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第一章
第十九話 追いかける
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「どうだった?」
整然とした副社長室の中央には硬い革張りのソファがある。部屋に入るなり竹内はどかりと座った。
「買収の件なら万事進んでいる」
数正はデスクに座り書類に目を通しながら竹内に答えた。
「違うさ、玲くんのことだよ。今日見送りに行ったんだろう?」
「……」
「どうした、行かなかったのか?」
「……」
「まだ怒ってたか?」
その言葉に数正は視線を上げた。
「怒ってた、とはなんだ!」
「じゃあ、仲直りしたのか?」
「仲直りなど!」
「なんだよ、はっきりしろ」
「……えなかった」
「え?」
「会えなかったと言ったんだ」
竹内は目を大きくした。
「……婚約を破棄したいと言われている」
数正は、このところの事を白状することにした。
「自業自得だ。いいんじゃないか? 親同士が決めた約束だろう? もう二十年も前だ、昔話だよ」
「俺は!……必ず結婚する」
「当人が良いならいいけど、そうじゃなさそうだから言ってるんだよ。この間のパーティーで聞かれてしまったんだろうに。あんな言い方、玲くんだって傷ついたはずだ」
「……」
「そりゃ泣いていたぞ」
「それは……っ」
数正は、ぎゅっと口を噤むしかなかった。どう考えても自分が悪いのだ。
「そもそも大学へ行くことも許したくはなかったんだ」
「なんでさ」
「決まっているだろう、アルファがいるからだ」
「過保護だなぁ、襲われるとでも思っているの?」
笑いながら竹内は長い足を組んだ。
「玲は子供の頃誘拐されかけたことがあるんだ」
「へぇ……」
「あんな初心で美しいオメガなんぞ、ひとりにはしておけない」
「けど、スコットランドへ行っちまった」
しかもひとりきり。原も付けずに行くとは。
数正は大きく溜息をついて肩を落とす。
「まぁ、婚約指輪がアルファ除けになっているだろう」
正式に婚約の申し込みをしたのは、玲が大学一年のときだった。皇族のための学院の高等科にいた玲は戦後新設された付属の大学への進学を控えていた。
本当は大学へなど通わせず一刻も長く傍に置きたかった。しかしそれを抑え隠し玲の望みどおりにした。玲の立っての希望だったからだ。
そうしてどうにか苦肉の策とばかりに、数正は慌てて玲に婚約を申し込んだのだ。
「スコットランドではそんな話は通用しないだろう」
数正は頭を掻いた。日本より遥かに優秀なアルファを生み出している英国だ。数正のマーキングなど子犬のようだ。
「普段おとなしい玲くんが急にスコットランドだなんて、意外だと思うんだけど、なんの留学なの?」
「……経済学部だと聞いている」
「博士号が欲しかったのか、学者にでも憧れが?」
数正にも正直分からない。もしかしたら自分との結婚を先延ばしにしたいのかもしれない。もうそればかりが頭を占拠していた。
手元から離れていこうというのか。
玲からの愛は消え失せたのだろうか。
なぜ、相談がなかったのだろう。
そんな疑問ばかりが沸き立つ。
「ねぇ、玲くんに恋人は?」
「は? なんだと?」
数正は竹内を睨む。
「婚約は玲くんの望んだことだったのかとね、ふと」
数正もそれは疑わなかったわけではない。興信所の報告では最近東というアルファと一緒にいるようだった。
「……アルファの友人はいるらしい」
「アルファの?」
「医学部のやつで、曽祖父が皇室専属の医師だと」
「医者の血筋かぁ」
玲にはそのような血筋の人間がふさわしいのかもしれないと、弱気になったこともある。
それにこの一年、月に一度の逢瀬にも笑顔が消えたように思う。以前は高等科であった話を楽しそうにしてくれていたのに。大学の話しはまるで聞かなかった。
もう昔の頃のように微笑みかけてくれはしなくなった。玲はちゃんと大人になったのだ。少年から青年へと成長した証だ。
子供の頃の幻影から抜け出せず、あの世界のまま玲を閉じ込めてしまいたいのは、数正の完全なる傲慢なアルファのエゴイズムだ。
婚約破棄には決してさせない。他のアルファには渡したくはない。大切に大切に慈しんできた。
玲をこの手から奪われてたまるものか。
『互いに気持ちは無くとも、結婚はできるよ』
全ては数正のひとことからはじまった。
大きく傷つけてしまった。
あのときの玲の顔は忘れることはできない。
「失いたくないのなら追いかけるだけだぞ髙藤」
竹内がデスクの前にやってきた。数正の手から書類を奪うとそれをデスクの脇に置いた。
「その仕事は僕が代わってやる」
「竹内」
「お前がそうやって煮え切らないでいると、誰かが横からすっと攫いに来るぞ。玲くんは一ノ瀬のご令息だ。見張りをつけている医学生だけじゃない、宮家からも申込みがあるかもしれない」
「そんなものはなんとしても阻止する」
語気を強める数正に、竹内は飽きれた様子で見下ろした。
「そうじゃないだろ。お前がしっかり心を込めて伝えるんだ。たとえ、玲くんの心がもうお前になくともな。結婚は契約じゃない。そんなもので縛ってどうする」
数正は社長室のドアを叩いた。
「どうした、慌ただしいな」
社長である数正の父親・髙藤 清はずかずかと入ってくる息子に驚くばかりだった。
「半年、いや三ヶ月私に時間をくださいませんか。大切なものを取り戻したいのです」
数正は、清にそう告げた。
整然とした副社長室の中央には硬い革張りのソファがある。部屋に入るなり竹内はどかりと座った。
「買収の件なら万事進んでいる」
数正はデスクに座り書類に目を通しながら竹内に答えた。
「違うさ、玲くんのことだよ。今日見送りに行ったんだろう?」
「……」
「どうした、行かなかったのか?」
「……」
「まだ怒ってたか?」
その言葉に数正は視線を上げた。
「怒ってた、とはなんだ!」
「じゃあ、仲直りしたのか?」
「仲直りなど!」
「なんだよ、はっきりしろ」
「……えなかった」
「え?」
「会えなかったと言ったんだ」
竹内は目を大きくした。
「……婚約を破棄したいと言われている」
数正は、このところの事を白状することにした。
「自業自得だ。いいんじゃないか? 親同士が決めた約束だろう? もう二十年も前だ、昔話だよ」
「俺は!……必ず結婚する」
「当人が良いならいいけど、そうじゃなさそうだから言ってるんだよ。この間のパーティーで聞かれてしまったんだろうに。あんな言い方、玲くんだって傷ついたはずだ」
「……」
「そりゃ泣いていたぞ」
「それは……っ」
数正は、ぎゅっと口を噤むしかなかった。どう考えても自分が悪いのだ。
「そもそも大学へ行くことも許したくはなかったんだ」
「なんでさ」
「決まっているだろう、アルファがいるからだ」
「過保護だなぁ、襲われるとでも思っているの?」
笑いながら竹内は長い足を組んだ。
「玲は子供の頃誘拐されかけたことがあるんだ」
「へぇ……」
「あんな初心で美しいオメガなんぞ、ひとりにはしておけない」
「けど、スコットランドへ行っちまった」
しかもひとりきり。原も付けずに行くとは。
数正は大きく溜息をついて肩を落とす。
「まぁ、婚約指輪がアルファ除けになっているだろう」
正式に婚約の申し込みをしたのは、玲が大学一年のときだった。皇族のための学院の高等科にいた玲は戦後新設された付属の大学への進学を控えていた。
本当は大学へなど通わせず一刻も長く傍に置きたかった。しかしそれを抑え隠し玲の望みどおりにした。玲の立っての希望だったからだ。
そうしてどうにか苦肉の策とばかりに、数正は慌てて玲に婚約を申し込んだのだ。
「スコットランドではそんな話は通用しないだろう」
数正は頭を掻いた。日本より遥かに優秀なアルファを生み出している英国だ。数正のマーキングなど子犬のようだ。
「普段おとなしい玲くんが急にスコットランドだなんて、意外だと思うんだけど、なんの留学なの?」
「……経済学部だと聞いている」
「博士号が欲しかったのか、学者にでも憧れが?」
数正にも正直分からない。もしかしたら自分との結婚を先延ばしにしたいのかもしれない。もうそればかりが頭を占拠していた。
手元から離れていこうというのか。
玲からの愛は消え失せたのだろうか。
なぜ、相談がなかったのだろう。
そんな疑問ばかりが沸き立つ。
「ねぇ、玲くんに恋人は?」
「は? なんだと?」
数正は竹内を睨む。
「婚約は玲くんの望んだことだったのかとね、ふと」
数正もそれは疑わなかったわけではない。興信所の報告では最近東というアルファと一緒にいるようだった。
「……アルファの友人はいるらしい」
「アルファの?」
「医学部のやつで、曽祖父が皇室専属の医師だと」
「医者の血筋かぁ」
玲にはそのような血筋の人間がふさわしいのかもしれないと、弱気になったこともある。
それにこの一年、月に一度の逢瀬にも笑顔が消えたように思う。以前は高等科であった話を楽しそうにしてくれていたのに。大学の話しはまるで聞かなかった。
もう昔の頃のように微笑みかけてくれはしなくなった。玲はちゃんと大人になったのだ。少年から青年へと成長した証だ。
子供の頃の幻影から抜け出せず、あの世界のまま玲を閉じ込めてしまいたいのは、数正の完全なる傲慢なアルファのエゴイズムだ。
婚約破棄には決してさせない。他のアルファには渡したくはない。大切に大切に慈しんできた。
玲をこの手から奪われてたまるものか。
『互いに気持ちは無くとも、結婚はできるよ』
全ては数正のひとことからはじまった。
大きく傷つけてしまった。
あのときの玲の顔は忘れることはできない。
「失いたくないのなら追いかけるだけだぞ髙藤」
竹内がデスクの前にやってきた。数正の手から書類を奪うとそれをデスクの脇に置いた。
「その仕事は僕が代わってやる」
「竹内」
「お前がそうやって煮え切らないでいると、誰かが横からすっと攫いに来るぞ。玲くんは一ノ瀬のご令息だ。見張りをつけている医学生だけじゃない、宮家からも申込みがあるかもしれない」
「そんなものはなんとしても阻止する」
語気を強める数正に、竹内は飽きれた様子で見下ろした。
「そうじゃないだろ。お前がしっかり心を込めて伝えるんだ。たとえ、玲くんの心がもうお前になくともな。結婚は契約じゃない。そんなもので縛ってどうする」
数正は社長室のドアを叩いた。
「どうした、慌ただしいな」
社長である数正の父親・髙藤 清はずかずかと入ってくる息子に驚くばかりだった。
「半年、いや三ヶ月私に時間をくださいませんか。大切なものを取り戻したいのです」
数正は、清にそう告げた。
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