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第一章
第九話 飛び出す
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貴族会館の玄関に出ると、待機しているドアマンが玲の元に駆け付けてきた。
「一ノ瀬様ではありませんか。もうお帰りですか?」
「すみません、ここで迎えがくるのを待たせては頂けませんか」
「夜は風が冷たいです、どうか中に」
「ご迷惑でないところに居ますから、……お願いします」
「い、いえ、迷惑というわけでは……」
通常帰る旨がドアマンに伝わると、運転手もしくは駐車場係りが車を車寄せに持ってくる。それに合わせて客は表へ出て丁度良く車に乗り込むのだが、ドアマンは当然玲の出発を聞かされてはいない。
二人の後ろでは、パーティーを終わらせて玄関にやってきた夫人たちが、ドアマンと言い合っている玲を怪訝そうに見ている。ひとりで帰ろうとしているなんて、数正の言うとおり夫人たちに噂の種を自ら撒いているようなものだった。それにドアマンを困らせているし、数正の秘書もドア付近で玲を心配げにしている姿がここから見えた。
「困らせて、……ごめんなさい」
ドマアンにか細い声で謝っていると、「玲君!」と竹内が現れた。数正の秘書を横目に竹内は、駆け足でやってくるなりドアマンの耳元で何かを言っている。
──連れ戻しにでも来たのだろうか。しかしもう中には戻りたくない。
俯く玲に竹内は困り果てた様子だったが、何かを思い出したように今度はドアマンが竹内にこれまた小声で話しかけた。
「それで、それはどこにある?」
「あの奥です」
「分かった。玲君、そちらへ行こう」
「え…………?」
「ご案内します」
パーティーは半ばを越えており、ちらほらと帰り始める客も少なくない。これ以上好奇の目に晒されるのは嫌だった。玲は言われるままに竹内と一緒にドアマンの後を付いていくことにした。
「こちらです」とその先に視線を向けると、一台の人力車があった。それに乗れと言うのだろうか。
「お客様の急用に備えているものです、ひとまずこちらでお待ちになるのはいかがでしょうか」
「配慮に感謝する」
「お車が参りましたらお迎えにあがります」
玲の代わりに竹内が礼を述べるとドアマンは自分の持ち場へと戻って行った。
「あのドマアンは機転が利く」
感心する竹内の横でようやく状況を理解すると、ドアマンの心遣いが今の玲の心には有難かった。
「さぁ、ここで待ちましょう」
竹内に促され玲が乗り込むと畳んであった幌を竹内が広げてくれた。
「すみません……」
「いいんです。風邪など引いたらいけません」
竹内はにっこりとした。
「あのっ」
「高藤たちの話、聞いたんですね」
「あ……えっと……ちょっと、です。ちょっと」
玲は咄嗟にごまかした。竹内は今の数正に一番近しい人物、そんな人に言い合いがあったとは知られてはいけないような気がしたのだ。
「あいつらは……はぁ……。僕に言えることではありませんが、気にしないことです。あいつの秘書からは、一ノ瀬の家に連絡をしたと聞いてます。話は符合しますか?」
「はい、そのようにわたしが頼みました」
「あいつに送られたくないのですね」
「……」
「それでいいんですよ、灸を据えてやればいい」
少し真面目な視線に、玲はまた先ほどの数正を思い出して落ち込んだ。気を許すと今にも泣きだしてしまいそうで、玲は幌の陰に隠れた。そしてか細い声でもう大丈夫だと伝えた。
「……では、あとは先ほどのドアマンに任せます。本当にそれで大丈夫ですか?」
「はい、わたしも我儘を言い、ご迷惑おかけしました」
「謝らないでください」
竹内の声は優しかった。あの近所にいた秋田犬のように、玲を労う視線を送ると人力車から離れていった。
「はぁ…………」
人力車は建物の方を向いているため、誰の視線も気にならない。竹内が去ったあと、玲はゆっくりと背を委ねた。何故、玲の勝手で一人で帰るなんて言い出したのに皆こうやって優しいのだろうと胸が痛くなった。
「数正兄さまは引き止めにも来てくれない……」
緊張しっぱなしの手のひらは白く強張っている。何度か開いたり閉じたりをしてみるもうまく動かない。玲は両手を庇い合うように合わせて膝の上に置いた。
何を間違ってしまったのか。
どうしてあそこまで彼から言われるようになってしまったのだろう。物心ついたときから数正は玲の家族と共に過ごしてきた。互いの誕生日や祖父の誕生日も祝いあったし玲の進学のたびにもだ。年の離れた彼は玲の成長を見守ってくれていた。家族と一緒に喜んでくれているとそう思っていたのに。家族だと思っていたのは玲だけだったのだ。
「一ノ瀬様ではありませんか。もうお帰りですか?」
「すみません、ここで迎えがくるのを待たせては頂けませんか」
「夜は風が冷たいです、どうか中に」
「ご迷惑でないところに居ますから、……お願いします」
「い、いえ、迷惑というわけでは……」
通常帰る旨がドアマンに伝わると、運転手もしくは駐車場係りが車を車寄せに持ってくる。それに合わせて客は表へ出て丁度良く車に乗り込むのだが、ドアマンは当然玲の出発を聞かされてはいない。
二人の後ろでは、パーティーを終わらせて玄関にやってきた夫人たちが、ドアマンと言い合っている玲を怪訝そうに見ている。ひとりで帰ろうとしているなんて、数正の言うとおり夫人たちに噂の種を自ら撒いているようなものだった。それにドアマンを困らせているし、数正の秘書もドア付近で玲を心配げにしている姿がここから見えた。
「困らせて、……ごめんなさい」
ドマアンにか細い声で謝っていると、「玲君!」と竹内が現れた。数正の秘書を横目に竹内は、駆け足でやってくるなりドアマンの耳元で何かを言っている。
──連れ戻しにでも来たのだろうか。しかしもう中には戻りたくない。
俯く玲に竹内は困り果てた様子だったが、何かを思い出したように今度はドアマンが竹内にこれまた小声で話しかけた。
「それで、それはどこにある?」
「あの奥です」
「分かった。玲君、そちらへ行こう」
「え…………?」
「ご案内します」
パーティーは半ばを越えており、ちらほらと帰り始める客も少なくない。これ以上好奇の目に晒されるのは嫌だった。玲は言われるままに竹内と一緒にドアマンの後を付いていくことにした。
「こちらです」とその先に視線を向けると、一台の人力車があった。それに乗れと言うのだろうか。
「お客様の急用に備えているものです、ひとまずこちらでお待ちになるのはいかがでしょうか」
「配慮に感謝する」
「お車が参りましたらお迎えにあがります」
玲の代わりに竹内が礼を述べるとドアマンは自分の持ち場へと戻って行った。
「あのドマアンは機転が利く」
感心する竹内の横でようやく状況を理解すると、ドアマンの心遣いが今の玲の心には有難かった。
「さぁ、ここで待ちましょう」
竹内に促され玲が乗り込むと畳んであった幌を竹内が広げてくれた。
「すみません……」
「いいんです。風邪など引いたらいけません」
竹内はにっこりとした。
「あのっ」
「高藤たちの話、聞いたんですね」
「あ……えっと……ちょっと、です。ちょっと」
玲は咄嗟にごまかした。竹内は今の数正に一番近しい人物、そんな人に言い合いがあったとは知られてはいけないような気がしたのだ。
「あいつらは……はぁ……。僕に言えることではありませんが、気にしないことです。あいつの秘書からは、一ノ瀬の家に連絡をしたと聞いてます。話は符合しますか?」
「はい、そのようにわたしが頼みました」
「あいつに送られたくないのですね」
「……」
「それでいいんですよ、灸を据えてやればいい」
少し真面目な視線に、玲はまた先ほどの数正を思い出して落ち込んだ。気を許すと今にも泣きだしてしまいそうで、玲は幌の陰に隠れた。そしてか細い声でもう大丈夫だと伝えた。
「……では、あとは先ほどのドアマンに任せます。本当にそれで大丈夫ですか?」
「はい、わたしも我儘を言い、ご迷惑おかけしました」
「謝らないでください」
竹内の声は優しかった。あの近所にいた秋田犬のように、玲を労う視線を送ると人力車から離れていった。
「はぁ…………」
人力車は建物の方を向いているため、誰の視線も気にならない。竹内が去ったあと、玲はゆっくりと背を委ねた。何故、玲の勝手で一人で帰るなんて言い出したのに皆こうやって優しいのだろうと胸が痛くなった。
「数正兄さまは引き止めにも来てくれない……」
緊張しっぱなしの手のひらは白く強張っている。何度か開いたり閉じたりをしてみるもうまく動かない。玲は両手を庇い合うように合わせて膝の上に置いた。
何を間違ってしまったのか。
どうしてあそこまで彼から言われるようになってしまったのだろう。物心ついたときから数正は玲の家族と共に過ごしてきた。互いの誕生日や祖父の誕生日も祝いあったし玲の進学のたびにもだ。年の離れた彼は玲の成長を見守ってくれていた。家族と一緒に喜んでくれているとそう思っていたのに。家族だと思っていたのは玲だけだったのだ。
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