226 / 240
第36話 勇者、民意を問う
~6~
しおりを挟む
オグオンへ一応の報告は済ませたものの、正直な所、事態の深刻さに頭を抱えていた。
今まで、俺にしては比較的真面目かつ優秀に仕事をしてきたつもりだ。
だとしても、四六時中国境に立っていたり、昼夜を問わず国境を行き来する人物に目を光らせたりしていたわけではない。ランチの時間は仕事を忘れて休憩するし、気が乗らない時は読書をするし、極々稀に、本当に稀なことだが、体調が優れない時は仮眠をとる事もある。
そう、少なくとも人間らしい働き方で働いてきた。此度騒動が俺の働き方改革のせいだと言うのであれば、学園と、オグオンと正面から戦おう。
とりあえず、一つくらい問題を片付けておけば俺の気分も晴れて労働組合を設立するくらいの元気が出るだろう。
オーナーとゼロ番街の魔術師たちを味方に付けるべく、カルムを見つけるのを優先させよう。
正直な所、あれだけの軍事魔術師のカルムのことだから、あまり心配していない。
仕事が嫌になってどこかに隠れているんだと思う。多分、ゼロ番街の裏路地あたりに新しい簡易住処を築いているのではないだろうか。
しかし、あれだけ実力がある魔術師が道端の段ボールハウスで寝ている所はあんまり見たくない。
そんな事を考えつつ、ゼロ番街の大通りから奥へ奥へと進んで行くと、倉庫が並ぶ区画に入ってしまった。
確実に関係者以外立ち入り禁止だろう。こんな所をうろうろしているのが知られたら、リコリスに嫌味の一つでも言われそうだ。
しかし、こういう所にこそカルムの新しい寝床があるのかもしれない。
試しに薄暗い倉庫の中に入ってみると、荷箱が積み上がった奥の暗がりで誰かが作業をしている。小柄な人影に目を凝らして近付くと、どこかで見たことがある幼い女の子だった。
まだ俺は何もしていないのに、俺を見て蛇を前にした蛙のようにピタリを硬直したように動きを止めてしまう。
この子が誰だったのか思い出せないけれど、ゼロ番街に似合わない質素な服を着ている子は、以前カルムに従っていた従業員も同じような格好をしていた。
「カルムを知らないか?」
もしかして、カルムの行方を知っているかもしれない。
俺が尋ねると、その子は金縛りが解けたかのようにぱっと俺に背を向けて走り出した。
俺はまだ何もやっていないけれど、知らない大人に話しかけられたら逃げるように教わっているのなら、躾が行き届いた賢い子だ。
立ち入り禁止の場所に忍び込んだ俺は、疑うことなく不審者だ。年端もいかない子を怯えさせないように、俺はその子を追い駆けないことにした。
俺の不審者情報が街中に流れるだろうが、今更不名誉の重ね塗りをした所で痛くも痒くもない。
あとでリコリスに言い訳をしておこう、と女の子が居なくなるのを動かないで待っていたのに、慌てて走っていたその子は木箱に突っ込んで床に倒れていた。
驚くほどドン臭い。山や森の中を走り回って遊んでいるホーリアの子供ではなさそうだ。
このままだと、俺が暴行を働いて子供に怪我をさせた傷害事件として街に広まってしまうかもしれない。
そうなったらリコリスも俺をタダでは済まさないだろう。
俺はその子の擦りむいた肘を治そうと、治癒魔術を飛ばした。
しかし、治癒魔術は弾けて俺の腕に返って来る。
ばちんと俺の腕の皮膚が裂けて血が流れてから、その子が退魔の子だとようやく気付いた。
ちょっと待て、とその子を捕まえようとしたが、後ろから誰かに羽交い絞めにされた。
しかし、普通に俺の方が力が強い。この非力さは多分魔術師だろうなと思ったら、ゼロ番街で働いているニパスだった。
「早く行け!」
俺に勝てないと気付いて、ニパスが女の子に向かって怒鳴る。
女の子は立ち上がると、本人といては全速力でトロトロ逃げて行った。
「退魔の子だ。鍵の刺青をしてなかった」
ニパスを振りほどいて両腕を拘束し返してから尋ねる。ニパスはうるさそうに顔を顰めた。
「国が違うんだから文化も違うだろう。そう騒ぐな」
「国?あの子はどこから連れて来たんだ」
一応尋ねたが、この街にいてニパスの反応を見れば答えがなくても分かる。間違いなくアムジュネマニスから連れて来た子だ。
国境を不法占拠している魔術師集団に今更言うことではないが、国境を不法に超えるのは退魔の子であっても国際犯罪だ。
そして、退魔の子でありながら顔に刺青を入れないことはヴィルドルクではまた別の罪になる。
「私じゃない。カルムが勝手に連れて来た。ここで偶然会っただけだ」
ニパスは必死に言い訳の言葉を並べていたが、酷く焦っているらしい。
勇者の俺相手に魔術ではなく筋力で立ち向かおうとしていた所からも分かる。
「あの子、知り合いなのか?」
俺がゆっくりと尋ねると、ニパスは少し落ち着いた様子で頷いた。
「……姉の子だ。親代わりになるつもりはない。ただ、退魔の子は一度はぐれると二度と会えないから」
リコリスと同じく、ニパスもモベドスを追放されていると聞いたことがある。退魔の子が血筋にいると入学できない学園だ。つまり、入学した後に血筋に生まれたら追放されるのだろう。わかりやすい校則だ。
「あの子の親は?」
「死んだ。いや、当主の直系でもないのに古い考えの家だから、死なないと許されない状況に追い詰められて自分から死んだ。殺されたのと同じだ」
ニパスは淡々と言ったが、学園を追放されてゼロ番街にいるということは、彼の国に対して友好的とは言えない感情を持っているのだろう。
「それは、よくあることなのか?」
そんな事を聞いても意味が無いとわかりつつ、つい尋ねてしまった。
カルムが探しているシスも、おそらく退魔の子だ。
退魔の子は、魔力を辿れないから探す術がない。そうでなくても、肉親と別れた退魔の子が無事に生き延びられる可能性は極めて低い。
「あの国はとても狭いんだ。世界が狭すぎて血が濃すぎて……だから退魔の子ばかり産まれる」
ニパスの言葉の意味が全ては分からなかったけれど、ニパスが滅多にない悲劇の主人公ではなく、あの国ではよくある不運の被害者だということは分かった。
今まで、俺にしては比較的真面目かつ優秀に仕事をしてきたつもりだ。
だとしても、四六時中国境に立っていたり、昼夜を問わず国境を行き来する人物に目を光らせたりしていたわけではない。ランチの時間は仕事を忘れて休憩するし、気が乗らない時は読書をするし、極々稀に、本当に稀なことだが、体調が優れない時は仮眠をとる事もある。
そう、少なくとも人間らしい働き方で働いてきた。此度騒動が俺の働き方改革のせいだと言うのであれば、学園と、オグオンと正面から戦おう。
とりあえず、一つくらい問題を片付けておけば俺の気分も晴れて労働組合を設立するくらいの元気が出るだろう。
オーナーとゼロ番街の魔術師たちを味方に付けるべく、カルムを見つけるのを優先させよう。
正直な所、あれだけの軍事魔術師のカルムのことだから、あまり心配していない。
仕事が嫌になってどこかに隠れているんだと思う。多分、ゼロ番街の裏路地あたりに新しい簡易住処を築いているのではないだろうか。
しかし、あれだけ実力がある魔術師が道端の段ボールハウスで寝ている所はあんまり見たくない。
そんな事を考えつつ、ゼロ番街の大通りから奥へ奥へと進んで行くと、倉庫が並ぶ区画に入ってしまった。
確実に関係者以外立ち入り禁止だろう。こんな所をうろうろしているのが知られたら、リコリスに嫌味の一つでも言われそうだ。
しかし、こういう所にこそカルムの新しい寝床があるのかもしれない。
試しに薄暗い倉庫の中に入ってみると、荷箱が積み上がった奥の暗がりで誰かが作業をしている。小柄な人影に目を凝らして近付くと、どこかで見たことがある幼い女の子だった。
まだ俺は何もしていないのに、俺を見て蛇を前にした蛙のようにピタリを硬直したように動きを止めてしまう。
この子が誰だったのか思い出せないけれど、ゼロ番街に似合わない質素な服を着ている子は、以前カルムに従っていた従業員も同じような格好をしていた。
「カルムを知らないか?」
もしかして、カルムの行方を知っているかもしれない。
俺が尋ねると、その子は金縛りが解けたかのようにぱっと俺に背を向けて走り出した。
俺はまだ何もやっていないけれど、知らない大人に話しかけられたら逃げるように教わっているのなら、躾が行き届いた賢い子だ。
立ち入り禁止の場所に忍び込んだ俺は、疑うことなく不審者だ。年端もいかない子を怯えさせないように、俺はその子を追い駆けないことにした。
俺の不審者情報が街中に流れるだろうが、今更不名誉の重ね塗りをした所で痛くも痒くもない。
あとでリコリスに言い訳をしておこう、と女の子が居なくなるのを動かないで待っていたのに、慌てて走っていたその子は木箱に突っ込んで床に倒れていた。
驚くほどドン臭い。山や森の中を走り回って遊んでいるホーリアの子供ではなさそうだ。
このままだと、俺が暴行を働いて子供に怪我をさせた傷害事件として街に広まってしまうかもしれない。
そうなったらリコリスも俺をタダでは済まさないだろう。
俺はその子の擦りむいた肘を治そうと、治癒魔術を飛ばした。
しかし、治癒魔術は弾けて俺の腕に返って来る。
ばちんと俺の腕の皮膚が裂けて血が流れてから、その子が退魔の子だとようやく気付いた。
ちょっと待て、とその子を捕まえようとしたが、後ろから誰かに羽交い絞めにされた。
しかし、普通に俺の方が力が強い。この非力さは多分魔術師だろうなと思ったら、ゼロ番街で働いているニパスだった。
「早く行け!」
俺に勝てないと気付いて、ニパスが女の子に向かって怒鳴る。
女の子は立ち上がると、本人といては全速力でトロトロ逃げて行った。
「退魔の子だ。鍵の刺青をしてなかった」
ニパスを振りほどいて両腕を拘束し返してから尋ねる。ニパスはうるさそうに顔を顰めた。
「国が違うんだから文化も違うだろう。そう騒ぐな」
「国?あの子はどこから連れて来たんだ」
一応尋ねたが、この街にいてニパスの反応を見れば答えがなくても分かる。間違いなくアムジュネマニスから連れて来た子だ。
国境を不法占拠している魔術師集団に今更言うことではないが、国境を不法に超えるのは退魔の子であっても国際犯罪だ。
そして、退魔の子でありながら顔に刺青を入れないことはヴィルドルクではまた別の罪になる。
「私じゃない。カルムが勝手に連れて来た。ここで偶然会っただけだ」
ニパスは必死に言い訳の言葉を並べていたが、酷く焦っているらしい。
勇者の俺相手に魔術ではなく筋力で立ち向かおうとしていた所からも分かる。
「あの子、知り合いなのか?」
俺がゆっくりと尋ねると、ニパスは少し落ち着いた様子で頷いた。
「……姉の子だ。親代わりになるつもりはない。ただ、退魔の子は一度はぐれると二度と会えないから」
リコリスと同じく、ニパスもモベドスを追放されていると聞いたことがある。退魔の子が血筋にいると入学できない学園だ。つまり、入学した後に血筋に生まれたら追放されるのだろう。わかりやすい校則だ。
「あの子の親は?」
「死んだ。いや、当主の直系でもないのに古い考えの家だから、死なないと許されない状況に追い詰められて自分から死んだ。殺されたのと同じだ」
ニパスは淡々と言ったが、学園を追放されてゼロ番街にいるということは、彼の国に対して友好的とは言えない感情を持っているのだろう。
「それは、よくあることなのか?」
そんな事を聞いても意味が無いとわかりつつ、つい尋ねてしまった。
カルムが探しているシスも、おそらく退魔の子だ。
退魔の子は、魔力を辿れないから探す術がない。そうでなくても、肉親と別れた退魔の子が無事に生き延びられる可能性は極めて低い。
「あの国はとても狭いんだ。世界が狭すぎて血が濃すぎて……だから退魔の子ばかり産まれる」
ニパスの言葉の意味が全ては分からなかったけれど、ニパスが滅多にない悲劇の主人公ではなく、あの国ではよくある不運の被害者だということは分かった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
141
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる