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第一章
第十一話 友人
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東とは、同じ大学に通う医学部二年の男だ。二人は大学に入ってから知り合い、意気投合した間柄。東は玲をベッドに座らせ、再度廊下に出て女中を呼び止めると蒸した手ぬぐいを持ってくるよう指示した。
「まさか、約束をすっぽかされるとはなぁ」
「東……ごめん」
「二時間は待ったぞ」
会う約束をしていたことをすっかり忘れていた。しかし東は小言を言う割には気にしていない様子で笑うと、玲の額に掌を当てて熱を見たりと世話を始めた。その動作がいちいち医者のそれで、思わず玲は頬が緩んでしまう。されるがままになっている玲に微笑むと、東もそっと隣に腰掛けた。一通り診察を終えたらしい。
「先日のパーティーは盛況だったそうだね。一ノ瀬と婚約者殿がやってきたと俺の耳にも入ってきた」
「そう……」
玲はそのまま俯いた。東の耳に入るくらいだ、玲がひとりで帰ったことも知っているのだろうか。
──数正兄さまに迷惑をかけただろうか。
ふと数正の顔が過り、慌てて頭を振って蹴散らした。
「浮かない顔をしているのは、ただの疲れか?」
東はきょろきょろと辺りを見回しベッドの足元に丸まっているカーディガンを見つけると、それを手にとって形を整えると玲の肩に掛けた。東は当たり前に玲を気遣ってくれる人物だ。
「東……」
気を許すと泣いてしまいそうだ。思わずカーディガンを握ると東は一瞬目を見開いた。そして背を丸めて玲の顔を覗き込んでくる。
「……何があったのか聞かせてくれるか?」
玲はこくりと頷いた。そしてあの夜のことを話し始めた。
「そうだったのか……、とても信じられないが」
「わたしを一切愛していなかった」
「あちらにもあちらの事情があったとは?……ここに頭を乗せて。温かいか?」
東は話しを聞きながら枕をポンポンと叩いて玲を横になるよう促した。玲は東の指示通りだるい体をベッドに横たえた。そして女中が用意した蒸した手ぬぐいを玲の目の上に被せた。じんわり熱が脳の疲労を緩和していく。
「そんなこと、……分からない」
どんな事情があれば、玲にあんなに冷たくなれるのか。
「いきなりそんなことを言われたんだぞ。君は彼の味方をするのか?」
「そんなつもりはないが、あちらがそんなことを言うなんて、にわかに信じられないんだ」
東に信じられないのなら、玲はもっと信じられない。
「こんなときは酒に溺れるものだ、一杯やるか?」
「あぁ……、そうしよう。……もうどうでもいいや」
「駄目で元々で聞いてはみたが、本当に飲むのか?」
東は聞いておきながら玲の答えに少し狼狽えていた。東とは大学入学時に出会った学友でアルファではあるが、オメガのことを医学的によく理解している男で、それに見るからに誠実な男で玲も二人きりになっても警戒心を抱かないほどだ。
「飲むよ。兄さまの前では緊張してしまって飲まないと決めているだけで、わたしだって嗜む程度には。久しぶりで早く酔いが回りそうだけれど」
手ぬぐいを取ると玲は起き上がった。
「なら、今夜はとことん飲もうじゃないか」
「あぁ」
「そうして、眠たくなったら眠ってしまえばいい」
二本目のワインを飲み干す頃、玲は涙をポロリと零した。
「あんなに逢瀬を重ねても難しいんだね、人の気持ちというものは。……今まで兄さまから不満など一度も聞いたことはなかった」
「ということは、ちゃんと愛を囁かれていたのだろう?」
「え───……?」
あぁ、そうか。
不満もなかったが、愛しているなどとも言われたこともなかったんだ。またもや現実を突きつけられ玲は肩を落とした。東は落ち込む玲を見てうまくいっていなかったことを察したのか、グラスにワインを注いだ。
「少ながらず大学に進学する頃までは兄さまは優しかったんだ……沢山の時間を過ごして婚約のネックレスだって…………」
玲はチェストに目をやった。チェストの一段目の引き出しには玲の大切なものが入っている。両親から貰った大学入学祝いの万年筆、祖父の形見分けで譲り受けたカフスとネクタイピン。そうして、もうひとつが数正から貰ったネックレスだ。三カラットのひと粒ダイアモンドで、高等科を卒業するときに正式に婚約を申し込まれ、その証として数正が玲に贈ったものだ。
「婚約指輪の代わりに貰ったというネックレスか?」
「あぁ。大学へ進学を決めた時も、卒業したら結婚しようって言ってもらえた。なのになんで……」
「髙藤さんは結婚をすると言ってるんだろう? したらいいじゃないか」
「好きじゃないと宣言されて?」
玲はふてくされた。
「元々最近は冷たくされていたのなら、同じことだろう」
「……!」
何も言えなかった。言葉にされてしまったら心への衝撃は強い。
「わたしは人形ではない。心がある。番いの契約だって……」
「一ノ瀬……」
「もう、わたしは嫌われてしまったんだ。なら婚約は破棄にすべきだろう……?」
ワインを煽るたびに涙が白い頬を伝う。
「でも、髙藤さんは君と結婚すると言っているんだろう?」
「そんなの勝手だ……! あんなにはっきりと愛することはないと言って……ひどいよ……」
「結婚さえしてしまえば、君の愛しの王子様は一生君のものになるぞ。そう思えば──」
「そんなこと!……思わないよ。わたしを愛してなどいないなら、お互い不幸だ。わたしたちは結婚すべきじゃない」
たとえ契約結婚でも、人間と人間の関わり合い。玲には割り切ることなどできない。しかし東は実にあっけらかんとしている。
「結婚は情だというよ? うちの親も見合いだが、情が生まれれば子供を作れるだなんて言っていた」
そんなことを言いのける東に悪気がないことは玲も分かっている。それでも数正との結婚に憧れ続けた玲には、情で側にいられることの方が何倍にも辛いことに思えた。
「ねぇ、わたしにそんなこと、思ってほしいのか?」
「え?」
「わたしだって愛されたい、情だなんて酷だよ……っ」
玲はついにテーブルに突っ伏した。
「悪かったよ、ごめん。それで最後にしよう、その一杯は付き合うから」
「…………眠るまで居てくれるんだろう」
「あぁ、いるさ、約束だ」
「うん」
最後の一杯を飲み干す前に瞼が重くなり、やがて眠った。
「まさか、約束をすっぽかされるとはなぁ」
「東……ごめん」
「二時間は待ったぞ」
会う約束をしていたことをすっかり忘れていた。しかし東は小言を言う割には気にしていない様子で笑うと、玲の額に掌を当てて熱を見たりと世話を始めた。その動作がいちいち医者のそれで、思わず玲は頬が緩んでしまう。されるがままになっている玲に微笑むと、東もそっと隣に腰掛けた。一通り診察を終えたらしい。
「先日のパーティーは盛況だったそうだね。一ノ瀬と婚約者殿がやってきたと俺の耳にも入ってきた」
「そう……」
玲はそのまま俯いた。東の耳に入るくらいだ、玲がひとりで帰ったことも知っているのだろうか。
──数正兄さまに迷惑をかけただろうか。
ふと数正の顔が過り、慌てて頭を振って蹴散らした。
「浮かない顔をしているのは、ただの疲れか?」
東はきょろきょろと辺りを見回しベッドの足元に丸まっているカーディガンを見つけると、それを手にとって形を整えると玲の肩に掛けた。東は当たり前に玲を気遣ってくれる人物だ。
「東……」
気を許すと泣いてしまいそうだ。思わずカーディガンを握ると東は一瞬目を見開いた。そして背を丸めて玲の顔を覗き込んでくる。
「……何があったのか聞かせてくれるか?」
玲はこくりと頷いた。そしてあの夜のことを話し始めた。
「そうだったのか……、とても信じられないが」
「わたしを一切愛していなかった」
「あちらにもあちらの事情があったとは?……ここに頭を乗せて。温かいか?」
東は話しを聞きながら枕をポンポンと叩いて玲を横になるよう促した。玲は東の指示通りだるい体をベッドに横たえた。そして女中が用意した蒸した手ぬぐいを玲の目の上に被せた。じんわり熱が脳の疲労を緩和していく。
「そんなこと、……分からない」
どんな事情があれば、玲にあんなに冷たくなれるのか。
「いきなりそんなことを言われたんだぞ。君は彼の味方をするのか?」
「そんなつもりはないが、あちらがそんなことを言うなんて、にわかに信じられないんだ」
東に信じられないのなら、玲はもっと信じられない。
「こんなときは酒に溺れるものだ、一杯やるか?」
「あぁ……、そうしよう。……もうどうでもいいや」
「駄目で元々で聞いてはみたが、本当に飲むのか?」
東は聞いておきながら玲の答えに少し狼狽えていた。東とは大学入学時に出会った学友でアルファではあるが、オメガのことを医学的によく理解している男で、それに見るからに誠実な男で玲も二人きりになっても警戒心を抱かないほどだ。
「飲むよ。兄さまの前では緊張してしまって飲まないと決めているだけで、わたしだって嗜む程度には。久しぶりで早く酔いが回りそうだけれど」
手ぬぐいを取ると玲は起き上がった。
「なら、今夜はとことん飲もうじゃないか」
「あぁ」
「そうして、眠たくなったら眠ってしまえばいい」
二本目のワインを飲み干す頃、玲は涙をポロリと零した。
「あんなに逢瀬を重ねても難しいんだね、人の気持ちというものは。……今まで兄さまから不満など一度も聞いたことはなかった」
「ということは、ちゃんと愛を囁かれていたのだろう?」
「え───……?」
あぁ、そうか。
不満もなかったが、愛しているなどとも言われたこともなかったんだ。またもや現実を突きつけられ玲は肩を落とした。東は落ち込む玲を見てうまくいっていなかったことを察したのか、グラスにワインを注いだ。
「少ながらず大学に進学する頃までは兄さまは優しかったんだ……沢山の時間を過ごして婚約のネックレスだって…………」
玲はチェストに目をやった。チェストの一段目の引き出しには玲の大切なものが入っている。両親から貰った大学入学祝いの万年筆、祖父の形見分けで譲り受けたカフスとネクタイピン。そうして、もうひとつが数正から貰ったネックレスだ。三カラットのひと粒ダイアモンドで、高等科を卒業するときに正式に婚約を申し込まれ、その証として数正が玲に贈ったものだ。
「婚約指輪の代わりに貰ったというネックレスか?」
「あぁ。大学へ進学を決めた時も、卒業したら結婚しようって言ってもらえた。なのになんで……」
「髙藤さんは結婚をすると言ってるんだろう? したらいいじゃないか」
「好きじゃないと宣言されて?」
玲はふてくされた。
「元々最近は冷たくされていたのなら、同じことだろう」
「……!」
何も言えなかった。言葉にされてしまったら心への衝撃は強い。
「わたしは人形ではない。心がある。番いの契約だって……」
「一ノ瀬……」
「もう、わたしは嫌われてしまったんだ。なら婚約は破棄にすべきだろう……?」
ワインを煽るたびに涙が白い頬を伝う。
「でも、髙藤さんは君と結婚すると言っているんだろう?」
「そんなの勝手だ……! あんなにはっきりと愛することはないと言って……ひどいよ……」
「結婚さえしてしまえば、君の愛しの王子様は一生君のものになるぞ。そう思えば──」
「そんなこと!……思わないよ。わたしを愛してなどいないなら、お互い不幸だ。わたしたちは結婚すべきじゃない」
たとえ契約結婚でも、人間と人間の関わり合い。玲には割り切ることなどできない。しかし東は実にあっけらかんとしている。
「結婚は情だというよ? うちの親も見合いだが、情が生まれれば子供を作れるだなんて言っていた」
そんなことを言いのける東に悪気がないことは玲も分かっている。それでも数正との結婚に憧れ続けた玲には、情で側にいられることの方が何倍にも辛いことに思えた。
「ねぇ、わたしにそんなこと、思ってほしいのか?」
「え?」
「わたしだって愛されたい、情だなんて酷だよ……っ」
玲はついにテーブルに突っ伏した。
「悪かったよ、ごめん。それで最後にしよう、その一杯は付き合うから」
「…………眠るまで居てくれるんだろう」
「あぁ、いるさ、約束だ」
「うん」
最後の一杯を飲み干す前に瞼が重くなり、やがて眠った。
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