16 / 36
御者
十六
しおりを挟む
帝都は復興と共に大都会へと変貌を遂げておりました。西洋化が汽車の線路が引かれ、自動車が走る道路が整備され、新しいビルディングが立ち並ぶのです。その新しい風は、遠く離れた伊豆の国にも吹き抜けておりました。
伊豆に初の映画館が開館されたとあって、心待ちにしていた直之様はいつになく浮き足だっていたのです。
「弘、準備はできたか」
小さな鏡に向かって髪を整えておりますと、直之様が扉を開いて覗き込んでこられました。このように使用人の部屋に直之様が足を踏み入れるのは久しいことで、私は些か面食らいました。どうやら手配した馬車が早く到着してしまったようで、直之様が自ら私を呼びに来てくださったのです。
直之様は、シャツにモダンな柄のベストを合わせておりました。いつにも増して大人びた格好をされている直之様が微笑ましく思え、口元が緩んでしまいます。
「本当に私がご一緒でよろしいんですか」
本来なら、私の馬車で直之様を映画館までお連れするところでしたが、直之様は私に同行するように仰いました。
「僕と出かけるのはイヤか」
「まさか、直之様に誘っていただけて光栄でございます」
直之様が疑い深そうに眉を曇らせるものですから、苦笑いを浮かべてしまいました。私は本当に光栄に思っておりました。映画に誘えるような親しいご学友がいないとはいえ、直之様が下男である私を誘ってくださるとは思っておりませんでしたから。
「まだそんなものを持っているのか」
枕元に置いてある朱色の雑誌に目を留めて、直之様は呆れたように仰いました。表紙は色が剥げて傷み、反り返っておりました。それでも私にとっては、忘れ難い夏の日の宝物でございます。
「僕の本を貸してやろうか」
「いいえ、読む時間がありませんから」
「そうか」
直之様の申し出はお断りいたしました。直之様のように勉学の素養もございませんでしたし、御本の感想を問いかけられても頓珍漢な返答しかできそうもございません。
両手で口を覆ってクスクスと笑われた日のことが思い起こされます。たとえ事実であっても、年下の直之様に阿呆だと笑われるのは堪えられないのです。私にもまだ、その程度の自尊心は持ち合わせていたのでありました。
「外国映画ですが、よろしいですか」
窓口の係りの男は、私たちを見上げながら半笑いで問いかけました。活動写真の主流は邦画でありましたし、外国映画などを好むのは高等学校を卒業した知識人でございます。ですから、私たちのような子供が見るような映画ではないと笑われてしまったのです。
「構いません。二枚ください」
不快そうに片眉をあげる直之様の代わりに、私は金を払い、チケットを受けとりました。不人気の外国映画は平日にしか上映しておりません。学校より帰宅してから、急いで遠い映画館まで足を運ぶような力の入れようでございましたから、直之様が不機嫌になってしまうのも仕方のないことでしょう。
案内された館内は満席とはいかなくとも、多くの席が埋まっているようです。後方の空いている席を見つけて、直之様と並んで椅子に腰かけました。薄暗い室内に大きなスクリーンが垂れ下がっているのを目の当たりにすれば、胸が踊るようでありました。
私は活動写真すら観たことがありませんでしたから、その衝撃は大きいものでした。ジリジリと機械音が響き、映し出された写真が動き出したときには、目が飛び出てしまうほど驚きました。
スクリーンの中で繰り広げられるのは、外国の滑稽話でございます。字幕は早くてあまり読み取れませんが、俳優たちの大袈裟な動きが笑いを誘います。
無教養の私には、笑い処がわからぬ箇所もありましたが、直之様はクスクスと始終愉しそうに笑っておられます。薄闇の中で、スクリーンの光を反射して照らされた少年の横顔は、息を忘れるほど美しいものでした。涼やかな目元に通った鼻筋。形の良い小さな唇は柔らかく持ち上がっておりました。私は内容のわからぬ映画より、直之様の横顔ばかりを盗み見てしまいました。
それでも、このように近くにいるからこそ、私とは住む世界の違う紳士であるのだと、改めて突きつけられる思いがしたのでございます。
伊豆に初の映画館が開館されたとあって、心待ちにしていた直之様はいつになく浮き足だっていたのです。
「弘、準備はできたか」
小さな鏡に向かって髪を整えておりますと、直之様が扉を開いて覗き込んでこられました。このように使用人の部屋に直之様が足を踏み入れるのは久しいことで、私は些か面食らいました。どうやら手配した馬車が早く到着してしまったようで、直之様が自ら私を呼びに来てくださったのです。
直之様は、シャツにモダンな柄のベストを合わせておりました。いつにも増して大人びた格好をされている直之様が微笑ましく思え、口元が緩んでしまいます。
「本当に私がご一緒でよろしいんですか」
本来なら、私の馬車で直之様を映画館までお連れするところでしたが、直之様は私に同行するように仰いました。
「僕と出かけるのはイヤか」
「まさか、直之様に誘っていただけて光栄でございます」
直之様が疑い深そうに眉を曇らせるものですから、苦笑いを浮かべてしまいました。私は本当に光栄に思っておりました。映画に誘えるような親しいご学友がいないとはいえ、直之様が下男である私を誘ってくださるとは思っておりませんでしたから。
「まだそんなものを持っているのか」
枕元に置いてある朱色の雑誌に目を留めて、直之様は呆れたように仰いました。表紙は色が剥げて傷み、反り返っておりました。それでも私にとっては、忘れ難い夏の日の宝物でございます。
「僕の本を貸してやろうか」
「いいえ、読む時間がありませんから」
「そうか」
直之様の申し出はお断りいたしました。直之様のように勉学の素養もございませんでしたし、御本の感想を問いかけられても頓珍漢な返答しかできそうもございません。
両手で口を覆ってクスクスと笑われた日のことが思い起こされます。たとえ事実であっても、年下の直之様に阿呆だと笑われるのは堪えられないのです。私にもまだ、その程度の自尊心は持ち合わせていたのでありました。
「外国映画ですが、よろしいですか」
窓口の係りの男は、私たちを見上げながら半笑いで問いかけました。活動写真の主流は邦画でありましたし、外国映画などを好むのは高等学校を卒業した知識人でございます。ですから、私たちのような子供が見るような映画ではないと笑われてしまったのです。
「構いません。二枚ください」
不快そうに片眉をあげる直之様の代わりに、私は金を払い、チケットを受けとりました。不人気の外国映画は平日にしか上映しておりません。学校より帰宅してから、急いで遠い映画館まで足を運ぶような力の入れようでございましたから、直之様が不機嫌になってしまうのも仕方のないことでしょう。
案内された館内は満席とはいかなくとも、多くの席が埋まっているようです。後方の空いている席を見つけて、直之様と並んで椅子に腰かけました。薄暗い室内に大きなスクリーンが垂れ下がっているのを目の当たりにすれば、胸が踊るようでありました。
私は活動写真すら観たことがありませんでしたから、その衝撃は大きいものでした。ジリジリと機械音が響き、映し出された写真が動き出したときには、目が飛び出てしまうほど驚きました。
スクリーンの中で繰り広げられるのは、外国の滑稽話でございます。字幕は早くてあまり読み取れませんが、俳優たちの大袈裟な動きが笑いを誘います。
無教養の私には、笑い処がわからぬ箇所もありましたが、直之様はクスクスと始終愉しそうに笑っておられます。薄闇の中で、スクリーンの光を反射して照らされた少年の横顔は、息を忘れるほど美しいものでした。涼やかな目元に通った鼻筋。形の良い小さな唇は柔らかく持ち上がっておりました。私は内容のわからぬ映画より、直之様の横顔ばかりを盗み見てしまいました。
それでも、このように近くにいるからこそ、私とは住む世界の違う紳士であるのだと、改めて突きつけられる思いがしたのでございます。
0
あなたにおすすめの小説
【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる