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卯月
第十三話
しおりを挟む店の奥にある牧原家の居間には、甚平姿の青年が転がっていた。座布団を枕に、スピースピーと、息苦しそうな寝息を立てている。そんな彼を起こさないように、足を忍ばせて台所に回り込む。蛇口を捻って、グラスに水を注いで口をつけた。
「……くしゅっ」
居間からくしゃみが聞こえれば、酔い潰れた店員に、少しばかり同情的な気持ちになる。タオルケットの一枚でも被せてやれば、二十歳になったばかりの青年は、瞼を閉じたまま、ふふふ、と不気味な笑いを溢した。
「お疲れ様」
ぽつりと労いの言葉を呟いてみる。いつだったか、自分もこんな風に酔い潰れたことがあった気がして、苦笑いを浮かべてしまう。掛け時計を見上げれば、丑三つ時も過ぎていた。さすがに眠気も限界で、重い瞼を擦った。
目が覚めたのは、だいぶ日が高くなってからであった。身体は鉛のように重く、頭の半分は生温い泥に浸かったままで、もう一度、瞼を下ろしてしまいたくなる。けれど、手繰り寄せたスマホの時刻表示を見て、ハッとした。
十一時を回っていることに気がついて、飛び起きると、軋む階段を駆け降りて店のドアを開ける。
「ごめん」
ハルくんが、垂れ下がった目を丸くする。
「お、はようございます」
藍色の甚平を着込んだ青年は、さっぱりとした顔で、カウンターの板場で仕込みを手伝っていた。若い彼は、酔い潰れても一晩眠れば、容易に復活できるらしい。
ハルくんは、小さく笑って「寝癖がついてますよ」と自分の頭を撫でつけるようにして教えてくれる。自分の格好を思い返せば、Tシャツにスウェットのズボン姿で、寝癖どころか、顔も洗っていない。随分、見苦しい格好で店に出てしまったことに、急に居た堪れない気持ちになる。
ハルくんの隣で仕込みをしていた大将が、顔をあげて微笑んだ。
「今日はハルに手伝ってもらうよ。真人は店のことは気にしなくていいから」
「…………そう」
大将は、直ぐにでも仕込み作業に戻っていく。茄子を縦半分に切り落とすと、根元の方を少し残して、端から細かく包丁を入れいく。手で切り口を扇状に広げていけば、紫色の花のようであった。
バイトの青年は、たらの芽の袴を一枚ずつ剥がしている。確か、今日のメニューは春野菜の天婦羅定食だったはず。
「ハルくん、急だったんじゃない?……ごめんね」
「大丈夫ですよ。バイト代、弾んでもらうんで」
人懐っこく笑う顔は、強かで頼もしい。貴俊に視線を向ける。黙々と仕込みをしている姿は凛々しく、顔つきは料理人のそれであった。
週末のランチタイムは、ほとんど儲けのない奉仕活動に近しい営業である。だから、バイトに手伝いを頼んだことはない。貴俊は、気心知れた俺にしか「この仕事」を頼まないのだと、勝手に思い込んでいた。
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