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「魔法使いは黒獅子に嫁ぐ」前編
4絶対零度の結婚式
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春、某日。清々しく晴れ渡った青空の下、芳香を放つ花の香りの風吹く良き日に、一組の夫夫がこの世に誕生した。
Ωの夫はフォトス魔法国の第二王子カルディア・フォトス。
αの夫はシリオ武獣国の第一王子アスラン・ジェシアフ。
両国は古い盟約に倣い、カルディアの故郷フォトス魔法国のシンボル、バンニの大木の下で愛を誓い合い、生涯の伴侶として互いのディナミを交換するのだが、亜獣人であるアスランにはディナミの操作が出来ない事に加えて何よりカルディアの心がアスランと結びたくないと激しく拒絶した。
「花契びの儀がまだ済んでいませんのでお断りします」
今日のために仕立てた純白のローブを迸る怒りのディナミではためかせながら、カルディアは三日徹夜したかのような血色の悪い顔で司教に詰め寄る。その隣で、昨日と変わらない旅装のままの粗野な格好で現れたアスランは自分が主役である事をすっかり忘れたような顔で退屈そうに首を鳴らしている。
明るい陽射しの下で改めて見てみればアスランの装いはそれは酷いものだった。ここまでの旅路のための格好という言い訳は一国家の王子たる男の使える言葉ではない。獣の皮を鞣したズボンはところどころ磨り減って色が変わっており、ふくらはぎまでを覆うブーツには土がつきっぱなし。マントこそ外していたが体格の良い体に合わせるためかぶかぶかの上着はどうやら文明国製のもののようでつるっとした見た事のない生地をしている。婚礼の衣装と言えば綿一〇〇%と決まっているので、いかに他国の魔法科学の発展が目覚ましかろうとやはりマナー違反だ。中に着ている襟ぐりが広くて丸いシャツもだらしなく見え、どれもこれもがあくまで旅の間の動きやすい格好でしかなかった。
この場に現れたアスランの姿を見た王族一同は一様に絶句した。長女のデイモナの裾を引っ張って「あの人汚いね」という末妹の無垢な一言がその場を凍りつかせた。
かたや長身の獅子族に、かたや鬼の形相の王族を前にして司教は可哀想にすっかり縮こまってしまっている。「で、では次の段取りを……」消え入りそうな司教の声は二人には届かなかったが、儀式の手伝いをしていた助祭の耳には届いていた。
怒り心頭のカルディアは、隣で恥ずかしげもなく薄汚れた格好で横柄に構えるアスランを横目に睨む。この獅子族の男のおかげで一晩ほとんど眠れなかった上に怒りも未だ冷めやらない。
この婚礼の儀は元はといえばシリオ武獣国の嘗ての王が、どうしてもフォトス王族のΩが欲しいと望んだ事が発端だ。正確には武力に物を言わせて人質を送る約束を取り付けたと言い換えて良い。
だというのにこのアスランという王子ときたらどうか。まるでこの婚礼を望んでいないみたいな、いっそアスランの方が嫌嫌付き合っているような態度といったらないだろう。
(お前が、お前たちが僕のようなフォトス王族を苦しめてきたというのに……!)
高まっていくボルテージを溢れるディナミから感じとる事の出来る司教は危うく漏らしそうになりながらも、神に捧ぐ祝詞をどうにか唱え終えた。
最後に盃が掲げられて婚礼の儀が終わるや否や、カルディアはローブを翻して城の中へと去っていく。アスランは消えていったカルディアの背に舌打ちし、反対の方向へと踵を返した。
嘗てこんなにも殺伐とした婚礼の儀があっただろうか。フォトスの歴史を記録する書記官は、今日の出来事をどう記述したものか、果たして禿げ上がった頭を大いに悩ませる事になるのである。
怒りのディナミは荒々しくて激しい。その分遠くにまで派手に伝わるので、病床の母マーラは苦笑しながら二階の食堂でカルディアを待っていた。
「ご苦労さま、カルディア」
「お母様! 起きていらっしゃって大丈夫なのですか?」
婚礼の儀を終えたら食堂に来て欲しいとマーラに言われていたので来てみたが、久しぶりに起き上がっている姿を見るとやはり驚いてしまう。
怒りや悲しみのような強くて負の力を帯びたディナミは、周囲の人間たちにも良くない影響を与える。病を患うマーラにはカルディアの燃え上がるようなディナミは毒にしかならないので、さしものカルディアも首を振ってむしゃくしゃする気分を追い出した。
「あなたにバンニプリンを作ってあげようと思ったのよ」
「わあ本当ですか! お母様のバンニプリン、僕大好きです!」
現金なもので母手製のバンニプリンと聞けば鬱憤はあっさり解消されていく。カルディアを包んでいた猛々しいディナミが落ち着いてくるとマーラにも朗らかな笑みが宿る。
「結婚はね、そう上手くはいかないものです」
「……分かっています」
ローブの袖をたくしあげ、母が出してくれたプリンを一口掬うと美味しさに頬が落ちていきそうになる反面、結婚の話をされると腹の底に重たい石が詰まっていくような心地になる。
「だって母様もね、本当は陛下の弟君の事が好きだったんだもの」
「ぶふっ」
突然のカミングアウトに思わずプリンを吹き出すと、マーラがあらあらまぁまぁと布巾を持ってきてくれる。病で体力の落ちたマーラは、今ではほとんど魔法を使う事はなくなってしまった。マーラには無理をさせられないので布巾を受け取ると婚礼衣装にも構わずそのままテーブルを拭いた。
「陛下はすごく一生懸命だったの。私が別の人を好きだって知っていたからね。最初はどうしても納得がいかなくて陛下に対して、ああその頃は王子ね、フローガ王子相手にツンケンしてたわ。でもそのうちなんだかんだアビアストスが生まれて、好きとか恋とかそういうもの、どうでもよくなってしまったの」
あっけらかんとして言うマーラだが、それにはマーラなりの気遣いが含まれている事はカルディアにも分かった。
マーラとフローガは歳が十以上も違っている。しかしマーラの生家とフォトス王家には昔から長く続く縁があり、王族との婚姻がたびたび結ばれてきた歴史があった。フローガの世代には妙齢の女性もΩもなく、かと言って子をなす事もまた王族の務めである以上、年上との婚姻は難しい。そうして仕方なく選ばれたのが最も歳が近かったマーラだった。
「歳が近いって言っても十歳も違うと話が合わないの。大変だったわぁ、魔法学の教本だって改訂されて意見が食い違うんだから」
どこか抜けていて弱腰なフローガが魅力的に見えないのは息子ながら仕方のない事だと思ってしまう。
一方叔父であるフローガの弟はニーマの父なのだが、ニーマが生まれた後すぐに亡くなってしまっている。だから伝聞でしか叔父の事は知らないが、兄のフローガと比べて勇敢で知恵のある人だったと聞く。更にフォトスではとても珍しいα男性だった事も加えてさぞや人気を集めていたとか。フローガよりも歳が近くて格好良い叔父が相手なら、若かりしマーラが夢中になるのも不思議はなかった。
「でもね、今は私とフローガ様は仲良しでしょう?」
「はい……」
「そんなものなの。連れ添ううちに、何となく夫婦になっていくのよ」
だからね、心配しないでカルディア──。
「心配」と胸の内で呟く。
そう、心配だった。不安だったのだ。
物心つく頃からずっと将来はシリオに嫁ぐのだと言われてきた。同い年で同じ王族のはずのニーマとは違う外の世界の事を教わり、一方でフォトスにとって一番大事な魔法の事はさほど熱心には教えてもらえなかった。それはいずれカルディアがフォトスを出て、魔法が使えなくなる未来が決まっていたからだ。
「あら」
空になったプリンの陶器に涙が落ちる。カルディアは今初めて、自分がこの国を去ってしまうという事を実感した。マーラに手を握られながら肩を震わせぐしゃぐしゃに泣き崩れる。
怖い、不安、悲しい。良くない感情がぐるぐる渦を巻き、カルディアの心を渦の中心に引っ張っていくようだ。悲哀のディナミはマンニタリ茸が群生した湖の畔のようにジメジメとしてカルディアの元気を吸い上げていく。マーラに頭を撫でられながらもマーラが心配で、カルディアは無理矢理涙を拭って立ち上がった。
「ふふ、カルディアはね、私の子だから。きっと大丈夫よ。辛くなったら私を思い出して? 好きな人と結婚出来なかったばかりか別の女に好きな人を取られ、別の女は私の侍女だったせいで彼女が亡くなってしまえば好きな人の息子と私の可愛い息子を乳兄弟として育てなくてはならなかった私が居るんだって思ったら、きっと元気が出るでしょう?」
マーラに冗談を言っているつもりはない。真剣な面持ちには紛れもなく息子を慰める母の顔が浮かんでいる。半分ほど頭に入ってこなかったがつまり母は苦境の恋愛事情に揉まれてきたと言いたいのだと解釈した。
「は、はい、お母様。カルディアだけが辛い思いをしている訳ではないんですね」
「そうねぇ。そんな風に思ってもいいけれど、それよりも辛い事でもいつか乗り越えられるって思ってほしいかしら」
布巾を持つカルディアの手をマーラの手が包む。いつの間にかカルディアよりも小さくなってしまった手は病で痩せ細り骨が当たる。
「あなたなら大丈夫よ。だってカルディアには愛情の苗床があるもの」
「苗床ですか?」
「そう。私に陛下にあなたの兄に姉、周囲の人からたくさんの愛情を注いでもらったでしょう? リルディももちろんニーマも、あ、そうそうイエルノを忘れては駄目ね。彼らから愛されたあなたの中には栄養たっぷりのふかふかの土があって、どんな種を植えても必ず花を咲かせる事が出来るわ」
母の言葉を頭の中で反芻する。マーラの言うほど素晴らしいものが自分の中に備わっているとはなかなか思えないが、周囲の人間からもらった愛情が確かなものだった事には自信が持てた。
「でも別に花じゃなくてもいいのよ?」
「は、はい?」
「食虫植物とか!」
「それは、怖いですお母様……」
自分の体からおぞましい姿をした花が咲くところをうっかり想像してぞっとする。それでもマーラがどこまでも真面目にカルディアを励まそうとしてくれているのは理解しているので感謝を告げる。
「お母様、ありがとうございます。カルディアはお母様のもとに生まれてこれて良かった」
「……ふふ、母親冥利に尽きる言葉ね」
最後ににっこりと笑ってカルディアの誕生日を祝福し「パーティー、行ってらっしゃい」と送り出してくれた。
この後は、国民全員参加のパーティーだ。王族の婚礼の儀は民への感謝の日であり、民を導く王族として決意を新たにする日でもある。どんなに嫌でも、例え嫁ぎ先が他国であっても、王族としての矜持まで捨ててはいけないような気がした。本当はパーティーなんて放り出して部屋に閉じこもっていたいくらいだったが、カルディアはどうにか気持ちを切り替えて、名残惜しくも食堂を出ていく。
マーラと話したのは、生涯でこれが最後になった。
Ωの夫はフォトス魔法国の第二王子カルディア・フォトス。
αの夫はシリオ武獣国の第一王子アスラン・ジェシアフ。
両国は古い盟約に倣い、カルディアの故郷フォトス魔法国のシンボル、バンニの大木の下で愛を誓い合い、生涯の伴侶として互いのディナミを交換するのだが、亜獣人であるアスランにはディナミの操作が出来ない事に加えて何よりカルディアの心がアスランと結びたくないと激しく拒絶した。
「花契びの儀がまだ済んでいませんのでお断りします」
今日のために仕立てた純白のローブを迸る怒りのディナミではためかせながら、カルディアは三日徹夜したかのような血色の悪い顔で司教に詰め寄る。その隣で、昨日と変わらない旅装のままの粗野な格好で現れたアスランは自分が主役である事をすっかり忘れたような顔で退屈そうに首を鳴らしている。
明るい陽射しの下で改めて見てみればアスランの装いはそれは酷いものだった。ここまでの旅路のための格好という言い訳は一国家の王子たる男の使える言葉ではない。獣の皮を鞣したズボンはところどころ磨り減って色が変わっており、ふくらはぎまでを覆うブーツには土がつきっぱなし。マントこそ外していたが体格の良い体に合わせるためかぶかぶかの上着はどうやら文明国製のもののようでつるっとした見た事のない生地をしている。婚礼の衣装と言えば綿一〇〇%と決まっているので、いかに他国の魔法科学の発展が目覚ましかろうとやはりマナー違反だ。中に着ている襟ぐりが広くて丸いシャツもだらしなく見え、どれもこれもがあくまで旅の間の動きやすい格好でしかなかった。
この場に現れたアスランの姿を見た王族一同は一様に絶句した。長女のデイモナの裾を引っ張って「あの人汚いね」という末妹の無垢な一言がその場を凍りつかせた。
かたや長身の獅子族に、かたや鬼の形相の王族を前にして司教は可哀想にすっかり縮こまってしまっている。「で、では次の段取りを……」消え入りそうな司教の声は二人には届かなかったが、儀式の手伝いをしていた助祭の耳には届いていた。
怒り心頭のカルディアは、隣で恥ずかしげもなく薄汚れた格好で横柄に構えるアスランを横目に睨む。この獅子族の男のおかげで一晩ほとんど眠れなかった上に怒りも未だ冷めやらない。
この婚礼の儀は元はといえばシリオ武獣国の嘗ての王が、どうしてもフォトス王族のΩが欲しいと望んだ事が発端だ。正確には武力に物を言わせて人質を送る約束を取り付けたと言い換えて良い。
だというのにこのアスランという王子ときたらどうか。まるでこの婚礼を望んでいないみたいな、いっそアスランの方が嫌嫌付き合っているような態度といったらないだろう。
(お前が、お前たちが僕のようなフォトス王族を苦しめてきたというのに……!)
高まっていくボルテージを溢れるディナミから感じとる事の出来る司教は危うく漏らしそうになりながらも、神に捧ぐ祝詞をどうにか唱え終えた。
最後に盃が掲げられて婚礼の儀が終わるや否や、カルディアはローブを翻して城の中へと去っていく。アスランは消えていったカルディアの背に舌打ちし、反対の方向へと踵を返した。
嘗てこんなにも殺伐とした婚礼の儀があっただろうか。フォトスの歴史を記録する書記官は、今日の出来事をどう記述したものか、果たして禿げ上がった頭を大いに悩ませる事になるのである。
怒りのディナミは荒々しくて激しい。その分遠くにまで派手に伝わるので、病床の母マーラは苦笑しながら二階の食堂でカルディアを待っていた。
「ご苦労さま、カルディア」
「お母様! 起きていらっしゃって大丈夫なのですか?」
婚礼の儀を終えたら食堂に来て欲しいとマーラに言われていたので来てみたが、久しぶりに起き上がっている姿を見るとやはり驚いてしまう。
怒りや悲しみのような強くて負の力を帯びたディナミは、周囲の人間たちにも良くない影響を与える。病を患うマーラにはカルディアの燃え上がるようなディナミは毒にしかならないので、さしものカルディアも首を振ってむしゃくしゃする気分を追い出した。
「あなたにバンニプリンを作ってあげようと思ったのよ」
「わあ本当ですか! お母様のバンニプリン、僕大好きです!」
現金なもので母手製のバンニプリンと聞けば鬱憤はあっさり解消されていく。カルディアを包んでいた猛々しいディナミが落ち着いてくるとマーラにも朗らかな笑みが宿る。
「結婚はね、そう上手くはいかないものです」
「……分かっています」
ローブの袖をたくしあげ、母が出してくれたプリンを一口掬うと美味しさに頬が落ちていきそうになる反面、結婚の話をされると腹の底に重たい石が詰まっていくような心地になる。
「だって母様もね、本当は陛下の弟君の事が好きだったんだもの」
「ぶふっ」
突然のカミングアウトに思わずプリンを吹き出すと、マーラがあらあらまぁまぁと布巾を持ってきてくれる。病で体力の落ちたマーラは、今ではほとんど魔法を使う事はなくなってしまった。マーラには無理をさせられないので布巾を受け取ると婚礼衣装にも構わずそのままテーブルを拭いた。
「陛下はすごく一生懸命だったの。私が別の人を好きだって知っていたからね。最初はどうしても納得がいかなくて陛下に対して、ああその頃は王子ね、フローガ王子相手にツンケンしてたわ。でもそのうちなんだかんだアビアストスが生まれて、好きとか恋とかそういうもの、どうでもよくなってしまったの」
あっけらかんとして言うマーラだが、それにはマーラなりの気遣いが含まれている事はカルディアにも分かった。
マーラとフローガは歳が十以上も違っている。しかしマーラの生家とフォトス王家には昔から長く続く縁があり、王族との婚姻がたびたび結ばれてきた歴史があった。フローガの世代には妙齢の女性もΩもなく、かと言って子をなす事もまた王族の務めである以上、年上との婚姻は難しい。そうして仕方なく選ばれたのが最も歳が近かったマーラだった。
「歳が近いって言っても十歳も違うと話が合わないの。大変だったわぁ、魔法学の教本だって改訂されて意見が食い違うんだから」
どこか抜けていて弱腰なフローガが魅力的に見えないのは息子ながら仕方のない事だと思ってしまう。
一方叔父であるフローガの弟はニーマの父なのだが、ニーマが生まれた後すぐに亡くなってしまっている。だから伝聞でしか叔父の事は知らないが、兄のフローガと比べて勇敢で知恵のある人だったと聞く。更にフォトスではとても珍しいα男性だった事も加えてさぞや人気を集めていたとか。フローガよりも歳が近くて格好良い叔父が相手なら、若かりしマーラが夢中になるのも不思議はなかった。
「でもね、今は私とフローガ様は仲良しでしょう?」
「はい……」
「そんなものなの。連れ添ううちに、何となく夫婦になっていくのよ」
だからね、心配しないでカルディア──。
「心配」と胸の内で呟く。
そう、心配だった。不安だったのだ。
物心つく頃からずっと将来はシリオに嫁ぐのだと言われてきた。同い年で同じ王族のはずのニーマとは違う外の世界の事を教わり、一方でフォトスにとって一番大事な魔法の事はさほど熱心には教えてもらえなかった。それはいずれカルディアがフォトスを出て、魔法が使えなくなる未来が決まっていたからだ。
「あら」
空になったプリンの陶器に涙が落ちる。カルディアは今初めて、自分がこの国を去ってしまうという事を実感した。マーラに手を握られながら肩を震わせぐしゃぐしゃに泣き崩れる。
怖い、不安、悲しい。良くない感情がぐるぐる渦を巻き、カルディアの心を渦の中心に引っ張っていくようだ。悲哀のディナミはマンニタリ茸が群生した湖の畔のようにジメジメとしてカルディアの元気を吸い上げていく。マーラに頭を撫でられながらもマーラが心配で、カルディアは無理矢理涙を拭って立ち上がった。
「ふふ、カルディアはね、私の子だから。きっと大丈夫よ。辛くなったら私を思い出して? 好きな人と結婚出来なかったばかりか別の女に好きな人を取られ、別の女は私の侍女だったせいで彼女が亡くなってしまえば好きな人の息子と私の可愛い息子を乳兄弟として育てなくてはならなかった私が居るんだって思ったら、きっと元気が出るでしょう?」
マーラに冗談を言っているつもりはない。真剣な面持ちには紛れもなく息子を慰める母の顔が浮かんでいる。半分ほど頭に入ってこなかったがつまり母は苦境の恋愛事情に揉まれてきたと言いたいのだと解釈した。
「は、はい、お母様。カルディアだけが辛い思いをしている訳ではないんですね」
「そうねぇ。そんな風に思ってもいいけれど、それよりも辛い事でもいつか乗り越えられるって思ってほしいかしら」
布巾を持つカルディアの手をマーラの手が包む。いつの間にかカルディアよりも小さくなってしまった手は病で痩せ細り骨が当たる。
「あなたなら大丈夫よ。だってカルディアには愛情の苗床があるもの」
「苗床ですか?」
「そう。私に陛下にあなたの兄に姉、周囲の人からたくさんの愛情を注いでもらったでしょう? リルディももちろんニーマも、あ、そうそうイエルノを忘れては駄目ね。彼らから愛されたあなたの中には栄養たっぷりのふかふかの土があって、どんな種を植えても必ず花を咲かせる事が出来るわ」
母の言葉を頭の中で反芻する。マーラの言うほど素晴らしいものが自分の中に備わっているとはなかなか思えないが、周囲の人間からもらった愛情が確かなものだった事には自信が持てた。
「でも別に花じゃなくてもいいのよ?」
「は、はい?」
「食虫植物とか!」
「それは、怖いですお母様……」
自分の体からおぞましい姿をした花が咲くところをうっかり想像してぞっとする。それでもマーラがどこまでも真面目にカルディアを励まそうとしてくれているのは理解しているので感謝を告げる。
「お母様、ありがとうございます。カルディアはお母様のもとに生まれてこれて良かった」
「……ふふ、母親冥利に尽きる言葉ね」
最後ににっこりと笑ってカルディアの誕生日を祝福し「パーティー、行ってらっしゃい」と送り出してくれた。
この後は、国民全員参加のパーティーだ。王族の婚礼の儀は民への感謝の日であり、民を導く王族として決意を新たにする日でもある。どんなに嫌でも、例え嫁ぎ先が他国であっても、王族としての矜持まで捨ててはいけないような気がした。本当はパーティーなんて放り出して部屋に閉じこもっていたいくらいだったが、カルディアはどうにか気持ちを切り替えて、名残惜しくも食堂を出ていく。
マーラと話したのは、生涯でこれが最後になった。
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