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奥様
十八
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松本先生を見送って、病室に戻りますと、直之様はベッドに身を預けて、窓の外を眺めておられました。その瞳からは生気が抜けて、今にも消え入りそうでございます。
私は、なんとお声をかけてよいやらと、仕方なく定位置の椅子に腰かけました。
「弘、僕はもう終わりだよ」
直之様は、ぽつりとおっしゃりました。
常に成功者である大富豪の旦那様は、情け容赦のない厳しいお方です。
旦那様の手紙には、朝倉家への援助の打ち切りについて簡潔に綴られていたのです。旦那様の妾である奥様は、すでに旦那様よりご縁を切られておりました。それでも、直之様には僅かばかりの援助を続けて下さっていたのです。それは、直之様が帝国大学を卒業し、旦那様の事業のために生涯、奉仕をなさることが条件でございました。本家の嫡男は遊び呆けている与太者で、彼の代わり役が必要だとの専らの噂でございました。ですから、たくさんいらっしゃる旦那様の血の繋がったご子息の中で、最も優秀であった朝倉直之様に白羽の矢が立ったのでございましょう。
けれど、それも今日までのことでございました。足を悪くして不遇となった直之様は帝国大学の休学を余儀なくされてしまったのです。そうなれば、復学の目処が立たぬということで、たった一枚の紙切れで、旦那様より約束の不履行を言い渡されたのでございました。
「その内、ここからも追い出されてしまうな」
直之様の病室は、贅沢にも個室をあてがわれておられました。けれど、それも旦那様の援助があったからというものです。
「帰りましょう」
「何処へだ」
「伊豆でございます。若旦那様のご実家です」
直之様は、そっと目を伏せました。
「僕は、母の顔など見たくはないのだよ」
「…………それでは、これからどうなさるのですか」
「お前に言われなくともわかっている。僕が帰る場所はあすこしかないということは」
直之様は瞼を閉じて、深く重い溜め息をつかれたのでございました。
旦那様からご縁を切られ、ご病気を患っている奥様は、直之様が唯一の頼りでございます。けれど、それが、それこそが、直之様を苛んでいたのです。
私は、なんとお声をかけてよいやらと、仕方なく定位置の椅子に腰かけました。
「弘、僕はもう終わりだよ」
直之様は、ぽつりとおっしゃりました。
常に成功者である大富豪の旦那様は、情け容赦のない厳しいお方です。
旦那様の手紙には、朝倉家への援助の打ち切りについて簡潔に綴られていたのです。旦那様の妾である奥様は、すでに旦那様よりご縁を切られておりました。それでも、直之様には僅かばかりの援助を続けて下さっていたのです。それは、直之様が帝国大学を卒業し、旦那様の事業のために生涯、奉仕をなさることが条件でございました。本家の嫡男は遊び呆けている与太者で、彼の代わり役が必要だとの専らの噂でございました。ですから、たくさんいらっしゃる旦那様の血の繋がったご子息の中で、最も優秀であった朝倉直之様に白羽の矢が立ったのでございましょう。
けれど、それも今日までのことでございました。足を悪くして不遇となった直之様は帝国大学の休学を余儀なくされてしまったのです。そうなれば、復学の目処が立たぬということで、たった一枚の紙切れで、旦那様より約束の不履行を言い渡されたのでございました。
「その内、ここからも追い出されてしまうな」
直之様の病室は、贅沢にも個室をあてがわれておられました。けれど、それも旦那様の援助があったからというものです。
「帰りましょう」
「何処へだ」
「伊豆でございます。若旦那様のご実家です」
直之様は、そっと目を伏せました。
「僕は、母の顔など見たくはないのだよ」
「…………それでは、これからどうなさるのですか」
「お前に言われなくともわかっている。僕が帰る場所はあすこしかないということは」
直之様は瞼を閉じて、深く重い溜め息をつかれたのでございました。
旦那様からご縁を切られ、ご病気を患っている奥様は、直之様が唯一の頼りでございます。けれど、それが、それこそが、直之様を苛んでいたのです。
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