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第37話 勇者、移転を考える

〜2〜

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 目の前でニーアが大泣きされて、俺は慰めの言葉も出ずに馬鹿みたいに立ち尽くして、その日以来ニーアに会っていなかった。
 ニーアから謝罪のメールが来て2、3回文面でやり取りはあった。ただ、それはニーアが真面目な体育会系で先輩の俺に気を遣って連絡してくれただけで、通常であれば仕事で傷心した後輩一人慰められない無能な先輩などとは、音信不通になっていてもおかしくない。
 しかし、こう見えて俺の方が精神年齢は遥かに上で人生経験も豊かだ。
 少し遅くなったが、落ち込んだニーアをバシッと元気付けて今後の人生の指標になるような言葉をビシッと授けてやらねばなるまい。

「なんだか、歪んでいませんか?」

 俺の人生観が?
 と、アドバイスを送る前に全否定されたのかと思ったが、ニーアは勇者の事務所を指差していた。自分の墓に彫るために調べていた名言を思い返している間に、何時の間にか事務所に戻って来ていたようだ。
 言われてみれば、古い洋館の事務所は明らかに傾いている。いつも見ていたから全く気付かなかった。
 築年数的に不安のある建物だったが、俺がホーリアに来た時はこんなに痛んでいなかったはすだ。今朝までここで寝起きしていたけれど、正気であれば住まない位に歪んでいる。

「多分、あの辺が重いのか?」

「あそこ、リリーナさんの部屋の辺りですね」

 ニーアが言った直後に、事務所から爆発するような音が響いた。洋館の外壁は保っているが、隙間から砂埃が漏れていて瓦礫が崩れる音が続いている。
 本当に驚いた時は気の利いた反応が出来ないもので、ニーアと一緒に「おお……」と撃ち上げ損ねた花火を見守るように眺めていた。
 ガラガラと音が止まった頃に、ニーアがはっと気付いて顔を青くする。

「……ッ、ゆ、勇者様!今、事務所には……」

 無人だから大丈夫、と答えて、駆け出そうとするニーアを宥めた。
 しかし、俺が気まぐれを起こして真面目に働いていなかったら、リビングのソファーで日課の二度寝をしている時間だ。
 気持ちよく寝直している時に事務所が崩落したら、流石の俺でも無傷では済まなかっただろう。
 これは、勇者の俺を狙った計画的な犯行だ。


 そう思ってニーアの前で深刻な顔をしてみたものの、中を調べてみると普通に2階に物が多過ぎて、重さに耐えきれず床が抜けて崩れただけだった。

「これ、全部リリーナさんの物ですね」

 瓦礫を乗り越えてリビングに入ったニーアが、床に散らばる物を調べて言った。
 魔術で外から補強をしたからこれ以上崩壊する危険はないが、リビングとキッチンの辺りは2階の床が抜けて急ごしらえの吹き抜けになっている。
 瓦礫と一緒に崩れてきた大量の魔術の論文資料と書物。それらを遥かに上回る量のコスプレ衣装、その他小道具、大道具。常識的に考えて2階の自室に収まる量ではない。
 魔術の失敗例で良くある話だ。
 簡単な空間拡張魔術を使って部屋の容量を超えて物を収納していたが、術式がやや面倒な質量操作魔術は使わなかった。質量保存の法則に素直に従った部屋の床は、耐え切れなくなって崩壊する。
 養成校にいたリリーナを呼び付けて現状を見せると、自分の単純ミスに気付いて「やべぇ」と顔を引き攣らせる。
 助けを求めてニーアを見たが、この惨劇を前にしてニーアはリリーナを庇おうとしない。
 しかし、リリーナは果敢にもこの状態から言い逃れをしようとえぐえぐと愚図りだした。

「な、なによぅ……つまり、あたしのせいだって言いたいの?」

 この世の全ての罪を着せられているかのような口ぶりだったが、リリーナはそう言いつつもいくつかの複雑な術式を発動させて、瓦礫と私物を分ける。
 そして、庭にそこそこ立派な、少なくとも今の事務所よりも住み心地が良さそうな物置を作って私物を移動させた。

「最初からそう言っている」

「ひどい……勇者の部屋だってゴミ溜めみたいに汚いのに、責められるのはいつもあたしばっかり……!」

 リリーナはニーアに抱き着いてさめざめと泣き出した。コルダとよく一緒にいたから、被害者ぶる演技が上達している。

「もういいわ!あたし、しばらく家を出るから!探さないで!」

「あ、逃げた」

 ニーアが止める間もなく、リリーナは事務所を飛び出してそのまま移動魔術で姿を消す。
 リリーナは自分が悪くないと思っている時ほど適当に謝って終わらせようとするから、一応反省はしていようだ。少し時間を置けば素直に謝ってくるだろうから、今の所は許してやろう。
 そのまま事務所の修理をしようと術式を組み立てたが、ふと嫌な予感がして発動を取りやめる。

「ニーア、この事務所は、勝手に修理をしていいのか?」

「え?あー……そうですね。一応市の建物ですし。直しちゃ駄目ってことはないと思うんですけど……」

 少し聞いてみます、とニーアが通信機で役所に連絡をする。
 それから、担当部署が分からないと3回保留と転送があり、担当者不在で折り返しの電話を待ち、ようやく掛かって来た公共施設の管理担当に状況を説明した所、調べてから折り返すと言われて通信が切れる。
 働き者のニーアが掃除を始めて、俺が念の為に始末書のフォーマットを探していると、日が暮れかかった頃に副市長から連絡が入った。

『事務所を、壊したんですか……、事務所を……そうですか……』

 話しながら副市長の溜息は止まらない。
 俺としても、借りたPCの液晶画面を叩き割るのと、公共施設の天井をぶち抜くのとはレベルが違うのはわかる。
 後始末に翻弄するであろう副市長を慮って心からの謝罪をしつつ、直接の原因はホーリア市在住で御市に税金を納めている市民の仕業だとはっきり伝えた。

『勇者様の魔術で修理されるのは困りますね。その事務所は、非常時に勇者が死んだ際は防衛拠点に使いますから』

 つまり、非常事態が起きて俺が死んだらこの事務所が行政の防災拠点になる。俺が死んだら俺の魔術は消えてしまうから、それで事務所を組み立てられると困るということだ。
 俺が死んだ時の話を俺にするのは失礼じゃないかと思ったが、部下のせいで天井に押し潰されて死ぬ所だった俺は反論の仕様がない。
 オーナーは娘が言う事を聞かないと落ち込んでいたけれど、リリーナにその気がなくてもリリーナのせいで俺は何度も死にかけている。

『たしか、赤兎会の細工も入っています。あちらに修理を依頼してみましょう』

「すぐに直して貰えるのか?」

『連絡をしてみないと何とも。出来るだけ急いで来てもらうようにしますので』

 そう言うと、副市長は忙しそうに通話を切ってしまった。
 俺の今日の寝床の相談とか、一歩間違えれば死んでいた恐怖に対する慰謝料の額とか、話したいことがまだ沢山あったのに。

「しばらくここに住むのは無理そうですね」

 赤兎会といえば多くの職人を抱えて、国でも個人でもどこでも仕事をするプロ集団だ。田舎の勇者の事務所の修理など、最後尾の看板持ちに回されるだろう

「勇者様、今夜はニーアの家に来ますか?」

 通話を聞きつつ作業をしていたニーアが、軍手を外して尋ねて来た。
 せめて生活が出来る程度に復旧できないかと片付けをしてくれていたが、早々に諦めたらしい。瓦礫の有効活用を進めていて、ニーアの傍らには瓦礫が生まれ変わって出来た犬小屋が鎮座している。

「この時間からホテルの空き部屋を探すのも面倒でしょうし。狭いですけど一泊だけなら泊まれないこともないですよ」

「いいのか?」

「勇者様が嫌じゃなければ」

 本当に狭いですよ、とニーアは釘を刺してくる。
 しかし、一晩同じ屋根の下にいれば、腹を割った話も出来るだろう。俺は頭の中で名言辞典のページを再び捲り始めた。
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