永い春の行く末は

nao@そのエラー完結

文字の大きさ
18 / 45
水無月

第十八話

しおりを挟む
 熱いシャワーを頭から浴びる。冷えて強張った身体に、ようやく血が巡り、生き返るようだった。家主に好きに使ってよいと言われたことを真に受けて、高そうなシャンプーで髪を洗う。

「佐倉さんの服も洗濯しちゃいますよ」

 半透明のドアに映り込む人影が、こちらに問いかける。

「着替え、適当に俺の服を出しておきますね」
「悪い。助かる」

 雨宿りという免罪符で、同僚の部屋に上がり込んで、風呂場だけではなく、服まで拝借することになり、少しばかり居心地が悪い。

 森岡の住処は、公園に隣接したマンションの三階に在った。招かれた玄関は、ふわりとシトラス系の香りが漂い、飾り棚には洒落たモノクロの写真やミニサボテンが飾られている。
 そんな拘りがありそうな玄関に、ずぶ濡れで上がるのは些か気が引けたが「先にバスルーム使ってください」と、家主に背中を押されれば、従う他なかった。

 湯気が立ち上ぼるバスルームで、曇った鏡にシャワーを当てると、滴る水の向こうで、男の姿が映り込む。気になっていた腹回りは、一ヶ月半のジョギングの成果が現れ始めたのか、多少スッキリして見えた。香りのいいシャンプーで洗った髪も、心なしか艶やかに見える。二十歳の頃の若々しく張りのある肌とは違うけれど、悪くはない、はずだと思う。

 手早くシャワーを終えて、脱衣場に出れば、稼働中の洗濯機の上に、丁寧に畳まれたバスタオルと部屋着が用意されている。その上には、封の切られていない新品の下着が包装されたまま置かれていた。あまりにも至れり尽くせりで、申し訳ない気持ちになる。

「風呂、ありがとう」

 居間に続く扉を開けば、家主はローソファに腰かけていた。濡れた服は脱いだらしく、肩にバスタオルをかけている他は、下着しか身に付けていなかった。

「パンツ、新しいの買って返すよ」
「あー気にしないでください。安ものなんで、」

 森岡は、照れ臭そうに頬を掻いた。

「じゃあ、俺もシャワーしてきます」

 森岡が立ち上がれば、男の裸体が露になる。服の上からではわからなかった腕や足は適度に筋肉がついており、胸板は厚く、腹は薄く割れている。
 見惚れてしまいそうになって、慌てて視線を逸らした。無意識に自分の貧相な腹を撫でてしまう。少し年下というだけでは、説明がつかない。

「ゆっくりしててくださいね」
「ありがとう」

 森岡は気にした風もなく、微笑むと脱衣場に消えていった。

 家主不在の部屋で、どこに座ろうかと躊躇して、結局、彼が座っていたソファに腰かける。少し小さめだが、クッションが利いて座り心地が良く、自然に身体の力が抜けていく。
 開いているカーテンの向こう側は雨雲に覆われ、薄暗い。雨に打たれている時は、あれほど冷たく不快であるのに、部屋で聴こえてくるザーザーという雨音は、子守唄のように優しい響きであった。
 ぼんやりと部屋を見渡せば、如何にも森岡らしさが滲み出ていて、苦笑いが漏れた。単身者用にしては少し広めの1Kには、統一感のある小洒落た家具が配置してある。その中で、特に目を引くのは、ソファのすぐ隣に配置している低めのダブルサイズのベッドであった。落ち着いた黒いシーツは、非日常的なムードを演出する。日が落ちれば、ベッド脇の間接照明が、部屋をやんわりと照らすのだろう。

 森岡はモテる男だ。整った容姿と、社交的な性格は、男女問わず惹き付ける。行きつけのバーは色気があり、その気にさせた相手を連れ込むには、この部屋はおあつらえ向きである。それに、急な宿泊客を見越してか、新品の下着までストックしているのだ。

 彼は、この大きなベッドに、何人の男を引き入れたのだろう。
 一瞬、脳裏を過った邪推に軽く頭を振る。

「さっぱりしたー」

 ドアが開くと、湯上がりの男が現れる。Tシャツに、ハーフパンツのラフな格好で、前髪まで下ろしていると、実年齢より随分と幼く見えた。

「先に風呂使わせてもらって悪かったな」
「いえいえ、それにしても災難でしたね」

 頬の血色がよくなった男は、上機嫌で奥のキッチンスペースにある小さな冷蔵庫を開いた。ミネラルウォーターを二本手に取ると、片方を差し出してくる。

「どうせなら、飯食っていきません? 大したものは出せませんが」
「そこまで世話にはなれないよ」

 森岡の厚意は有難いが、牧原の家から出て四時間は過ぎている。スマホを寝室に忘れてきたことを思い出したのは、休憩所で、降り止まない雨を呆然と眺めているときであった。

 もしかすると、貴俊は心配しているかもしれない。いや、違う。、土曜日は、一人で自由に過ごすことになっている休日であった。だから、帰ったところで、やることと云えば、家事ぐらいのものである。

「まだ雨も止みそうにありませんし、俺が腹減っちゃったんで、少し付き合ってくれませんか?」

 森岡の甘えるような口振りが、なんだか可笑しくて「それなら仕方ないなぁ」なんて、頷いてしまった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

処理中です...