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第一章
第十ニ話 遅い朝食
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週の始めの月曜日には必ず花が届く。数正が花屋に頼んでいるものだ。花が届くとそれを女中が決まった花びんに挿して玲の部屋の窓辺に飾るのだ。日曜日の今日、玲の部屋は殺風景だ。ただ月曜日が来ることを待っている窓辺が、玲を悲しくさせる。
──義務で花を贈ってくれていただけなんだ。
だからきっと明日は届かない。
きっと他の素敵な人にも花を送っているんだろう。どこまでも完璧な婚約者に、恋人がいてもおかしくはない。玲と会うのは月にたったの一度。ならば玲に気づかれず誰かと愛を育むことは容易だ。なぜそんなことにも気が付かなかったのか。
それでもいいからと、思う自分もいる。まるで二重人格にでもなったようだ。東の言うとおり結婚で彼を縛ることもできる。いつかは振り向いて貰えるかもしれないんだ。けれど一方で、彼の愛する人と幸せになってもらいたい、そうも願う。
「お食事は出来ますか? もうお昼にございますよ」
「うーん……」
二日酔いでベッドの中でもそもそしていると、原に起こされた。だるさを抱えながら階段を降りると、階段を降りきる前に東の楽しげな声が聞こえてきた。食事室のほうからだ。昨夜は本当に玲に付き合ってくれたのだ。
玲は昨日会う約束をすっぽかしている。日本を発つ前に穴埋めをしなくてはならない。食事室に向かうと満面の笑みを浮かべた東がそこにいた。
「よう、一ノ瀬、先に頂いているよ」
玲は唖然とした。東は玲のいつも座る席の向かいに座っていて、遅い朝食をとっていた。美味しそうに大きな口を開けて白いごはんを口へと放り込むその表情に驚きつつ、玲はふと笑みを零した。
「君は本当に美味しそうに食べるね」
「現にうまいんだよ」
玲が席につくと、女中たちが手際よく朝食を並べようとするのを玲はやんわりと止めた。
「悪いのだけどあまり食欲がなくて、少なめで頼みます」
そう告げるとあんだけ飲めばなと眉を下げて笑う東をちらりと睨んだ。東は肩を竦めてから、また大きな口でごはんを頬張った。
「一ノ瀬家は料理番が作っているんだろう? うちの母のとは違う」
「料理人ではないよ。女性たちが作ってくれるんだ。僕のうちの食事は一番好きだよ」
一ノ瀬の家には料理番はいない。家事を担う女中が玲の食事を拵えるのだ。華族や財閥の女中というのは、大概男爵などの息女が花嫁修業のために奉公に来る。しかし一ノ瀬の屋敷の中で働く者たちは女に限らず、祖父より前の代からいる使用人の子供たちだ。原もそのひとりで代々一ノ瀬家に仕えている。一ノ瀬の味や伝統を守り続けているのはそういう人たちのお陰だった。
玲は昨夜あんなにワインを飲んだのにケロリとしている東に、未だ信じられない気持ちで茶をすする。ズキリと痛むこめかみに指を添えると、梅干しを摘もうとした東がじっと見た。
「な、なに? もしかしておかわり?」
「いや、うん、確かにおかわりしたい。卵焼きは絶品だ……んじゃなくて、一ノ瀬気がついてるか? 自分を僕と言っている」
「え……?」
じっと東は玲の目を見ていた。なんだか気まずい。玲は東から視線を逸らすと女中に目配せをして東におかわりを用意するように合図をした。
「……うん。もう繕うのは止めようかなと」
「それは、良いことだが」
「せめて友人や家族の前では僕と言わせてほしい」
「一ノ瀬のしたいようにするべきだ。そうですよね?」
新しくごはんが盛られた茶碗を運んできた女中に、突然東は問いかけた。若い女中は慌てるも茶碗を丁寧に置くと前掛けをきゅっと握り言葉を絞り出した。
「わ、私は、……そ、そうです。ぼっちゃまの自然に振る舞うお姿が一番素敵に思います……!」
「そうですよね、俺もそう思います」
「ふふ、二人ともありがとう」
玲がにっこり笑うと、女中は慌てて空の方の茶碗を取ると台所へとそそくさと消えていった。
表では『私』と言う。礼儀のためにはそのほうがいい。由緒正しい家の若き主人である玲には、それが一番相応しいことで、僕などと自身を呼称することは幼稚である。しかし、家族や東など友人の前だけでも、若き主人ではなくひとりの青年でいてもいいのではないかと思った。
「一ノ瀬、ゆっくりでいいからね」
あのあと二杯もおかわりをして食事を終えた東が、ご馳走様でしたと席を立った。食事室の大きな窓に立ち、そこから見える庭をぼんやりと見ている。
真っ白なシャツにこげ茶のベストを乗せた東の背中はアルファらしくとても広くて逞しい。女学校に通うオメガの妹が二人いるそうだが、アルファである東が玲にとってこんなにも穏やかに過ごせる友人になれたことは奇跡に近い。
やがて玲が食べ終わろうとする頃、「あの先には何があるんだい?」と東がある建物を指差した。
「案内するよ、僕のアトリエだ」
──義務で花を贈ってくれていただけなんだ。
だからきっと明日は届かない。
きっと他の素敵な人にも花を送っているんだろう。どこまでも完璧な婚約者に、恋人がいてもおかしくはない。玲と会うのは月にたったの一度。ならば玲に気づかれず誰かと愛を育むことは容易だ。なぜそんなことにも気が付かなかったのか。
それでもいいからと、思う自分もいる。まるで二重人格にでもなったようだ。東の言うとおり結婚で彼を縛ることもできる。いつかは振り向いて貰えるかもしれないんだ。けれど一方で、彼の愛する人と幸せになってもらいたい、そうも願う。
「お食事は出来ますか? もうお昼にございますよ」
「うーん……」
二日酔いでベッドの中でもそもそしていると、原に起こされた。だるさを抱えながら階段を降りると、階段を降りきる前に東の楽しげな声が聞こえてきた。食事室のほうからだ。昨夜は本当に玲に付き合ってくれたのだ。
玲は昨日会う約束をすっぽかしている。日本を発つ前に穴埋めをしなくてはならない。食事室に向かうと満面の笑みを浮かべた東がそこにいた。
「よう、一ノ瀬、先に頂いているよ」
玲は唖然とした。東は玲のいつも座る席の向かいに座っていて、遅い朝食をとっていた。美味しそうに大きな口を開けて白いごはんを口へと放り込むその表情に驚きつつ、玲はふと笑みを零した。
「君は本当に美味しそうに食べるね」
「現にうまいんだよ」
玲が席につくと、女中たちが手際よく朝食を並べようとするのを玲はやんわりと止めた。
「悪いのだけどあまり食欲がなくて、少なめで頼みます」
そう告げるとあんだけ飲めばなと眉を下げて笑う東をちらりと睨んだ。東は肩を竦めてから、また大きな口でごはんを頬張った。
「一ノ瀬家は料理番が作っているんだろう? うちの母のとは違う」
「料理人ではないよ。女性たちが作ってくれるんだ。僕のうちの食事は一番好きだよ」
一ノ瀬の家には料理番はいない。家事を担う女中が玲の食事を拵えるのだ。華族や財閥の女中というのは、大概男爵などの息女が花嫁修業のために奉公に来る。しかし一ノ瀬の屋敷の中で働く者たちは女に限らず、祖父より前の代からいる使用人の子供たちだ。原もそのひとりで代々一ノ瀬家に仕えている。一ノ瀬の味や伝統を守り続けているのはそういう人たちのお陰だった。
玲は昨夜あんなにワインを飲んだのにケロリとしている東に、未だ信じられない気持ちで茶をすする。ズキリと痛むこめかみに指を添えると、梅干しを摘もうとした東がじっと見た。
「な、なに? もしかしておかわり?」
「いや、うん、確かにおかわりしたい。卵焼きは絶品だ……んじゃなくて、一ノ瀬気がついてるか? 自分を僕と言っている」
「え……?」
じっと東は玲の目を見ていた。なんだか気まずい。玲は東から視線を逸らすと女中に目配せをして東におかわりを用意するように合図をした。
「……うん。もう繕うのは止めようかなと」
「それは、良いことだが」
「せめて友人や家族の前では僕と言わせてほしい」
「一ノ瀬のしたいようにするべきだ。そうですよね?」
新しくごはんが盛られた茶碗を運んできた女中に、突然東は問いかけた。若い女中は慌てるも茶碗を丁寧に置くと前掛けをきゅっと握り言葉を絞り出した。
「わ、私は、……そ、そうです。ぼっちゃまの自然に振る舞うお姿が一番素敵に思います……!」
「そうですよね、俺もそう思います」
「ふふ、二人ともありがとう」
玲がにっこり笑うと、女中は慌てて空の方の茶碗を取ると台所へとそそくさと消えていった。
表では『私』と言う。礼儀のためにはそのほうがいい。由緒正しい家の若き主人である玲には、それが一番相応しいことで、僕などと自身を呼称することは幼稚である。しかし、家族や東など友人の前だけでも、若き主人ではなくひとりの青年でいてもいいのではないかと思った。
「一ノ瀬、ゆっくりでいいからね」
あのあと二杯もおかわりをして食事を終えた東が、ご馳走様でしたと席を立った。食事室の大きな窓に立ち、そこから見える庭をぼんやりと見ている。
真っ白なシャツにこげ茶のベストを乗せた東の背中はアルファらしくとても広くて逞しい。女学校に通うオメガの妹が二人いるそうだが、アルファである東が玲にとってこんなにも穏やかに過ごせる友人になれたことは奇跡に近い。
やがて玲が食べ終わろうとする頃、「あの先には何があるんだい?」と東がある建物を指差した。
「案内するよ、僕のアトリエだ」
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