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第7話 王子様の宣戦布告
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夜風がまだ肌寒い季節。六畳一間の私のアパートはいつも通りの静寂に包まれていた。
けれど私の心の中はかつてないほどの嵐が吹き荒れている。私はベッドの上に座り込み、手のひらにある小さなアクリルキーホルダーをただじっと見つめていた。
『るるぴょん』。
私が作った私だけのお守り。そして私の最大の秘密を知る唯一の証人。
カイくんの手のひらにこれを見つけた時の衝撃がまだ全身を痺れさせている。
『昨日お前が帰った後に見つけた』
彼の言葉が頭の中で何度も再生される。淀みなく滑らかで、だからこそあまりにも不自然な嘘。もし本当に昨日見つけたのならなぜ今日まで黙っていたのだろう。なぜあんなにも苦しそうな罪悪感に満ちた顔をしていたのだろう。
答えは一つしかない。
彼は知っている。私が『ルル』だということを。
その事実はこれまで感じてきた「バレたらどうしよう」という漠然とした恐怖とは全く質の違う鋭利な恐怖を私の胸に突き立てた。
彼はいつから?
どこまで知っているの?
そして何より秘密を知った上で彼は私のことをどう思っているのだろう。
軽蔑している? それとも哀れんでいる? カフェで失敗ばかりしている要領の悪い女が画面の向こうで人気者ぶっている様を彼はどんな気持ちで見ていたのだろう。考えれば考えるほど思考は暗い沼の底へと沈んでいくようだった。
それでも配信の時間は容赦なくやってくる。
重い体を引きずるようにして私はパソコンの前に座った。マイクをセットし配信ソフトを立ち上げる。画面に映るピンク色の髪の元気な女の子。
『ルル』。
もう一人の私。私の理想の姿。
けれど今夜は画面の中の彼女とここにいる私の間にひどく大きな隔たりがあるように感じられた。まるで分厚いガラスを一枚隔てているみたいに彼女の笑顔がひどく遠い。
『みんなー、こんばんるるー!』
絞り出した声は自分でも驚くほどか細く力ないものだった。
それでもコメント欄はいつもと変わらない温かい言葉で溢れていく。
『るるちゃん、待ってた!』
『今日も可愛いよ!』
その優しさが今はガラスの破片のように私の胸に突き刺さる。ごめんなさい。みんなが応援してくれているルルは今ここにいない。ここにいるのはただの臆病でちっぽけな本城凪なのに。
私は必死で笑顔の仮面を貼り付けた。雑談をしながらリスナーから届いたお便りを読んでいく。けれど言葉は上滑りし相槌はどこか空虚に響いた。
そんな私の異変に聡いリスナーたちはすぐに気づき始める。
『るるちゃん、元気ない?』
『なんか声に力がないような……』
『疲れてるなら無理しないでね』
心配してくれるコメントが私の心をさらに締め付ける。違う。違うの。みんなに心配をかけたいわけじゃない。
どうしよう。このままじゃ配信を続けられないかもしれない。
涙がじわりと目の縁に滲んだその時だった。
ひときわ目立つ赤い通知が画面に表示された。
【セバスチャンさんが、10,000円のSuper Chatを送信しました】
彼の名前。
私の心臓が大きく跳ねた。今一番会いたくて一番会いたくない人。
スパチャに添えられたメッセージがゆっくりと画面に表示される。
『無理しなくていい。君がどんな状態でも、俺たちはここにいるから』
それはいつものような情熱的な愛の言葉ではなかった。
ただ静かで穏やかで全てを受け入れるような優しい言葉。
その言葉はVTuberのルルにではなく、まるで今画面の前で泣きそうになっている本城凪に直接語りかけているかのようだった。
ああ、やっぱり。
彼は知っているんだ。
私のことも私の今の気持ちも全部。
その優しさが私の心の最後のダムを決壊させた。
「……っ、ひぐ……」
堪えきれず嗚咽が漏れた。私は慌ててマイクのミュートボタンを押す。けれどもう遅い。コメント欄は私の嗚咽を聞きつけたリスナーたちの驚きと心配の言葉で埋め尽くされていた。
「ごめ、なさ……っ。ちょっと嬉しくて……」
涙声で必死に言い訳をする。リスナーの優しさに感動して泣いてしまったということにするしかない。セバスチャンさんのスパチャがあまりに嬉しくてと。
それは嘘ではなかった。けれど本当の理由とはあまりにも違っていた。
リアルでは私にあんなに冷たい彼が画面の向こうからこんなにも温かい言葉をくれる。その矛盾がそのねじれた優しさが私の心をどうしようもなくかき乱すのだ。
なんとか配信を立て直しエンディングの挨拶をしようとしたまさにその時だった。
私のSNSに一件の通知が届いたことを配信画面が知らせた。それは私がフォローしているわけではない見知らぬアカウントからのメンションだった。
そのアカウント名は『ナイト』。
今VTuber界で最も勢いのある王子様キャラクターの男性VTuber。甘いルックスと紳士的な振る舞いで特に女性ファンからの絶大な支持を集めているまさにスターのような存在。
彼の投稿が私の配信画面に大きく映し出される。
『@Lulu_PinkAngel 今宵の配信、拝見しておりました。貴女のそのひたむきな姿、実に心を打たれます。もしよろしければ、いつかこの私と素敵なコラボレーションなどいかがでしょうか?』
その一文が表示された瞬間コメント欄は今日一番の爆発的な盛り上がりを見せた。
『ナイト様!?!?』
『え、あのナイト様がルルちゃんに!?』
『すごい! 神コラボ待ったなし!』
『ルルちゃん大出世じゃん!』
歓喜と興奮の渦。
私自身も何が起こったのかすぐには理解できなかった。あの雲の上の存在のようなナイト様が私にコラボの提案?
それは個人で細々と活動している私にとってありえないほどの大きなチャンスだった。
けれど。
私の目は歓喜に沸くコメント欄の中から必死に一つの名前を探していた。
セバスチャン。
彼の名前はどこにもなかった。
ナイト様が登場してから彼のコメントはぴたりと途絶えていた。
その沈黙がどんな雄弁な言葉よりも私の胸に重く冷たくのしかかってきた。
◇
その頃、相田カイは自室でモニターの光を浴びながら固まっていた。
部屋の壁にはルルのタペストリーが飾られ棚には彼女のアクリルスタンドが並んでいる。彼にとってこの部屋は唯一心安らげる聖域のはずだった。
しかし今その聖域は得体の知れない感情に侵食されようとしていた。
今日の彼女の配信は見ていてひどく胸が痛んだ。
声に力はなく笑顔はどこか張り付けたようにぎこちない。きっと昨日のキーホルダーのせいだ。自分が彼女を追い詰めてしまったのだ。
居ても立ってもいられず気づけばスパチャを送っていた。
『無理しなくていい』
それはファンとしての言葉であると同時に本城凪という一人の女性に向けたカイ自身の心の叫びだった。
彼女が自分の言葉で少しでも救われてくれればいい。そう願っていた。
だがその願いは突如現れた『王子様』によって無残にも打ち砕かれた。
ナイト。
カイもその名前は知っていた。最近急激に頭角を現してきた気に食わない男。その男が今自分の聖域に土足で踏み込んできたのだ。
『素敵なコラボレーションなどいかがでしょうか?』
そのキザな文面がカイの神経を逆撫でする。
ふざけるな。
お前は彼女の何を知っている。
彼女がどれだけ不器用でどれだけ一生懸命でどれだけ傷つきやすい人間かお前は何も知らないくせに。
腹の底から黒くどろりとした感情が込み上げてくる。
それは単なるファンとしての嫉妬心ではなかった。もっと生々しく個人的な独占欲。そして明確な敵意。
カイは無意識のうちに強く拳を握りしめていた。
モニターの光が彼の顔を青白く照らし出す。その瞳にはいつものクールな光はなくただ暗く燃えるような怒りの炎が宿っていた。
物語はまだ始まったばかりだ。
塩対応な同僚と画面越しの王子様。
そして突如現れたもう一人の王子様。
三人の想いが交錯する時この不器用な恋の歯車は否応なく大きく回り始める。
けれど私の心の中はかつてないほどの嵐が吹き荒れている。私はベッドの上に座り込み、手のひらにある小さなアクリルキーホルダーをただじっと見つめていた。
『るるぴょん』。
私が作った私だけのお守り。そして私の最大の秘密を知る唯一の証人。
カイくんの手のひらにこれを見つけた時の衝撃がまだ全身を痺れさせている。
『昨日お前が帰った後に見つけた』
彼の言葉が頭の中で何度も再生される。淀みなく滑らかで、だからこそあまりにも不自然な嘘。もし本当に昨日見つけたのならなぜ今日まで黙っていたのだろう。なぜあんなにも苦しそうな罪悪感に満ちた顔をしていたのだろう。
答えは一つしかない。
彼は知っている。私が『ルル』だということを。
その事実はこれまで感じてきた「バレたらどうしよう」という漠然とした恐怖とは全く質の違う鋭利な恐怖を私の胸に突き立てた。
彼はいつから?
どこまで知っているの?
そして何より秘密を知った上で彼は私のことをどう思っているのだろう。
軽蔑している? それとも哀れんでいる? カフェで失敗ばかりしている要領の悪い女が画面の向こうで人気者ぶっている様を彼はどんな気持ちで見ていたのだろう。考えれば考えるほど思考は暗い沼の底へと沈んでいくようだった。
それでも配信の時間は容赦なくやってくる。
重い体を引きずるようにして私はパソコンの前に座った。マイクをセットし配信ソフトを立ち上げる。画面に映るピンク色の髪の元気な女の子。
『ルル』。
もう一人の私。私の理想の姿。
けれど今夜は画面の中の彼女とここにいる私の間にひどく大きな隔たりがあるように感じられた。まるで分厚いガラスを一枚隔てているみたいに彼女の笑顔がひどく遠い。
『みんなー、こんばんるるー!』
絞り出した声は自分でも驚くほどか細く力ないものだった。
それでもコメント欄はいつもと変わらない温かい言葉で溢れていく。
『るるちゃん、待ってた!』
『今日も可愛いよ!』
その優しさが今はガラスの破片のように私の胸に突き刺さる。ごめんなさい。みんなが応援してくれているルルは今ここにいない。ここにいるのはただの臆病でちっぽけな本城凪なのに。
私は必死で笑顔の仮面を貼り付けた。雑談をしながらリスナーから届いたお便りを読んでいく。けれど言葉は上滑りし相槌はどこか空虚に響いた。
そんな私の異変に聡いリスナーたちはすぐに気づき始める。
『るるちゃん、元気ない?』
『なんか声に力がないような……』
『疲れてるなら無理しないでね』
心配してくれるコメントが私の心をさらに締め付ける。違う。違うの。みんなに心配をかけたいわけじゃない。
どうしよう。このままじゃ配信を続けられないかもしれない。
涙がじわりと目の縁に滲んだその時だった。
ひときわ目立つ赤い通知が画面に表示された。
【セバスチャンさんが、10,000円のSuper Chatを送信しました】
彼の名前。
私の心臓が大きく跳ねた。今一番会いたくて一番会いたくない人。
スパチャに添えられたメッセージがゆっくりと画面に表示される。
『無理しなくていい。君がどんな状態でも、俺たちはここにいるから』
それはいつものような情熱的な愛の言葉ではなかった。
ただ静かで穏やかで全てを受け入れるような優しい言葉。
その言葉はVTuberのルルにではなく、まるで今画面の前で泣きそうになっている本城凪に直接語りかけているかのようだった。
ああ、やっぱり。
彼は知っているんだ。
私のことも私の今の気持ちも全部。
その優しさが私の心の最後のダムを決壊させた。
「……っ、ひぐ……」
堪えきれず嗚咽が漏れた。私は慌ててマイクのミュートボタンを押す。けれどもう遅い。コメント欄は私の嗚咽を聞きつけたリスナーたちの驚きと心配の言葉で埋め尽くされていた。
「ごめ、なさ……っ。ちょっと嬉しくて……」
涙声で必死に言い訳をする。リスナーの優しさに感動して泣いてしまったということにするしかない。セバスチャンさんのスパチャがあまりに嬉しくてと。
それは嘘ではなかった。けれど本当の理由とはあまりにも違っていた。
リアルでは私にあんなに冷たい彼が画面の向こうからこんなにも温かい言葉をくれる。その矛盾がそのねじれた優しさが私の心をどうしようもなくかき乱すのだ。
なんとか配信を立て直しエンディングの挨拶をしようとしたまさにその時だった。
私のSNSに一件の通知が届いたことを配信画面が知らせた。それは私がフォローしているわけではない見知らぬアカウントからのメンションだった。
そのアカウント名は『ナイト』。
今VTuber界で最も勢いのある王子様キャラクターの男性VTuber。甘いルックスと紳士的な振る舞いで特に女性ファンからの絶大な支持を集めているまさにスターのような存在。
彼の投稿が私の配信画面に大きく映し出される。
『@Lulu_PinkAngel 今宵の配信、拝見しておりました。貴女のそのひたむきな姿、実に心を打たれます。もしよろしければ、いつかこの私と素敵なコラボレーションなどいかがでしょうか?』
その一文が表示された瞬間コメント欄は今日一番の爆発的な盛り上がりを見せた。
『ナイト様!?!?』
『え、あのナイト様がルルちゃんに!?』
『すごい! 神コラボ待ったなし!』
『ルルちゃん大出世じゃん!』
歓喜と興奮の渦。
私自身も何が起こったのかすぐには理解できなかった。あの雲の上の存在のようなナイト様が私にコラボの提案?
それは個人で細々と活動している私にとってありえないほどの大きなチャンスだった。
けれど。
私の目は歓喜に沸くコメント欄の中から必死に一つの名前を探していた。
セバスチャン。
彼の名前はどこにもなかった。
ナイト様が登場してから彼のコメントはぴたりと途絶えていた。
その沈黙がどんな雄弁な言葉よりも私の胸に重く冷たくのしかかってきた。
◇
その頃、相田カイは自室でモニターの光を浴びながら固まっていた。
部屋の壁にはルルのタペストリーが飾られ棚には彼女のアクリルスタンドが並んでいる。彼にとってこの部屋は唯一心安らげる聖域のはずだった。
しかし今その聖域は得体の知れない感情に侵食されようとしていた。
今日の彼女の配信は見ていてひどく胸が痛んだ。
声に力はなく笑顔はどこか張り付けたようにぎこちない。きっと昨日のキーホルダーのせいだ。自分が彼女を追い詰めてしまったのだ。
居ても立ってもいられず気づけばスパチャを送っていた。
『無理しなくていい』
それはファンとしての言葉であると同時に本城凪という一人の女性に向けたカイ自身の心の叫びだった。
彼女が自分の言葉で少しでも救われてくれればいい。そう願っていた。
だがその願いは突如現れた『王子様』によって無残にも打ち砕かれた。
ナイト。
カイもその名前は知っていた。最近急激に頭角を現してきた気に食わない男。その男が今自分の聖域に土足で踏み込んできたのだ。
『素敵なコラボレーションなどいかがでしょうか?』
そのキザな文面がカイの神経を逆撫でする。
ふざけるな。
お前は彼女の何を知っている。
彼女がどれだけ不器用でどれだけ一生懸命でどれだけ傷つきやすい人間かお前は何も知らないくせに。
腹の底から黒くどろりとした感情が込み上げてくる。
それは単なるファンとしての嫉妬心ではなかった。もっと生々しく個人的な独占欲。そして明確な敵意。
カイは無意識のうちに強く拳を握りしめていた。
モニターの光が彼の顔を青白く照らし出す。その瞳にはいつものクールな光はなくただ暗く燃えるような怒りの炎が宿っていた。
物語はまだ始まったばかりだ。
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