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第37話 勇者、移転を考える
〜3〜
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3番街の他の店と同じく、靴屋は既に店仕舞いをしていた。
制作したばかりの犬小屋を抱えたニーアは、正面入り口の鍵を開けて店内に入る。
そして、表のカウンター裏の応接室に入って別の扉から出て、細い廊下を進んで行った。
店先でユーリの相手をしたり応接室でルークとゲームをしたことはあるが、ここまで奥に入るのは初めてだ。
表向きの店構えはこじんまりしているが、老舗だけあって奥に続く居住スペースはそれなりの敷地があるらしい。
細い廊下を進むと、窓から見える風景が商店が並ぶ賑やかな通りから大木に飲み込まれそうな森の中に変わって行く。
芝生か雑草か区別が付かなくなっている中庭に着くと、ニーアは一旦廊下から逸れて庭の隅に向かう。
そして、抱えていた犬小屋を芝生の上にそっと置いた。
「ちょっと小さかったかも……」
呟いたニーアを後ろから覗くと、芝生の中で子犬が一匹、平和な寝息を立てていた。
タオルや餌入れが備えてあって、ここがこの犬の寝床らしい。
だとしても屋根が無い吹きさらしの場所で、警戒心など生まれてから一度も持ったことがなさそうな呑気な顔で眠っていた。
「この家で飼っているのか?」
「違います。ミミーの所の犬ですよ」
覚えていませんか?とニーアに言われるが、俺に犬の知り合いはいない。
よくよく見てみると以前にゼロ番街で騒動があった時に、ニーアが抱えていた子犬だと気付いた。
「ミミーが飼っているんですけど、よく家に遊びに来てそのままここで寝ちゃうんです」
「ミミーは、今どこに住んでいるんだ?」
「ウラガノさんの家です。酔ってて記憶がないらしいんですけど一軒家を30年ローンで買っちゃったから、ペットも飼えるんですよ」
買っちゃったから、とニーアは軽く言うけれど、酒に背中を押されたとはいえ随分大きな買い物だ。買う方も買う方だが、売る方もどうかしている。
しかし、マイホームがあって結婚をして犬を飼って。教科書に掲載されるくらい理想の人生だ。結果的には良かったのだろう。
ニーアは犬小屋と犬のサイズを比べていたが、これはこれで良しとしたのか、犬小屋を庭に置いて立ち上がった。
その犬小屋の材料は勇者の事務所の瓦礫なんだから、一応市の財産なんじゃないのか。
そう気付いてしまったが、これから泊まらせてもらうのに野暮な事は言わないでおこう。
「広い家じゃないか」
「古いだけですよ」
ニーアは謙遜しているのか短く答えて、また廊下に戻って先に進んだ。
なんとなく会話が止まると、遠くの虫の声と森の木々の葉が擦れる音しか聞こえなくなった。
大きな風が吹くと、森は暗い一つの塊のように揺れる。
昼間の明るい散歩道とは違う、余所余所しい空気に胸が騒ついて少し不安になった。
俺とニーアの足音だけが響く。鼓動の音までニーアに伝わりそうだと緊張していると、やっと廊下の終わりが見えてニーアが奥のドアを開けた。
オレンジの光が隙間から広がる。と、思った瞬間、森の薄闇なんてどうでもよくなるくらい騒がしいガキの絶叫が聞こえて来た。
「ただいま」
俺が自分の鼓膜の無事を確かめているのに対し、ニーアは慣れた様子で騒音の大合唱に負けない声で呼びかける。
扉の向こうは立派な暖炉が付いた広くてリビングだが、それでも定員オーバーだというくらい大勢の子供がぎゃあぎゃあと騒ぎ散らしていた。
「だから狭いって言ったじゃないですか」
気圧されて部屋に入ろうとしない俺に、ニーアは困ったように言った。しかし、問題は狭さではない。
この家で最初に褒めるべきは広さではなくて防音性だ。
「こいつら、全員ニーアの下のきょうだいか?」
そんな訳ないじゃないですか、と答えるニーアの声を掻き消して、俺に気付いたガキ共が「勇者だー!」と新しい玩具の登場を喜ぶように突進して来た。
「みんな、遊んだら歯磨きの約束だよ!」
散らばっている子供の中で、まだ話がわかりそうなサイズの男の子が呼びかける。賢い子がいるなと思ったら、ニーアの弟のユーリだった。
この有象無象共を束ねているようで、子供たちはユーリに素直に返事をすると、大人しくリビングを出て行く。
「いつもはこんなにうるさくないんですよ。でも、ユーリがシッターのアルバイトで、時々家まで子供を連れて来ちゃうんです」
「そうだよー!だって、長く面倒を看てればそれだけいっぱいお金が貰えるからね」
ユーリは子供たちが散らかした絵本やぬいぐるみやミニカーをポイポイとおもちゃ箱に放り込んで片付けをしていた。
ユーリはまだリトルスクールを卒業していない。つい最近まで通学路で棒を振り回して遊んでいたし、雨の日は泥だらけになって近所のおばさんに怒られていたのに。
選挙だの戦争だので俺が家庭教師を中断している間に、本格的に商売を始めてしまったらしい。この年頃の子は急に成長するものだ。
しかし、よく働く所はニーアに似ているが、金儲けに余念が無いところは兄に似ていて嫌な予感がする。
「何か買いたい物でもあるのか?」
「ううん!沢山溜めてお金持ちになるんだ。それにね、ルークにお金を渡すと今なら20倍にして返してくれるって!」
あいつは、ついに弟までカモにするようになったのか。
幼いユーリには残酷な話だが、たとえ肉親であってもマズいと思った時はすぐに縁を切った方が良い。
望むなら俺が養親になってやるから、毒牙にかかる前に今すぐ家を出るんだ。
「ルークの話は止めなさいっ」
俺がユーリへ説得を始めるよりも先に、ニーアが焦った表情でユーリを止めた。ユーリも何か察するものがあるのか、唇を尖らせたが反論せずに子供たちを追い駆けて行く。
突如として明るいリビングを冷え着かせた不穏な空気に、ご家庭の事情だと思いつつも尋ねずにいられなかった。
「ルークが、どうかしたのか?」
「あの子、仕事でトラブルを起こして、今、訴えられて裁判が進んでいるところで……」
「へぇ、早かったな」
予想通りの展開に、俺は軽い口調で応えてしまった。
この言い方では、俺がルークが訴えられることを確信して楽しみに待っていたようではないか。
ニーアもそれに気付いて大きなため息を吐く。
俺はルークとはそれなりに良好な仲で、暇な時に偶然会ったら飯に行くし、流れでそのまま徹夜でゲームをしたりする。
だが、無実を信じるにはルークの煽りスキルは高すぎるし、いつか何かやると思っていたから罪は正しく償って欲しい。
とはいえ、ニーアの手前、俺は形だけでもルークの無実を信じてその姉を案じる表情を作ってみせた。
「仕事ということは、相手は会社か?」
「はい、芸能事務所です。その……リストさんが所属している事務所で……」
ミミーが何か隠した様子で鍛冶屋が臨時休業と言っていたことを思い出す。
ルークはスーパーアドバイザーだがハイパークリエイターだか、よくわからない肩書きでリストの顔の良さをフル活用して金儲けをしていた。
が、結論として世間一般ではやっぱり駄目なやり方だったらしい。
「ルークも事務所もどっちが悪いというか、お互い様な感じなんですよね。リストさんは大事にするつもりはないって言ってくれたんですけど……」
やけに詳しいニーアは、首都に行って弟の裁判の証明人になっていたらしい。
勇者養成校の生徒が小遣い稼ぎに時々任される仕事で、証言書にサインを書くだけの簡単な内容だ。
身内でも証明人にはなれると聞いていたが、落ち込んで休学している所にやんちゃな弟が訴えられて裁判とは、ニーアは苦労をしている。
「和解はできないのか?」
「ルークは腕のいい弁護士を雇ったので、徹底的に法廷で争うつもりらしいです」
「そうか。盛り上がっているな」
「ええ、悪い方に。説得に行った父は諦めて傍観してました」
「しかし、弟まで騙すなんて。呆れた奴だ」
「いえ、お金を渡すと20倍にして返してくれるっていうのは本当なんですよ。ニーアも、首都にいる間はあの子の家に住んでたんですけど、豪邸みたいな贅沢な暮らしでした」
そう言うニーアは、確かに最後に見た時と比べて髪も肌も艶々に輝いている。
あの時が戦争帰りでやつれていたというのはあるだろうが、落ち込んでも食欲は落ちないニーアは、首都にいる間は高級な物を食べてセレブリティ溢れる生活をしていたようだ。
「俺は……ルークの親友だった気がする」
「そうですか?同い年なら普通ぐらいの仲だと思いますよ」
金に目が眩んだ俺は偽りの記憶を生成しようとしたが、ニーアが迅速にそれを阻止した。
制作したばかりの犬小屋を抱えたニーアは、正面入り口の鍵を開けて店内に入る。
そして、表のカウンター裏の応接室に入って別の扉から出て、細い廊下を進んで行った。
店先でユーリの相手をしたり応接室でルークとゲームをしたことはあるが、ここまで奥に入るのは初めてだ。
表向きの店構えはこじんまりしているが、老舗だけあって奥に続く居住スペースはそれなりの敷地があるらしい。
細い廊下を進むと、窓から見える風景が商店が並ぶ賑やかな通りから大木に飲み込まれそうな森の中に変わって行く。
芝生か雑草か区別が付かなくなっている中庭に着くと、ニーアは一旦廊下から逸れて庭の隅に向かう。
そして、抱えていた犬小屋を芝生の上にそっと置いた。
「ちょっと小さかったかも……」
呟いたニーアを後ろから覗くと、芝生の中で子犬が一匹、平和な寝息を立てていた。
タオルや餌入れが備えてあって、ここがこの犬の寝床らしい。
だとしても屋根が無い吹きさらしの場所で、警戒心など生まれてから一度も持ったことがなさそうな呑気な顔で眠っていた。
「この家で飼っているのか?」
「違います。ミミーの所の犬ですよ」
覚えていませんか?とニーアに言われるが、俺に犬の知り合いはいない。
よくよく見てみると以前にゼロ番街で騒動があった時に、ニーアが抱えていた子犬だと気付いた。
「ミミーが飼っているんですけど、よく家に遊びに来てそのままここで寝ちゃうんです」
「ミミーは、今どこに住んでいるんだ?」
「ウラガノさんの家です。酔ってて記憶がないらしいんですけど一軒家を30年ローンで買っちゃったから、ペットも飼えるんですよ」
買っちゃったから、とニーアは軽く言うけれど、酒に背中を押されたとはいえ随分大きな買い物だ。買う方も買う方だが、売る方もどうかしている。
しかし、マイホームがあって結婚をして犬を飼って。教科書に掲載されるくらい理想の人生だ。結果的には良かったのだろう。
ニーアは犬小屋と犬のサイズを比べていたが、これはこれで良しとしたのか、犬小屋を庭に置いて立ち上がった。
その犬小屋の材料は勇者の事務所の瓦礫なんだから、一応市の財産なんじゃないのか。
そう気付いてしまったが、これから泊まらせてもらうのに野暮な事は言わないでおこう。
「広い家じゃないか」
「古いだけですよ」
ニーアは謙遜しているのか短く答えて、また廊下に戻って先に進んだ。
なんとなく会話が止まると、遠くの虫の声と森の木々の葉が擦れる音しか聞こえなくなった。
大きな風が吹くと、森は暗い一つの塊のように揺れる。
昼間の明るい散歩道とは違う、余所余所しい空気に胸が騒ついて少し不安になった。
俺とニーアの足音だけが響く。鼓動の音までニーアに伝わりそうだと緊張していると、やっと廊下の終わりが見えてニーアが奥のドアを開けた。
オレンジの光が隙間から広がる。と、思った瞬間、森の薄闇なんてどうでもよくなるくらい騒がしいガキの絶叫が聞こえて来た。
「ただいま」
俺が自分の鼓膜の無事を確かめているのに対し、ニーアは慣れた様子で騒音の大合唱に負けない声で呼びかける。
扉の向こうは立派な暖炉が付いた広くてリビングだが、それでも定員オーバーだというくらい大勢の子供がぎゃあぎゃあと騒ぎ散らしていた。
「だから狭いって言ったじゃないですか」
気圧されて部屋に入ろうとしない俺に、ニーアは困ったように言った。しかし、問題は狭さではない。
この家で最初に褒めるべきは広さではなくて防音性だ。
「こいつら、全員ニーアの下のきょうだいか?」
そんな訳ないじゃないですか、と答えるニーアの声を掻き消して、俺に気付いたガキ共が「勇者だー!」と新しい玩具の登場を喜ぶように突進して来た。
「みんな、遊んだら歯磨きの約束だよ!」
散らばっている子供の中で、まだ話がわかりそうなサイズの男の子が呼びかける。賢い子がいるなと思ったら、ニーアの弟のユーリだった。
この有象無象共を束ねているようで、子供たちはユーリに素直に返事をすると、大人しくリビングを出て行く。
「いつもはこんなにうるさくないんですよ。でも、ユーリがシッターのアルバイトで、時々家まで子供を連れて来ちゃうんです」
「そうだよー!だって、長く面倒を看てればそれだけいっぱいお金が貰えるからね」
ユーリは子供たちが散らかした絵本やぬいぐるみやミニカーをポイポイとおもちゃ箱に放り込んで片付けをしていた。
ユーリはまだリトルスクールを卒業していない。つい最近まで通学路で棒を振り回して遊んでいたし、雨の日は泥だらけになって近所のおばさんに怒られていたのに。
選挙だの戦争だので俺が家庭教師を中断している間に、本格的に商売を始めてしまったらしい。この年頃の子は急に成長するものだ。
しかし、よく働く所はニーアに似ているが、金儲けに余念が無いところは兄に似ていて嫌な予感がする。
「何か買いたい物でもあるのか?」
「ううん!沢山溜めてお金持ちになるんだ。それにね、ルークにお金を渡すと今なら20倍にして返してくれるって!」
あいつは、ついに弟までカモにするようになったのか。
幼いユーリには残酷な話だが、たとえ肉親であってもマズいと思った時はすぐに縁を切った方が良い。
望むなら俺が養親になってやるから、毒牙にかかる前に今すぐ家を出るんだ。
「ルークの話は止めなさいっ」
俺がユーリへ説得を始めるよりも先に、ニーアが焦った表情でユーリを止めた。ユーリも何か察するものがあるのか、唇を尖らせたが反論せずに子供たちを追い駆けて行く。
突如として明るいリビングを冷え着かせた不穏な空気に、ご家庭の事情だと思いつつも尋ねずにいられなかった。
「ルークが、どうかしたのか?」
「あの子、仕事でトラブルを起こして、今、訴えられて裁判が進んでいるところで……」
「へぇ、早かったな」
予想通りの展開に、俺は軽い口調で応えてしまった。
この言い方では、俺がルークが訴えられることを確信して楽しみに待っていたようではないか。
ニーアもそれに気付いて大きなため息を吐く。
俺はルークとはそれなりに良好な仲で、暇な時に偶然会ったら飯に行くし、流れでそのまま徹夜でゲームをしたりする。
だが、無実を信じるにはルークの煽りスキルは高すぎるし、いつか何かやると思っていたから罪は正しく償って欲しい。
とはいえ、ニーアの手前、俺は形だけでもルークの無実を信じてその姉を案じる表情を作ってみせた。
「仕事ということは、相手は会社か?」
「はい、芸能事務所です。その……リストさんが所属している事務所で……」
ミミーが何か隠した様子で鍛冶屋が臨時休業と言っていたことを思い出す。
ルークはスーパーアドバイザーだがハイパークリエイターだか、よくわからない肩書きでリストの顔の良さをフル活用して金儲けをしていた。
が、結論として世間一般ではやっぱり駄目なやり方だったらしい。
「ルークも事務所もどっちが悪いというか、お互い様な感じなんですよね。リストさんは大事にするつもりはないって言ってくれたんですけど……」
やけに詳しいニーアは、首都に行って弟の裁判の証明人になっていたらしい。
勇者養成校の生徒が小遣い稼ぎに時々任される仕事で、証言書にサインを書くだけの簡単な内容だ。
身内でも証明人にはなれると聞いていたが、落ち込んで休学している所にやんちゃな弟が訴えられて裁判とは、ニーアは苦労をしている。
「和解はできないのか?」
「ルークは腕のいい弁護士を雇ったので、徹底的に法廷で争うつもりらしいです」
「そうか。盛り上がっているな」
「ええ、悪い方に。説得に行った父は諦めて傍観してました」
「しかし、弟まで騙すなんて。呆れた奴だ」
「いえ、お金を渡すと20倍にして返してくれるっていうのは本当なんですよ。ニーアも、首都にいる間はあの子の家に住んでたんですけど、豪邸みたいな贅沢な暮らしでした」
そう言うニーアは、確かに最後に見た時と比べて髪も肌も艶々に輝いている。
あの時が戦争帰りでやつれていたというのはあるだろうが、落ち込んでも食欲は落ちないニーアは、首都にいる間は高級な物を食べてセレブリティ溢れる生活をしていたようだ。
「俺は……ルークの親友だった気がする」
「そうですか?同い年なら普通ぐらいの仲だと思いますよ」
金に目が眩んだ俺は偽りの記憶を生成しようとしたが、ニーアが迅速にそれを阻止した。
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