献身

nao@そのエラー完結

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服忌

三十

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 死とは穢れでございます。
 朝倉邸の玄関扉は、固く閉ざされ、ぺったりと忌中札が貼られておりました。近親者の務めとは、他者との交流を断ち、白装束を身に纏って故人の死を偲ぶことでございます。寝室に閉じ籠っておられる直之様は、まるで病人のようにやつれた顔をしていらっしゃいました。それは、奥様の死を悼んでいらっしゃるためか、罪悪に苛まれておられるためか、はたまた朝倉家の未来に思いを巡らせているためか、私にはわかりかねます。

 それでも、若旦那様は、ただ寝台で横になられているわけではありません。夜な夜な、車椅子に腰かけて西洋風の文机に向かわれているのです。閉ざされた扉をコンコンと叩きますれば、気のない返事がございました。薄暗い部屋ではランタンの火が揺らめいておりました。開いた窓からは、夜風が時折吹き込んでいます。直之様は、ペンを握ったまま、忌々しそうに頭をかいておりました。屑籠には、少し筆を走らせては、くしゃくしゃと丸めた半紙が溢れ返っております。

「こう暑くてはかなわんな。汗を流したい」
「では、風呂になさいますか」

 直之様はのっそりと振り返り、少し考えてから頷かれました。

 朝倉邸の風呂は、贅沢な造りでございます。近くで湧いている温泉を引き込んだ源泉かけ流しでありました。いつでも風呂のご用意はできておりましたが、不自由な身体になってからは、直之様は、あまり湯に浸かることはされず、濡れた手拭いで身体を拭われて仕舞いとされることがほとんどだったのです。
 もしかすると私の介助を遠慮してのことであったのやもしれません。

 風呂場の前で、私は着物の裾をたくしあげて帯で留めますと、車椅子に腰かけていらっしゃる直之様の身体を抱き留めました。しっとりした肌からは、線香の匂いと汗の臭いがいたします。

 浴室まで肩を貸して差し上げて、直之様を檜の床におろしますと、直之様は、私に背を向けて、するりと白い装束を肩から滑り落としたのです。ランタンの灯りに照らされた背中には、爛れたような擦り傷が浮きあがって見えました。

 直之様は浴槽の湯を桶で掬って頭から被ると、目配せで私を呼びつけます。腰回りを支えて差し上げながら、浅い浴槽に直之様の肢体を沈めれば、うっとりとした溜め息を吐かれました。撫で肩で、ほっそりとした体躯ではございましたが、こうして素肌に触れてみれば、やはり男子の体格であると知れました。

「お前も一緒に入るか」
「とんでもない」 

 直之様は、薄く笑いました。

「僕が穢れているからか」
「そうではありません」
「ならば、お前が下男だからか」

 この湯は朝倉家のものでございます。使用人が汚してはいけません、と女中頭のキヨさんにきつく言いつけられていたのです。

「お前は妙なところで遠慮をする。もうこの屋敷には僕とお前しかいないだろうに」

 直之様は、濡れた黒髪をかきあげて、無邪気に笑われました。久しく目にしたその微笑に、私は見惚れてしまったのやもしれません。直之様は、居心地悪そうに俯いてから、私の腕に指先で触れました。

「なあ、弘、」

 いつになく、か細い声で名を呼ばれて、私は直之様のお声を拾おうと首を傾げました。さすれば、白い指が私の頬にまで伸びたのです。

「お前は、僕と接吻はできるか」

 唇が触れそうな距離で見つめられて、私は息を呑みました。

「女を、買ってきましょうか」

 脳裏を過ったのは遊郭の姉さんたちでありました。直之様は自嘲しながら、私の胸を押し退けました。

「こんな身体で、女など抱けるものか」

 直之様はそうおっしゃって、湯に沈んだ自らの足に視線を落としました。その切れ長の瞳に、私は、今度こそ、間違えてはいけないと思ったのです。

「直之様はお美しいです。誰よりも、何よりも、お美しいです」
「弘、それは、」

 目を丸くされた直之様に構わず、私は、その唇に唇を重ねてしまったのです。それはどうにも柔らかく、お相手が男子であることを忘れてしまうほど、熱いものでした。

「やめてくれ」

 直之様の両の瞳は、揺れておりました。

「お前を、少し、揶揄いすぎたな」

 直之様は私の胸を軽く叩いて、冗談めかして笑いました。それでも、その拳は僅かに震えているのです。

 私はようやく思い至ったのです。遊郭で女を買ってきましょう、などと、見当違いも甚だしいことだったのです。
 遊女の姉さんたちは、先の戦争で腕や足を失くした廃兵をお相手することもありましたから、直之様をお相手することも、心得ているだろうと思ったのです。けれど、それこそが直之様を貶めているのだと気がついたのです。

 儚げな少女に憧れていらっしゃった直之様でございます。上京されてからも、どうにも女の影はなかったように思います。高潔で自尊心のお強い直之様のことですから、気になる娘がいても自ら声をかけるようなこともされなかったのでしょう。いいえ、それでもよかったのです。帝都大学を卒業した後には、直之様の見初めた細君と結ばれる日があったことでしょうから。
 けれど、今では、この広く古い洋館には、下男と二人きりでございます。この先、若い娘とどう純愛を育めるというのでしょう。

 そんな直之様が口にした憂き目に、私はあろうことか唇を奪ってしまったのです。直之様は、湯のなかに深く身体を沈めて、お顔を洗われました。その背中があまりにも小さくて、私の不安を掻き立てます。

「直之様」

 小さな肩が、びくりと震えました。

 私はなんという大それたことをしてしまったのでしょうか。直之様は、私という男に、怯えているのですから。

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