枳殻のささやき

稲葉真乎人

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04.交流

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週末に本社管理部で開かれた社員大会の準備委員会の後、メンバーは懇親と銘打って河原町界隈に飲みに行く事になった。
本社管理部から配布された準備委員会の名簿には六名の名前があった。
総務課の笹原智明27歳と人事課の本田弘恵24歳。
技術部から技術課の隅田博司26歳と庶務担当の門脇朋美25歳。
営業部の業務担当、吉岡賢一27歳と営業課の箕田早苗23歳。
準備委員会は、総務課の笹原がリーダーシップを執って進められていた。
会社を出れば、ごく普通の若者達だった。
服装も言動も、社会人として特別に見苦しい風貌だったり、他に迷惑を掛けたりするような者はいなかった。
河原町通りに面したビルの地下にある、大衆居酒屋に入ったメンバーは、適当に席を決めて座った。
同期入社の笹原と吉岡は隣同士になった。吉岡の隣には、同じ営業部の箕田早苗が座り、総務の笹原の正面に人事課の本田弘恵が座り、技術部の門脇朋美と隅田博司が座った。下座に座った隅田が、注文を纏めて店のひとに伝えた。
笹原の音頭で乾杯が済むと、適当に雑談が始まった。
笹原が、正面に座る弘恵に話し掛けた。
「本田さん、うちの谷川さんは、一時的に受付に回る予定じゃなかったの?」
「はい、そうですよ」
「でも、五月の連休明けからずっとだよ、彼女は総務で今までの仕事をしながらなんだ、傍で見ていて、よく頑張っているとは思うんだけど、大変だと思うんだ」
傍で聞いていた吉岡が言った。
「どうして一時的なんだい?元々、受付は秘書課が担当じゃなかったっけ?」
弘恵が言った。
「そうなんですけど、泉田さんは休暇を取られたり早退も多いんです、それで、総務から谷川さんが……」
「何だ、泉田さんは、やる気がないんじゃないか、そんなひとを受付に座らせることはないと思うけどなぁ」
「そうなんですけど、泉田さんは、お得意さんの紹介で入社された方なんでしょう、それで、上の人達も色々あるんじゃないかと思いますけど……」
「そんなの関係ないよ、うちの機器は、ぺこぺこして売るような製品じゃないんだ、僕は技術部出身だから言う訳じゃないけど、技術部の努力で、他社とは完璧に差別化されている製品なんだよ、どれだけの得意か知らないけど、頼まれたって、適格者じゃなければ、断ればいいんだよな」
弘恵が総務部員らしく言った。
「吉岡さん、休暇取得は、わたしたち従業員の権利ですから、業務に特別支障が無ければ、申し出があれば上司は拒否できません、業務上に差し障りがある場合に、日時の変更をしてもらうのが限度なんです、ねぇ、笹原さん?」
笹原が言った。
「確かにそうだね、でも、谷川さんにとったら過剰労働だよ、いくら事前申請だと言っても、休暇申請をして受理されると、突然、谷川さんに声がかかるんだよ。彼女は受付業務が終わってから、自分の仕事をしているんだ、彼女は運動をしていたから、体力に自信を持っているみたいだけど、そのうちダウンするかもしれないよ、僕も、できるだけカバーしているけど……」
話しを漏れ聞いた隅田が言った。
「笹原さん、谷川さんは、あまり気にはしていないみたいですよ、受付も結構楽しいと言っていましたから……、ずっとでなければ、様子を見て上げたらどうですか?」
門脇朋美が、隅田の太ももをテーブルの下で突付いた。
笹原が言った。
「隅田くんは、谷川さんと親しいのか、話したことがあるの?」
「いえ、まぁ、この前、ちょっと機会があって」
「そうか、君は泉田さんと同期だったな、庇ってやっているのか?」
「泉田さんとは何の関係も無いですよ、彼女は、何か僕に興味があるようなことを、周りに話しているみたいですけどね、タイプじゃないですよ、総務部なら、谷川さんや本田さんの方がタイプですよ」
弘恵が言った。
「ほんとですか⁉、わたしはないでしょ。本命は谷川さんでしょ?」
吉岡が言った。
「そうなのか?、谷川さんは幹部の受けもいいからなぁ……、明るくて、はっきりしているし、人気あるよなぁ……、待てよ、言った者勝ちなんてないだろなぁ」
同じ営業部の箕田早苗が言った。
「吉岡さんも谷川さんがタイプなんですか?、ほんとですか?」
「冗談だよ、僕は、まだ、彼女とか結婚なんて先だと思っているんだから……」
「どうしてですか、二十七でしょ、そろそろ考えてもいいと思いますけど」
隅田が言った。
「谷川さんは競争率高いね、僕なら箕田さんタイプだな、真剣に考えようかなぁ……」
笹原が言った。
「待てよ、箕田さんのお父さんは、マンションを幾つも持っている会社の社長さんだよ、それに隅田くんのお父さんは一流会社の役員で、実家は大金持ちなんだから……。何か、僕らと世界が違うんだよなぁ……」
吉岡が言った。
「箕田さんて、そんな家のお嬢さんなんだ、知らなかった」
隅田も言った。
「意外だな、同じお嬢さんでも、泉田さんとはえらい違いだよな、ほんとに立候補するかなぁ」
朋美が言った。
「箕田さんは新入社員だけど、どうなの、うちの男性社員は対象になるの?」
吉岡も言った。
「そうだね、興味あるなぁ、箕田さん、どうなの?」
「はい、この会社の人達は好きです、それと父は父ですから、それに、わたしはお嬢さんではありません、吉岡さん、お嬢さんなら部長室付きの、先輩の柳井さんの方が、お嬢さんだと思いませんか?」
笹原が言った。
「箕田さん、それは中っているよ、柳井さんは社長の遠縁になるんだ。最初から営業部長付きで二年目だから、そろそろ退社じゃないのかな……。水原部長から、三年くらいと聞いたことがあるよ。親が社会の水に触れさせたいとか……、十分知っていると思うけど、親には分からないんだろうな……」
隅田博司が言った。
「そうかもな。でも、会社もいい加減だよ、他の社員は一生懸命生活をかけてやっているのに、本当の腰掛けってやつでしょ、笹原さん?」
吉岡賢一が言った。
「隅田くんが生活をかけているって?、本当かよ?」
「吉岡さん、本当ですよ、まあ、吉岡さんほど愛社精神が強いとは、まだ言えませんけど、吉岡さんのことは、君原部長から聞いていますからね」
「それは君原部長の買いかぶりだよ、でも、部長はいい上司だろ?」
「ええ、それはそう思います。吉岡さんは、よく、部長の下から出て行かれましたね?」
「部長の歩いてこられた道を辿りたいと思ったからだよ」
早苗が言った。
「やっぱり、うちの会社の男性社員は素敵だと思います。今回、この委員会で、初めて他の部門の方達と同席しましたけど、こう云うのがあると、いいですね、営業部も技術部も、本社から離れているでしょ、離れていると社内恋愛の感じも違うと思うんです」
隅田が言った。
「おっと、箕田さん、それって、僕らにも可能性ありってことだよね」
「男女の仲って縁でしょ、社内も社外もないと思っているんですけど……」
「よぉーし、明日から仕事頑張るぞ、社員大会も近づいてくるし、勿論この委員会も頑張りますよ」
笹原が言った。
「良かった、これでプログラムは一気に決まりそうだよな、隅田くんに任せればいいんだから」
「待って下さい、それは僕だけでは無理ですよ、やっぱりリーダーの笹原さんに纏めて貰わないと……」
楽しく語らい合ってお開きになり、全員が席を立った。
吉岡が笹原に言った。ふたりは同期入社である。
「笹原、幾ら持てばいいんだ?」
「そうだな、隅田くん、幾らなんだ?」
「笹原さん、今夜は僕が出します、僕は独身で金持ちですからねぇ・・・」
「阿保、あれは冗談だよ。そう言う訳に行くか、僕の方が一年でも先輩なんだからな」
「じゃぁ女性群は招待ということで、二千円ずつ下さい、もう精算はしましたから」
吉岡が言った。
「済ましたの?、ほんとに、それだけでいいのか?」
「ええ、実は先日、君原部長に、えらく御馳走になったんですよ。準備していたんですけど、お金はいらないって言われて、そのまま残っていたんで……」
笹原が言った。
「じゃぁ、今回は、そういう事にしようか、また、社員大会が済んだら、打ち上げをやろう、その時には僕と吉岡で持つよ、いいだろ吉岡?」
吉岡も言った。
「そうだな。じゃ隅田くん、悪いな、そういうことでいいんだな?」
ビルから外に出ると、女性三人が待っていた。
朋美が、幾ら出せばいいかと隅田に聞いた。
笹原が「今夜は隅田くんの奢りだそうだから、要らないから」と言った後で、吉岡が「今度の機会ということで、御馳走になっておこうよ」とフォローをして、みんな、手にしていた財布を仕舞った。
隅田は、同じ方向に帰るという弘恵と早苗に声を掛けて、三人揃って移動した。
山科に帰る吉岡だけが、JR京都駅に向けて一人で帰って行った。
学生時代から、夜の町で遊び慣れている朋美が、笹原を誘った。
朋美の誘いを受けた笹原は、自分が行きつけのカクテルバーに朋美を連れていく。
門脇朋美は、泉田祥子と同じ女子大出身で、祥子の一年下である。学部も同じで観劇同好会の先輩後輩の仲だった。総務の笹原は、それを知っていた。
朋美はラム.ベースのネイクド.レディを頼み、笹原はラスティ.ネイルを頼んだ。
「ネイクドって、裸って意味だよね、門脇さんも大胆なカクテルを頼むんだな、いつもそんなフィーリングなの?」
「いいえ、気持ちのいい時だけですよ」
「じゃぁ、今夜は気持ちがいいんだ?」
「そうですね、隅田さん以外は、他の職場のひと達ですから、何か新鮮でした。でも、女性の本田さんも箕田さんも、少し、わたしとはタイプが違いますね」
「どう云うこと?」
「笹原さんは気付いてらっしゃるでしょ、泉田さんの話しが出たとき、みんなの反応が、凄く気になったんですよ……」
「門脇さんも、泉田さんと同類だと思ったの?、でも、同じじゃないね」
「彼女の方が綺麗だからですか?」
「いや、そういう意味じゃないよ。門脇さんからは、何て言うかな、魂胆みたいなのは感じられないけど、泉田さんは、会社に居ても心此処にあらずみたいで、わたしには他にやることがあるのよ、そんな感じがするんだ。望んでいるものが僕らとは違うと思うよ」
「流石に総務だけありますね。でも、学生時代は一緒に行動していたんですよ、後輩ですから、付いて動いていただけですけど、それって、同類かもしれませんよね」
「社会人になれば関係ないよ。門脇さんは庶務だから、総務とも関連の仕事があるだろ、僕から見たら、門脇さん仕事は完璧だよ。それで十分なんじゃないのかなぁ」
「ありがとうございます、見て頂いていると分かって、嬉しいです」
「君原部長も、いつも褒めておられるよ。泉田さんは大学の先輩、それだけでいいんじゃないの?。門脇さんは門脇さんの魅力があるよ、今夜の男達だって、泉田さんより門脇さんの方が、魅力的で大人の女性だと思っているよ」
「笹原さんも、そう思ってくれています?」
「思っているよ。それに、ほろ酔いの門脇さんにも魅力を感じるな……」
「ほんとですか?、笹原さんは二つ上ですよね、大人なんですね?」
「門脇さんだって、ネイクドじゃないけど、レディだと思うよ……」
「ジョークですか、上手ですね。笹原さんは、うちの君原部長の大学の後輩ですよね、一緒に飲みに行かれたりするんですか?」
「たまにね、本社に来られたときに、声を掛けてもらうことがあるよ」
「君原部長は、部下の社内恋愛とか結婚のこと、どう思っておられるんですか、反対なんでしょうか?」
「どうして、そんなことを?」
「社員の男女間のことには、あまり触れられないんですけど、君原部長は社内結婚なんですか?」
「いや、違うよ。奥さんは中学時代の後輩だと聞いた事があるけど……。純愛派だから、愛し合っていれば、社内も社外も関係ないと思っておられるんじゃないかな……」
「仲人なんか、されたことがあるんですか?」
「部長はプライベートで、部下と親密な関係になることは避けておられるような気がするよ。でも、部下の、そういうことには気を配っておられるよ、絶対に贔屓みたいなことではなくてね、幸せな結婚をして欲しいと思っておられるよ、そういうひとなんだよ」
「じゃぁ、直接、相談なんかは出来ませんよね?」
「何の相談、恋愛の相手探しかい?」
「笹原さん、わたし、学生時代は、よく遊んでいたんですけど、真剣に好きになって、付き合った男性はいないんですよ」
「信じられないな、本当なの?、酔って、言ってないよね」
「違いますよ、本当なんです。みんなからは、遊んでいたから、幾らでも周りに男性がいるように思われているようですけど……。確かに、わたしは少し派手なファッションが多いですし、顔も濃いい方ですし、派手ですから……」
「それはないよ、さっきも言っただろ、君原部長も、真面目でよくやってくれているって、そう言っておられるんだから、私服で何を着ようが関係ないよ。それに、門脇さんは泉田さんを意識し過ぎているよ。君には君らしい魅力があるんだ。ヨイショで言っているんじゃないよ……」
朋美は、じっと笹原の目を見て聴いていた。
心なしか、目が潤んでいるように笹原には見えた。
別れ際、朋美は笹原に「今度、誘って下さいね」と言って、早足で帰って行った。
笹原は、朋美に訊こうと思っていたことがあったのを忘れていた。
泉田祥子が、君原部長と心安い関係の様に、社内で話しているのが気になっていたのだ。
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