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水無月
第十八話
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熱いシャワーを頭から浴びる。冷えて強張った身体に、ようやく血が巡り、生き返るようだった。家主に好きに使ってよいと言われたことを真に受けて、高そうなシャンプーで髪を洗う。
「佐倉さんの服も洗濯しちゃいますよ」
半透明のドアに映り込む人影が、こちらに問いかける。
「着替え、適当に俺の服を出しておきますね」
「悪い。助かる」
雨宿りという免罪符で、同僚の部屋に上がり込んで、風呂場だけではなく、服まで拝借することになり、少しばかり居心地が悪い。
森岡の住処は、公園に隣接したマンションの三階に在った。招かれた玄関は、ふわりとシトラス系の香りが漂い、飾り棚には洒落たモノクロの写真やミニサボテンが飾られている。
そんな拘りがありそうな玄関に、ずぶ濡れで上がるのは些か気が引けたが「先にバスルーム使ってください」と、家主に背中を押されれば、従う他なかった。
湯気が立ち上ぼるバスルームで、曇った鏡にシャワーを当てると、滴る水の向こうで、男の姿が映り込む。気になっていた腹回りは、一ヶ月半のジョギングの成果が現れ始めたのか、多少スッキリして見えた。香りのいいシャンプーで洗った髪も、心なしか艶やかに見える。二十歳の頃の若々しく張りのある肌とは違うけれど、悪くはない、はずだと思う。
手早くシャワーを終えて、脱衣場に出れば、稼働中の洗濯機の上に、丁寧に畳まれたバスタオルと部屋着が用意されている。その上には、封の切られていない新品の下着が包装されたまま置かれていた。あまりにも至れり尽くせりで、申し訳ない気持ちになる。
「風呂、ありがとう」
居間に続く扉を開けば、家主はローソファに腰かけていた。濡れた服は脱いだらしく、肩にバスタオルをかけている他は、下着しか身に付けていなかった。
「パンツ、新しいの買って返すよ」
「あー気にしないでください。安ものなんで、」
森岡は、照れ臭そうに頬を掻いた。
「じゃあ、俺もシャワーしてきます」
森岡が立ち上がれば、男の裸体が露になる。服の上からではわからなかった腕や足は適度に筋肉がついており、胸板は厚く、腹は薄く割れている。
見惚れてしまいそうになって、慌てて視線を逸らした。無意識に自分の貧相な腹を撫でてしまう。少し年下というだけでは、説明がつかない。
「ゆっくりしててくださいね」
「ありがとう」
森岡は気にした風もなく、微笑むと脱衣場に消えていった。
家主不在の部屋で、どこに座ろうかと躊躇して、結局、彼が座っていたソファに腰かける。少し小さめだが、クッションが利いて座り心地が良く、自然に身体の力が抜けていく。
開いているカーテンの向こう側は雨雲に覆われ、薄暗い。雨に打たれている時は、あれほど冷たく不快であるのに、部屋で聴こえてくるザーザーという雨音は、子守唄のように優しい響きであった。
ぼんやりと部屋を見渡せば、如何にも森岡らしさが滲み出ていて、苦笑いが漏れた。単身者用にしては少し広めの1Kには、統一感のある小洒落た家具が配置してある。その中で、特に目を引くのは、ソファのすぐ隣に配置している低めのダブルサイズのベッドであった。落ち着いた黒いシーツは、非日常的なムードを演出する。日が落ちれば、ベッド脇の間接照明が、部屋をやんわりと照らすのだろう。
森岡はモテる男だ。整った容姿と、社交的な性格は、男女問わず惹き付ける。行きつけのバーは色気があり、その気にさせた相手を連れ込むには、この部屋はおあつらえ向きである。それに、急な宿泊客を見越してか、新品の下着までストックしているのだ。
彼は、この大きなベッドに、何人の男を引き入れたのだろう。
一瞬、脳裏を過った邪推に軽く頭を振る。
「さっぱりしたー」
ドアが開くと、湯上がりの男が現れる。Tシャツに、ハーフパンツのラフな格好で、前髪まで下ろしていると、実年齢より随分と幼く見えた。
「先に風呂使わせてもらって悪かったな」
「いえいえ、それにしても災難でしたね」
頬の血色がよくなった男は、上機嫌で奥のキッチンスペースにある小さな冷蔵庫を開いた。ミネラルウォーターを二本手に取ると、片方を差し出してくる。
「どうせなら、飯食っていきません? 大したものは出せませんが」
「そこまで世話にはなれないよ」
森岡の厚意は有難いが、牧原の家から出て四時間は過ぎている。スマホを寝室に忘れてきたことを思い出したのは、休憩所で、降り止まない雨を呆然と眺めているときであった。
もしかすると、貴俊は心配しているかもしれない。いや、違う。幸いにも、土曜日は、一人で自由に過ごすことになっている休日であった。だから、帰ったところで、やることと云えば、家事ぐらいのものである。
「まだ雨も止みそうにありませんし、俺が腹減っちゃったんで、少し付き合ってくれませんか?」
森岡の甘えるような口振りが、なんだか可笑しくて「それなら仕方ないなぁ」なんて、頷いてしまった。
「佐倉さんの服も洗濯しちゃいますよ」
半透明のドアに映り込む人影が、こちらに問いかける。
「着替え、適当に俺の服を出しておきますね」
「悪い。助かる」
雨宿りという免罪符で、同僚の部屋に上がり込んで、風呂場だけではなく、服まで拝借することになり、少しばかり居心地が悪い。
森岡の住処は、公園に隣接したマンションの三階に在った。招かれた玄関は、ふわりとシトラス系の香りが漂い、飾り棚には洒落たモノクロの写真やミニサボテンが飾られている。
そんな拘りがありそうな玄関に、ずぶ濡れで上がるのは些か気が引けたが「先にバスルーム使ってください」と、家主に背中を押されれば、従う他なかった。
湯気が立ち上ぼるバスルームで、曇った鏡にシャワーを当てると、滴る水の向こうで、男の姿が映り込む。気になっていた腹回りは、一ヶ月半のジョギングの成果が現れ始めたのか、多少スッキリして見えた。香りのいいシャンプーで洗った髪も、心なしか艶やかに見える。二十歳の頃の若々しく張りのある肌とは違うけれど、悪くはない、はずだと思う。
手早くシャワーを終えて、脱衣場に出れば、稼働中の洗濯機の上に、丁寧に畳まれたバスタオルと部屋着が用意されている。その上には、封の切られていない新品の下着が包装されたまま置かれていた。あまりにも至れり尽くせりで、申し訳ない気持ちになる。
「風呂、ありがとう」
居間に続く扉を開けば、家主はローソファに腰かけていた。濡れた服は脱いだらしく、肩にバスタオルをかけている他は、下着しか身に付けていなかった。
「パンツ、新しいの買って返すよ」
「あー気にしないでください。安ものなんで、」
森岡は、照れ臭そうに頬を掻いた。
「じゃあ、俺もシャワーしてきます」
森岡が立ち上がれば、男の裸体が露になる。服の上からではわからなかった腕や足は適度に筋肉がついており、胸板は厚く、腹は薄く割れている。
見惚れてしまいそうになって、慌てて視線を逸らした。無意識に自分の貧相な腹を撫でてしまう。少し年下というだけでは、説明がつかない。
「ゆっくりしててくださいね」
「ありがとう」
森岡は気にした風もなく、微笑むと脱衣場に消えていった。
家主不在の部屋で、どこに座ろうかと躊躇して、結局、彼が座っていたソファに腰かける。少し小さめだが、クッションが利いて座り心地が良く、自然に身体の力が抜けていく。
開いているカーテンの向こう側は雨雲に覆われ、薄暗い。雨に打たれている時は、あれほど冷たく不快であるのに、部屋で聴こえてくるザーザーという雨音は、子守唄のように優しい響きであった。
ぼんやりと部屋を見渡せば、如何にも森岡らしさが滲み出ていて、苦笑いが漏れた。単身者用にしては少し広めの1Kには、統一感のある小洒落た家具が配置してある。その中で、特に目を引くのは、ソファのすぐ隣に配置している低めのダブルサイズのベッドであった。落ち着いた黒いシーツは、非日常的なムードを演出する。日が落ちれば、ベッド脇の間接照明が、部屋をやんわりと照らすのだろう。
森岡はモテる男だ。整った容姿と、社交的な性格は、男女問わず惹き付ける。行きつけのバーは色気があり、その気にさせた相手を連れ込むには、この部屋はおあつらえ向きである。それに、急な宿泊客を見越してか、新品の下着までストックしているのだ。
彼は、この大きなベッドに、何人の男を引き入れたのだろう。
一瞬、脳裏を過った邪推に軽く頭を振る。
「さっぱりしたー」
ドアが開くと、湯上がりの男が現れる。Tシャツに、ハーフパンツのラフな格好で、前髪まで下ろしていると、実年齢より随分と幼く見えた。
「先に風呂使わせてもらって悪かったな」
「いえいえ、それにしても災難でしたね」
頬の血色がよくなった男は、上機嫌で奥のキッチンスペースにある小さな冷蔵庫を開いた。ミネラルウォーターを二本手に取ると、片方を差し出してくる。
「どうせなら、飯食っていきません? 大したものは出せませんが」
「そこまで世話にはなれないよ」
森岡の厚意は有難いが、牧原の家から出て四時間は過ぎている。スマホを寝室に忘れてきたことを思い出したのは、休憩所で、降り止まない雨を呆然と眺めているときであった。
もしかすると、貴俊は心配しているかもしれない。いや、違う。幸いにも、土曜日は、一人で自由に過ごすことになっている休日であった。だから、帰ったところで、やることと云えば、家事ぐらいのものである。
「まだ雨も止みそうにありませんし、俺が腹減っちゃったんで、少し付き合ってくれませんか?」
森岡の甘えるような口振りが、なんだか可笑しくて「それなら仕方ないなぁ」なんて、頷いてしまった。
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