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第28話 勇者、日々を記す

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 俺はリリーナが遊んでいたキッチンに入って、転がっているフラスコやビーカーを拾い上げて、散らばった魔術書を積み上げる。
 窓を開けるとハーブの籠った匂いが外に流れて、ようやく普通に呼吸が出来るようになった。

 しかし、吐くほど不味いなんて。そんな冗談みたいなことがあるのか。
 リリーナは上等で美味しい物しか食べたくないと文句は多いが、出された物は何でも食べるし、お腹が空くと材料をそのまま齧っている。
 相当不味い物を食べないとあんな風に吐いたりしないはずだ。

 調理台の上には、リリーナが飲んだのと同じ液体が入った小瓶が数個並んでいた。
 中には透明な青緑色をした、シロップのような粘度のある液体が入っている。
 蓋を捻って開け、慎重に臭いを嗅ぐとハーブの匂いがツンと鼻を突いた。しかし、吐き出すほどではない。食べ物として許容できる範囲の刺激だ。

 少しだけ舌に乗せて味を確かめると、僅かに植物の甘さを感じるだけで殆ど無味無臭だった。
 全然普通じゃないかと拍子抜けして一口飲み込むと同時に、ドクンといきなり心臓の鼓動が大きく跳ねる。
 頭だけ熱湯風呂に入ったように熱くなり、目の前が霞んだ。しかし、足は感覚が無くなるくらい冷え切って、力が抜けて崩れそうになる。寸前で流しに手を付いて、何とか体を支えた。

「勇者様、可愛いのがいっぱいあったので、全部買ってきちゃいました!好きなの選んでください……って、勇者様?」

 ニーアは、経費で落ちると聞いて金使いが荒くなっている。買い物を終えて声を弾ませて帰って来たが、キッチンにいる俺を見て足を止めた。

「勇者様、どうしたんですか?」

「……何でもない」

「でも、顔色が悪いですよ……大丈夫ですか?」

 来るな、と近付いて来るニーアを押し退けて離れようとしたのに、体がふらついてニーアに倒れかかってしまった。
 ニーアの外套から、新鮮な外の空気とニーアの匂いがする。そのまま目を閉じてじっとしていれば耐えられると思ったが、ニーアは俺の背中を叩いて俺の耳元で大きな声を出し続けている。

「勇者様、しっかりしてください!」

「大丈夫だから……動かさないでくれ」

「そんな……!一体どうしたんですか?!」

 動かさないでくれと言ったのに、ニーアは俺の肩を掴んでガンガン揺さぶって来る。思い返してみれば、ニーアは養成校の医術の授業も追試だった。
 そこまで考えて、俺は限界を迎えた。



 先日の祭りから発想を得てリリーナが惚れ薬を作ろうとしたと聞くと、ニーアは流石魔術師は考える事が違うと感心する。自分でそれを飲んでまだ寝込んでいるくせに、無邪気に褒められてリリーナは満更でもない顔をしていた。
 しかし、その隣で枕に顔を埋めている俺を見下ろすときは、ニーアは冷静だった。

「それで、勇者様は危険な薬だって分かっててどうして飲んだんですか?」

 上手い言い訳が思い付かず、どんな味なのか気になったからだと正直に答える。
 返事が無いから俺の好奇心を理解してくれたのかと期待して見上げたが、ニーアは呆れて何も言えないというように大きな溜息を吐いた。

『ニーア様の服、クラウィスが洗うと型崩れしちゃうかもしれまセん……』

 テラスで俺のマントに続いてニーアの服を洗濯していたクラウィスが、ニーアの服を持って難しそうな顔をしてリビングに戻って来た。
 俺のマントは、勇者の支給品として汚れない魔法が掛けられているし、多分型崩れとか皺にならないような魔法もついでに掛けられているだろうから問題ない。

「気にしなくていいですよ、クラウィスさん。と、いう事なので勇者様、クリーニング代は経費で落ちますか?」

「ああ……領収書、もらっておいてくれ」

 俺が答えると、ニーアはクラウィスから自分の服を受け取って立ち上がった。クリーニング店に向かおうとして、一度足を止めて振り返る。

「コルダさん。勇者様とリリーナさんが変な事をしようとしたら止めてくださいね」

「もーみんなしてコルダを頼り過ぎなのだー」

 コルダは口ではそう言ったが、リビングのソファーに寝転んでお菓子を食べながら俺とリリーナの監視をしている。
 心配しなくても、俺は妙な事をする元気がない。今も立ち上がったらそのまま胃の中身が逆流して惨劇を繰り返してしまいそうな状態だというのに。

「どういうこと……?配合は完璧だったはず……」

 リリーナは反省も後悔もしないタイプの魔術師だから、枕を抱き締めたまま呻いていた。ニーアも含めて被害者3人なのに、全く懲りていない。

「いや……恐らく、完成している」

 発熱、眩暈、動悸。一般的に恋に落ちた時の反応だ。薬によって得た反応を純粋な感情の高まりだと勘違いさせれば、惚れ薬として使えるだろう。効き目が人を殺すつもりかというくらい強すぎるだけだ。

「つまり……水で薄めればいける?」

 さっきまで配合とか言っていたのに薄める時は随分雑だ。しかし、突っ込むのが面倒で枕に顔を埋めたまま頷いた。それを見て、リリーナは燃える瞳で拳を握り締める。

「来年のお祭りに間に合うように、安定した生産ラインを整えなきゃ、ね」

 一攫千金を夢見て力強く立ち上がったリリーナだが、コルダに肉球の付いた手でぽこんと頭を叩かれて叫び声を上げて倒れた。そのリリーナの下敷きになった俺も叫び声を上げる。

「な、何するの!」

「変な事をしたら止めてって言われたのだー」

「変な事ってなによ!立派な発明でしょ!」

 リリーナが俺の上でコルダと口喧嘩を始めたが、早くリリーナが退いてくれないと俺がまた限界を迎えてしまう。
 俺はテラスにいるクラウィスに助けを求めたが、納得いくまで俺のマントを洗濯できたクラウィスは満足そうな笑顔で風に揺れる洗濯物を見上げていた。


 +++++


 正直まだ寝込んでいたい所だったが、リリーナはコルダと一緒になるとケンカを始めて静かに寝ていられる状況ではないし、ニーアの視線は冷たいし。クラウィスの買い物に付いて外に出掛けることにした。
 街は祭りの後の虚しさも消えて、いつもの落ち着いた日常に戻っていた。今はちょうどリトルスクールが終わる時間で、街に帰宅する子供たちが歩いている。
 2番街のパステルカラーでファンシーな物を売っている雑貨屋を通りかかって、俺は足を止めた。

『勇者様も買う物がありまスか?』

 店の前の回転式の什器にはレターセットやメモ帳が沢山入っている。ニーアが買ってきたのはノーラのために少し大人向けの上品な便箋を選んでいたから、この店で買ったものではないようだ。
 しゃがんで什器を回して見ると、俺が好んで手に取った事がないような多色使いの可愛い系の、ピンク色やレース柄のレターセットやメモ帳が並んでいた。

『便箋は、ニーア様が買ってきてくれたんじゃないんでスか?』

「ノーラのはな。でも、どんなものかと思って……」

 コルダは食べ物柄が良いだろう。ここにあるようなプリンとかケーキとかお腹に溜まらない食べ物柄ではなく、骨付き肉柄とかがいいと思うがこの店では取り扱ってないようだ。
 黒猫柄がリリーナに似合っていると思ったが、黒猫に変身しているアーテルを目の敵にしていたから嫌がられるかもしれない。
 ニーアは、オグオンの写真が付いていれば何でも喜ぶだろう。肖像権を無視して商品化を考えたが、ニーアほどの熱狂的な勇者のファンがどれくらい存在しているのかわからないから需要が読めない。

「クラウィスはどれがいい?」

『えっと……あ、このドレスの柄のがいいでス』

「そうか。クラウィスも何かに使うだろうから買って行くか」

『え……いいんでスか?』

 クラウィスが指を差したレターセットだけ買って店を出ると、店の前に来た女の子の集団が俺に気付いて寄って来た。
 この店のメインターゲットのリトルスクールに通っている年代の女児たちだ。ホーリアには珍しいギャルっぽい派手な子たちで、多分スクールカースト上位にいる。俺がすごく苦手なタイプ。

「勇者じゃーん、ぴっぴるーん」

「何だそれは?」

「新しいあいさつ。可愛いっしょ?ぴっぴー」

「はいはい、ぴっぴー」

 いくら年下でも、女子の考える事は俺には謎が多い。
 これ以上絡まれる前に店から離れたのに、マントに絡み付いて女の子たちは付いて来た。

「くぅちゃんは色々可愛い格好してるのに、何で勇者はいつも同じ服着てるの?」

「同じ服を沢山持っているんだ」

「いいけど、あんまり似合ってないと思うよ。白いのにしたら?」

「そうか、考えてみる」

 適当に返事をしてリーダー格の女の子を追い払い、ようやく散ったと思ったら最後に残っていたアリスが俺のマントを引っ張った。
 最近ホーリアに引っ越して来たアリスはリーダーと同じく派手な見た目をしているが、意外と引っ込み思案な子で、俺はいつも恋愛相談のような愚痴を聞かされている。
 他の子に話が聞こえない距離まで離れたことを確かめてから、俺はしゃがんでアリスと目線を合わせた。

「……どうした?」

「ユーリに、お花渡せた」

 おおーとクラウィスは小声で歓声を上げた。
 ニーアの弟のユーリは、学業の出来は残念でも足が速くてゲームに強い。ギャルにはモテないガキ大将タイプだと思っていたが、アリスはホーリアに来てすぐにユーリを好きになってしまったらしい。
 明日好きって言う、明日には絶対言うと繰り返してずっと気持ちを伝えられずにいたが、コルムナの日に花を渡せたということは、告白できたということか。

「すごいな。頑張ったじゃないか」

「でもね、ユーリ、ありがとーって言ってそのままお花食べちゃったの……」

「そうか……」

 ニーアもシュウランから受け取った途端に花を食べていた。俺が大量にあげた花も、多分食べてしまったんだろう。
 俺は貰った花に魔術までかけて大事に保存しているのに。

「あたしなら、絶対宝物にして大事にとっておくんだけどな……」

「だよな。何で食べちゃうんだろうな」

「意味わかんないよね……勇者様も、そう思う?」

「思う」

「え……勇者様にもわかんないんだ……」

 アリスが失望した顔で言ったが、首席卒業の勇者でも分からないことがある。俺に恋愛相談をしたところで、一緒に盛り上がることは出来ても解決の道筋は見えて来ない。

『でも、嫌いな人から貰ったものを食べたりしまセんよ』

「うーん……そうだよね。うん、ありがと、くぅちゃん」

 クラウィスが俺よりも遥かに気の利いたことを言うと、アリスは小さな眉を寄せて難しい顔をしていたが、自分を納得させるように一度頷くと友人の元に戻って行った。

『この街の人は、すぐに壊れる物には執着しないみたいでス』

「ああ、だから食べ物なのか」

 本物の花は、どんなに大切にしても1週間程度しか保たない。それなら食べて血肉にしてしまおうと考えるのはある意味、理に適っている。

『勇者様、明日はケーキを焼きましょうか。庭のクズリの実がちょうど熟しているので』

 クラウィスも花と言えばお菓子なのか、甘い物が恋しくなったらしく明日のおやつの事を考えている。
 俺も事務所が飴細工の工房になっていたから、コルムナの花を思い浮かべると甘い匂いを思い出す。明日の材料を買いに行こうとクラウィスに同意した。
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