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第37話 勇者、移転を考える

〜1〜

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 コルダとの散歩やフォカロルへの餌やりが無くなったから、俺の朝の習慣に国境の警備を加えることにした。
 しかし、歩いて得られる情報なんて常時事務所から透視魔術で行っている監視と違いはない。
 今更なんの意味があるのだろうかとか朝の散歩とどこが違うんだと思いつつ、健康には良いだろうからここ2、3日は続けていた。そろそろ飽きて止める頃だ。
 一人で森の中を歩いていると、まだ朝靄も消えない時間なのに通信機が鳴る。
 応答後、間髪入れずにオグオンが出た。こちらは爽やかな早朝だが、ここ最近のオグオンはいつでも木曜15時みたいな仕事に追われた空気感がある。

『報告があった件、気になる国境侵犯はなかった』

 挨拶も無しに、無慈悲な死刑宣告のようにオグオンは言う。
 しかし、内容はそう悪くはない。出入国の全データは大臣しか見られないから、オグオンが確認してくれたらしい。
 その結果、不法な国境侵犯はなかった。つまり、俺が間抜けにも不法入国者を見逃したという事実は、データ上ではないということだ。

「しかし、1、2人ではないらしい」

『全て調べたが、国境付近の基礎防御魔術では感知出来ていない』

「全て?」

 意味がわからなくて俺が聞き返すと、オグオンはああ、と軽く流して話を続ける。

『ホーリアが着任してからの北部の国境の出入りの全てだ』

「それを、全部調べたのか?」

『私の使う「全て」は「全部」の意味だ』

 オグオンは進まない話にやや焦れたように言った。
 俺が着任してから2年近く過ぎている。貿易だの外交だの個人旅行だの、常時大量に出入りがある国境のデータを、全て、つまり全部、調べたのか。
 俺が部下のせいで同じ仕事をしろと言われたら、その場で辞表を書いて退職するだろう。
 ベッドの上で寝続けようか起き出してご飯を食べようか考えて夕方まで過ごしている日もあれば、時計の秒針の動きがいつもより早い気がして見つめていたら夜になる日もある。
 対してオグオンは、常人が一生かかっても終わらないような、かつ面倒臭いから見ないフリをしている仕事を顔色一つ変えずに終わらせている。

『アガットが行き来していたのは知っている。ゼロ番街支配人からの報告でネイピアスまでだからある程度は黙認していた』

「カルムも引っ掛かっていたのか?」

『出入りの際に強固な反魔術を掛けていたようだが、どれかには引っ掛かるように出来ている。つまり、全ての人間は管理できていた』

「不法入国者は退魔の子か」

 オグオンの無言は肯定を意味していた。
 退魔の子なら、防御魔術に引っ掛からないし透視魔術でも見えないから、自由に国境を出入りすることができる。子供ばかりというのも、どこからか逃げて来た退魔の子だというのなら納得できる。
 ただ、魔術も力も持たない退魔の子が、魔獣が住む森を抜けて見知らぬ国で生きて行けるかというと別の話だ。
 先日、ニパスは退魔の子を「カルムが勝手に連れて来た」と言っていた。
 例えば、アムジュネマニスで生まれた退魔の子を、魔術師が国境の両側で護衛しつつ引き渡せば、無事にヴィルドルクに不法入国できるのかもしれない。
 魔力で全ての優劣が決まるアムジュネマニスより、ヴィルドルクの方が退魔の子にとっては生きて行ける可能性が高い環境だ。
 だとしても、今回はネイピアスからヴィルドルクへの不法入国だ。
 ヴィルドルクとネイピアスだったら、魔術に頼らずに生活基盤が成り立っているネイピアスの方が退魔の子にとっては生きやすいはずだ。わざわざヴィルドルクに来る理由がわからない。

『そちらで見つけた死体の方は?』

「頭が無いから情報が取れない。ただ、あの程度のよくある感染症で死んだなら、治癒魔術が使えなかった退魔の子の可能性が高い」

『あの辺りで退魔の子の集団が動いているのは間違いなさそうだ』

「アガットは、今どこにいる?」

『ここ最近、出国した記録は残っていない。国内にいるはずだが、何をしているんだか』

 オグオンが言って、俺は何だかすごく嫌な予感がした。
 退魔の子が大量にヴィルドルクに入国していて、カルムが姿を消した。
 無関係であることを望みつつも、カルムが笛吹き男のように退魔の子を引き連れて、自分もろとも闇に消えて行くイメージが頭から消えない。

「多分、退魔の子を集めて国でも作ろうとしているんじゃないか?」

 しかし、俺の妄想で奴を悪人に仕立て上げるのはいささか早計だ。
 嫌な考えを振り払おうと真逆の事を明るく言うと、オグオンは一瞬言葉を止めた。

『まさか、本当にそう考えているのか?』

 オグオンの声は、隠しきれない暗い感情が滲んでいた。
 それは呑気な事を言った俺への失望ではなく、この世界では無力で無価値な退魔の子への軽蔑にも近い哀れみだった。
 この世界では、それが当然の反応だ。オグオンだから上手く隠せているが、普通だったらもっと露骨な反応があるだろう。
 また報告する、と言い残して通話を切った。
 カルムの所在については、リコリスに聞けば何か分かるかもしれない。最近忙しいらしくてゼロ番街にもいないらしいが、近々戻って来ると噂を聞いた。今日の夜にでも尋ねてみよう。

「勇者様」

 聞き慣れた、それでも記憶よりもやや元気のない声がして振り返る。
 随分久し振りのような気がするが、この程度顔を合わせないのは養成校の授業で忙しい時期は時々あった。
 でも、普通の、いつもの日常の遠い思い出を再現するように声の高さや表情の動きに気を張って、どうにか短く返事をする。

「ちょっと、来てほしいんですけど……」

 ニーアは明るい緑の瞳に深刻な影を落として、静かにそう言った。
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