
裾が床すれすれまである淡いバラ色のドレスを着ていて、紅茶色の柔らかい髪が背中まで伸びている。貴族らしい、懐と精神に余裕のある、悪意の欠片もない後光が射しているような笑顔を見せた。
俺は養成校で暗記した貴族の名簿を頭の中で広げた。ノーラは、コルベリア家次男の四女。一昨年からアマジュネマニスに留学していて、国内の公の場には姿を現さない。だから、俺が養成校にいる時にオグオンに連れ回された貴族の集会の仕事でも見た事がない。
オグオンは「少し準備をしてくる」とノーラに断って、俺を連れて隣のベッドルームに入った。壁に男性用の正装が掛けられているのを見て、俺は嫌な予感がする。
「パーティーの間、この男に変装してくれ」
俺を化粧道具が並んだ鏡台に座らせて、オグオンが写真を差し出した。
写真には、俺と同い年くらいの特に整っているわけでもなく醜くもなく、普通の顔をした男性が映っている。顔の右側を長い髪で隠していて、髪の隙間から覗く頬に鍵の紋様が見えた。
「顔だけでいいのか?」
「ああ、ノーラの留学先の彼氏トルヴァルだ。国内では知られていない」
彼氏という軽い言葉に少し違和感を覚える。しかし、今日は身内だけのパーティーだ。新しくできた友人や、少し深い仲にある男友達を家族に紹介するいい機会なのだろう。
取り立てて特徴の無い顔をしている俺は、化粧をしてウィッグを被れば大抵の人間に変装できる。オグオンは鏡で俺の顔を確認しながら、隣室のノーラに聞こえない声量で話し出した。
「昨年のイヴァンの日、ノーラは留学先で出会った彼氏のロイスを親族に紹介するために帰国した。コルベリア家は2人の付き合いに反対することはなかったが、ロイスはその里帰り中に事故死した」
「そいつも退魔の子だったのか?」
俺が尋ねると、鏡越しにオグオンは頷く。そうなると、今日にでも2件目の事故が起こるはずだ。
事故死に犯人がいるなら、当然コルベリア家の人間だ。コルベリア家は魔力の有無による差別には穏便派だと聞いているが、高貴な血筋に退魔の子を入れるなんて一般的な貴族の感覚では我慢ならないはずだ。
どうやら俺の本当の仕事は、トルヴァルの身代わりになって殺されないように身を守りつつ、殺人の証拠を掴むことらしい。
「それで、どうしてこんな余計な仕事を見つけて来たんだ?」
俺はオブラートに包んで尋ねようとしたが、寝ずの番をしていた疲れもあって率直に尋ねてしまった。
大臣の地位にあるオグオンは、貴族とも良好な関係を築く必要がある。議会の決議は多数決で決まるから、黒か白か、是か非か、自分の思う通りの決定を得るためには17人の大臣を1人でも多く味方に付ける必要があるからだ。
しかし、貴族選出のヒラリオン大臣はコルベリア家と関わりはないはずだ。しかも、オグオンとは犬猿の仲だと聞いているから、少し働いてやったところで味方になるとは思えない。
大臣から勇者への正式な仕事の依頼ではなく、個人的に使える俺を動かしてまで、貴族の罪を暴きたいのだろうか。退魔の子を貴族が殺しても、大した罪には問われないのに。
オグオンは一瞬考えるような素振りをしてから、服装に合わせてまるで一般人のように無邪気に微笑んでみせた。
「愛する男女の幸せを、手助けしたいと思うのは当然だろう」
「……だ、大丈夫か?」
仕事のし過ぎで高熱が出たのか、あるいはハーブをキメているのか。俺はオグオンの体調が心配になって尋ねてしまった。
愛だの恋だの、それが実際にどの程度価値があるかは別として、少なくともオグオンはそんな不確かで利にならない事の為に働く人間ではないことは、間違いようの無い事実だ。
オグオンは俺に言いたくないだけで、何か別の事情があるようだ。頭の狂った上司の下で働きたくないから、そう信じることにしよう。
俺が怪しんでいるのに気付いていながら、オグオンはどんどん話を進めて行く。
「貴族の顔は一通り頭に入っているだろうが、今日は個人的に付き合いがある学者や称号がない友人も参加している。ホーリアが知らない顔も多い。充分な警戒が必要だが、怪しまれないように。手渡される飲食物には基本的に毒が入っていると考えてくれ。これは、役に立つか分からないが念のため」
オグオンに渡された小さな袋には、小型ナイフや閉じ込められた時用の工具や解毒剤等々、穏やかでない物が入っていた。
「肩肘張らない顔見知りだけの気楽なパーティー……」
「嫌なのか?」
「別に嫌ってわけじゃない」
化粧を終えてパーティー用の服を着れば、魔術が使えない状態の変装にしてはまずまずの出来に仕上がった。
愛する男女の幸せなんぞ、各自国民に任せたいところだが、オグオンが言うならばこれも勇者の仕事なのだろう。
飲まず食わずで働かされている俺のためにクラウィスが作ってくれた、サンドウィッチやスコーンやスープが詰められている。
ご飯を作ってくれて、それを持って来てくれる仲間がいるなんて俺はなんて恵まれているんだ。と、感動している間に、リリーナが早速食べ始めていた。
リリーナはスコーンを咥えながら俺が残していた分身を掴まえて膝に抱き上げる。珍しそうにひっくり返したり羽を広げたりして観察しながら、わしゃわしゃと雑に撫でていた。本物にやったら蹴り殺されるところだ。
「リリーナは、どうして分身がネズミなんだ?」
「だって、お姉ちゃんがネズミが一番強いって言ってたから」
リリーナがお姉ちゃんと呼ぶのは、長女のリコリスではなく次女のリュリスだ。イナムのリュリスが言うなら、ペストの発生源とかそう言う話か。もしかしたら、リュリスの前世は中世ヨーロッパの人間だったのかもしれない。
「ちょ、チョサクケン?的に、最強って言ってた」
「……」
死んだ奴の事を悪く言いたくないから黙っていたが、何も知らないリリーナに適当な事を吹き込んで、リュリスはあんまり性格が良くないような気がする。
「合ってる?」
無関係な俺が姉妹の仲を悪くすることもないから、間違ってはいないと頷いて、「それよりも事務所はどうなっている?」と素早く話題を変えた。
「ポテコは上手くやっているか?」
「全然ダメ。一時期のあんたくらい引きこもってるわ。あたしとも口を利かないのよ」
一時期の俺くらいということは、リリーナの常時よりは話が通じる状態だ。ポテコの割に、なかなか頑張っているらしい。
「まさか、クラウィスをイジメたりしてないよな」
「あの事務所で引きこもりを相手にしてくれるのはくぅちゃんぐらいだから、むしろ懐いてるわよ」
それを聞いて安心したが、リリーナとも口を利かないのは少し心配だ。前に会った時は、人見知りで固まっているリリーナにポテコの方から話しかけていた。同じモベドス卒だから、魔術の話で盛り上がれると思っていたのに。
俺が卒業後のポテコを案じている間に、リリーナはバスケットを空にして、軍鶏を黒い霧に戻して俺に返した。パン屑を払って立ち上がりつつ、ポケットから鍵を出して俺に差し出す。
「始まるまではあたしが見張ってるわ。この部屋にいてって、教官が。何かあった?」
「侵入して来た奴が何人か、それと爆弾仕掛けようとしたグループが1つ。でも、少し脅したら逃げて行った」
「そう。じゃあ大丈夫そうね」
リリーナと別れて、俺は渡された鍵の部屋番号を辿って、城中のゲストルームに向かった。
まだ参加者は来ていないが、いつでも休めるように掃除が行き届いて整えられている。
俺はパーティーが始まるまで警備していろとしか言われていない。もう解放されたのかと思ったが、何かまだ仕事が残っているらしい。パーティーが始まると魔法が使えないから、少しでも休んでおかないと疲労でぶっ倒れることになる。
何の仕事を任せられるにせよ、やっと人型に戻って休憩できる。体が沈み込むようなソファーの上で、マントに包まって目を閉じた。
+++++
ドアが閉まる音に目を覚ますと、正面のソファーに女性が座っていた。
起き抜けの見知らぬ美女。心臓に悪い。
「誰……?」
「コルベリア家当主の孫娘、ノーラだ」
何時の間にか俺の隣にいたオグオンが答えた。
オグオンは、パーティー用に正装していて、コルベリア家の家色のバラ色のグラデーションが入った白いドレスを着ている。
そういう服を着て髪もセットしていると、オグオンでも案外普通の人間に見えるものだ。部下に不眠不休の仕事をちょっとした御使いのノリで任せる恐ろしい仕事人間だとは誰も思わないだろう。
「はじめまして。ホーリア様」
ノーラはソファーから立ち上がり、膝を折って挨拶をした。
裾が床すれすれまである淡いバラ色のドレスを着ていて、紅茶色の柔らかい髪が背中まで伸びている。貴族らしい、懐と精神に余裕のある、悪意の欠片もない後光が射しているような笑顔を見せた。
俺は養成校で暗記した貴族の名簿を頭の中で広げた。ノーラは、コルベリア家次男の四女。一昨年からアマジュネマニスに留学していて、国内の公の場には姿を現さない。だから、俺が養成校にいる時にオグオンに連れ回された貴族の集会の仕事でも見た事がない。
オグオンは「少し準備をしてくる」とノーラに断って、俺を連れて隣のベッドルームに入った。壁に男性用の正装が掛けられているのを見て、俺は嫌な予感がする。
「パーティーの間、この男に変装してくれ」
俺を化粧道具が並んだ鏡台に座らせて、オグオンが写真を差し出した。
写真には、俺と同い年くらいの特に整っているわけでもなく醜くもなく、普通の顔をした男性が映っている。顔の右側を長い髪で隠していて、髪の隙間から覗く頬に鍵の紋様が見えた。
「顔だけでいいのか?」
「ああ、ノーラの留学先の彼氏トルヴァルだ。国内では知られていない」
彼氏という軽い言葉に少し違和感を覚える。しかし、今日は身内だけのパーティーだ。新しくできた友人や、少し深い仲にある男友達を家族に紹介するいい機会なのだろう。
取り立てて特徴の無い顔をしている俺は、化粧をしてウィッグを被れば大抵の人間に変装できる。オグオンは鏡で俺の顔を確認しながら、隣室のノーラに聞こえない声量で話し出した。
「昨年のイヴァンの日、ノーラは留学先で出会った彼氏のロイスを親族に紹介するために帰国した。コルベリア家は2人の付き合いに反対することはなかったが、ロイスはその里帰り中に事故死した」
「そいつも退魔の子だったのか?」
俺が尋ねると、鏡越しにオグオンは頷く。そうなると、今日にでも2件目の事故が起こるはずだ。
事故死に犯人がいるなら、当然コルベリア家の人間だ。コルベリア家は魔力の有無による差別には穏便派だと聞いているが、高貴な血筋に退魔の子を入れるなんて一般的な貴族の感覚では我慢ならないはずだ。
どうやら俺の本当の仕事は、トルヴァルの身代わりになって殺されないように身を守りつつ、殺人の証拠を掴むことらしい。
「それで、どうしてこんな余計な仕事を見つけて来たんだ?」
俺はオブラートに包んで尋ねようとしたが、寝ずの番をしていた疲れもあって率直に尋ねてしまった。
大臣の地位にあるオグオンは、貴族とも良好な関係を築く必要がある。議会の決議は多数決で決まるから、黒か白か、是か非か、自分の思う通りの決定を得るためには17人の大臣を1人でも多く味方に付ける必要があるからだ。
しかし、貴族選出のヒラリオン大臣はコルベリア家と関わりはないはずだ。しかも、オグオンとは犬猿の仲だと聞いているから、少し働いてやったところで味方になるとは思えない。
大臣から勇者への正式な仕事の依頼ではなく、個人的に使える俺を動かしてまで、貴族の罪を暴きたいのだろうか。退魔の子を貴族が殺しても、大した罪には問われないのに。
オグオンは一瞬考えるような素振りをしてから、服装に合わせてまるで一般人のように無邪気に微笑んでみせた。
「愛する男女の幸せを、手助けしたいと思うのは当然だろう」
「……だ、大丈夫か?」
仕事のし過ぎで高熱が出たのか、あるいはハーブをキメているのか。俺はオグオンの体調が心配になって尋ねてしまった。
愛だの恋だの、それが実際にどの程度価値があるかは別として、少なくともオグオンはそんな不確かで利にならない事の為に働く人間ではないことは、間違いようの無い事実だ。
オグオンは俺に言いたくないだけで、何か別の事情があるようだ。頭の狂った上司の下で働きたくないから、そう信じることにしよう。
俺が怪しんでいるのに気付いていながら、オグオンはどんどん話を進めて行く。
「貴族の顔は一通り頭に入っているだろうが、今日は個人的に付き合いがある学者や称号がない友人も参加している。ホーリアが知らない顔も多い。充分な警戒が必要だが、怪しまれないように。手渡される飲食物には基本的に毒が入っていると考えてくれ。これは、役に立つか分からないが念のため」
オグオンに渡された小さな袋には、小型ナイフや閉じ込められた時用の工具や解毒剤等々、穏やかでない物が入っていた。
「肩肘張らない顔見知りだけの気楽なパーティー……」
「嫌なのか?」
「別に嫌ってわけじゃない」
化粧を終えてパーティー用の服を着れば、魔術が使えない状態の変装にしてはまずまずの出来に仕上がった。
愛する男女の幸せなんぞ、各自国民に任せたいところだが、オグオンが言うならばこれも勇者の仕事なのだろう。
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