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第8話 沈黙の理由と、すれ違う想い
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あの嵐のような配信が終わった後、私の部屋の本当の嵐はそこから始まった。
鳴り止まないスマートフォンの通知音。画面を埋め尽くすのは人気VTuber『ナイト』からのコラボ提案に対する世間の熱狂だった。SNSのトレンドには『#ルルナイトコラボ』というタグが躍り出て、私のフォロワー数は一晩で数千人も増えていた。
それは個人で活動するVTuberとして夢のような出来事。シンデレラストーリーの始まり。本来なら手放しで喜ぶべきことなのだろう。
けれど私の心はどんよりとした厚い雲に覆われたまま少しも晴れることはなかった。
ベッドの上で膝を抱え夜が明けるのを待った。
窓の外が白み始め鳥のさえずりが聞こえてきても私の思考は暗い迷路を彷徨い続けている。
嬉しい。チャンスを掴みたい。もっとたくさんの人にルルを知ってほしい。その気持ちに嘘はない。
でもその一方で私の心はたった一人のリスナーの沈黙に強く囚われていた。
セバスチャンさん。
ナイト様がコメントを寄せてから彼の名前は一度もコメント欄に現れなかった。まるで最初からそこにいなかったかのように綺麗さっぱりと姿を消してしまった。
あの優しい言葉を最後に。
(怒らせてしまったのかな……)
他の男性VTuberからのアプローチを私が喜んでいるように見えたのかもしれない。彼がくれた温かい言葉よりも世間からの注目に浮かれているように映ったのかもしれない。
違う。そうじゃないのに。
あなたの言葉が何よりも嬉しかったのに。
画面の向こうの顔も知らない彼にどうすればこの気持ちが伝わるのだろう。いやそもそも彼は本当に顔も知らない相手なのだろうか。
私の脳裏にバイト先の同僚の冷たい横顔が浮かぶ。
カイくん。
もし彼がセバスチャンさんだとしたら。彼は今どんな気持ちでいるのだろう。
重い体を引きずって私はカフェ『夕凪』へと向かった。
ドアを開ける前から胸が苦しい。今日彼にどんな顔をして会えばいいのか全く分からなかった。
「……おはようございます」
店に入るとカウンターの中でカイくんが黙々とエスプレッソマシンを磨いていた。布を持つその手つきはいつも以上に力強くどこか苛立ちを帯びているように見える。
「……はよ」
彼は私の方を見ようともしない。返ってきた声は地面を這うように低く温度がなかった。昨日までのほんの少しだけ和らいでいた空気は完全に消え去っている。そこにあったのは以前よりもさらに分厚く冷たい氷の壁だった。
私は息を詰まらせながらバックヤードへと逃げ込んだ。エプロンの紐を結ぶ指先が小さく震えている。
その日のカフェの空気はまるで嵐の前の静けさのようだった。
客のいない時間帯、私とカイくんはそれぞれ別の作業に没頭し互いに一言も口を利かない。ただ彼の存在が、彼の不機嫌なオーラがじりじりと私の肌を焼く。彼は私がナイト様からの提案をどうするのか試しているのだろうか。それとももう私への興味など完全に失ってしまったのだろうか。
ランチタイムの喧騒が少しだけ私たちの間の緊張を和らげてくれた。
次々と入る注文を捌くのに必死で余計なことを考える余裕はなかった。私がホールを駆け回り彼がキッチンで調理やドリンクの準備をする。その連携は不思議なほどスムーズだった。言葉を交わさなくてもお互いが次に何をするべきか分かっているかのように。
そのことがほんの少しだけ私の心を慰めた。
ピークが過ぎ店内に再び穏やかな時間が戻ってきた頃。
私が空いたグラスを下げているとカウンター席に座っていた女性客二人の会話が耳に飛び込んできた。
「ねえ、昨日のナイト様の配信見た? ルルちゃんって子にコラボ申し込んでたやつ」
「見た見た! すごいよね! ルルちゃん一気に有名人じゃん」
びくりと私の肩が跳ねた。心臓が嫌な音を立てる。
私は気づかれないように平静を装って作業を続けた。けれど耳は彼女たちの会話を一言も聞き漏らすまいとそばだてられていた。
「でもさあ、ナイト様のファン的にはちょっと複雑じゃない? あんなぽっと出の子とコラボなんて」
「分かるー。相手誰でもよかったんじゃないのって感じ。話題作りでしょ、どうせ」
その言葉は鋭い棘となって私の胸に突き刺さった。
分かっている。私とナイト様では格が違いすぎる。彼が私を選んだのは気まぐれかあるいは何か別の意図があるのかもしれない。世間の注目は好意的なものばかりではない。嫉妬やっかみも当然含まれている。
俯いて唇を噛み締める私に不意に低い声がかけられた。
「……本城さん。手が止まってる」
顔を上げるとカイくんが氷のように冷たい瞳で私を見下ろしていた。
彼の視線は私の心を貫いてその奥にある弱さや不安を全て見透かしているかのようだった。
「……すみません」
私は逃げるようにその場を離れた。
彼のあの目は何を意味していたのだろう。女性客たちの会話に同調していたのだろうか。「お前なんかが調子に乗るな」とそう言いたかったのだろうか。
違う。
そうじゃないと信じたい。
だって彼はセバスチャンさんなんだから。
誰よりも私のことを応援してくれていたはずだから。
信じたい気持ちと目の前の現実が私の心の中で激しくぶつかり合う。
◇
その頃カイはバックヤードの壁に寄りかかり静かに目を閉じていた。
腹の底で黒い炎がまだ燻り続けている。
さっきの女性客たちの会話。そしてその言葉に傷つき分かりやすく落ち込む本城凪の姿。
(……だから言わんこっちゃない)
心の中で悪態をつく。
ナイトのような陽の当たる場所を歩く人間に彼女が関わればこうなることは目に見えていた。彼女は自分が思っているよりもずっと繊細で脆い。心無い言葉の礫に簡単に傷ついてしまう。
守ってやりたい。
そう思う。
けれど自分にはその資格がない。
リアルな世界の相田カイは彼女に冷たく当たることしかできないただの同僚だ。
ネットの世界のセバスチャンは彼女の熱狂的なファンの一人でしかない。彼女の隣に立つ権利などどこにもない。
ナイトは違う。彼は堂々と彼女の隣に立つことができる。
その事実がカイをどうしようもなく苛立たせた。
「……ちっ」
小さく舌打ちをして彼は目を開けた。
こんなところでうじうじしていても何も始まらない。
彼女がコラボを受けるのか断るのか。それは彼女自身が決めることだ。
だがもし受けるのだとしたら。
もし彼女があの気に食わない王子様の隣に立つことを選ぶのだとしたら。
その時自分はどうするべきなのか。
ファンとしてセバスチャンとして彼女の成功を笑顔で祝福できるのか。
それとも――。
◇
バイトが終わり私はとぼとぼと夜道を歩いていた。
今日の出来事が頭の中をぐるぐると巡る。カイくんの冷たい視線、女性客たちの辛辣な言葉、そしてナイト様からの甘い誘い。
もうどうしたらいいのか分からなかった。
アパートのドアを開け電気もつけずにベッドに倒れ込む。
いっそ全部やめてしまおうか。
VTuberなんてもうやめてしまえばこんなに苦しい思いをしなくて済むのかもしれない。
そんな弱音が心を支配しかけたその時だった。
枕元のスマートフォンがぶぅと震えた。
それはSNSのダイレクトメッセージの通知だった。
送り主は『ナイト』。
『ルルさん。先日は突然の申し出、失礼いたしました。驚かせてしまったことでしょう。もしご迷惑でなければ一度詳しいお話をさせていただけませんか?』
丁寧で紳士的な文章。
断る理由がどこにも見つからない。
これはチャンスなんだ。私が前に進むための。
私は震える指でスマートフォンの画面をタップした。
返信画面を開きゆっくりと文字を打ち込んでいく。
もう迷ってはいられない。
私は私自身の足で立たなければならないのだから。
鳴り止まないスマートフォンの通知音。画面を埋め尽くすのは人気VTuber『ナイト』からのコラボ提案に対する世間の熱狂だった。SNSのトレンドには『#ルルナイトコラボ』というタグが躍り出て、私のフォロワー数は一晩で数千人も増えていた。
それは個人で活動するVTuberとして夢のような出来事。シンデレラストーリーの始まり。本来なら手放しで喜ぶべきことなのだろう。
けれど私の心はどんよりとした厚い雲に覆われたまま少しも晴れることはなかった。
ベッドの上で膝を抱え夜が明けるのを待った。
窓の外が白み始め鳥のさえずりが聞こえてきても私の思考は暗い迷路を彷徨い続けている。
嬉しい。チャンスを掴みたい。もっとたくさんの人にルルを知ってほしい。その気持ちに嘘はない。
でもその一方で私の心はたった一人のリスナーの沈黙に強く囚われていた。
セバスチャンさん。
ナイト様がコメントを寄せてから彼の名前は一度もコメント欄に現れなかった。まるで最初からそこにいなかったかのように綺麗さっぱりと姿を消してしまった。
あの優しい言葉を最後に。
(怒らせてしまったのかな……)
他の男性VTuberからのアプローチを私が喜んでいるように見えたのかもしれない。彼がくれた温かい言葉よりも世間からの注目に浮かれているように映ったのかもしれない。
違う。そうじゃないのに。
あなたの言葉が何よりも嬉しかったのに。
画面の向こうの顔も知らない彼にどうすればこの気持ちが伝わるのだろう。いやそもそも彼は本当に顔も知らない相手なのだろうか。
私の脳裏にバイト先の同僚の冷たい横顔が浮かぶ。
カイくん。
もし彼がセバスチャンさんだとしたら。彼は今どんな気持ちでいるのだろう。
重い体を引きずって私はカフェ『夕凪』へと向かった。
ドアを開ける前から胸が苦しい。今日彼にどんな顔をして会えばいいのか全く分からなかった。
「……おはようございます」
店に入るとカウンターの中でカイくんが黙々とエスプレッソマシンを磨いていた。布を持つその手つきはいつも以上に力強くどこか苛立ちを帯びているように見える。
「……はよ」
彼は私の方を見ようともしない。返ってきた声は地面を這うように低く温度がなかった。昨日までのほんの少しだけ和らいでいた空気は完全に消え去っている。そこにあったのは以前よりもさらに分厚く冷たい氷の壁だった。
私は息を詰まらせながらバックヤードへと逃げ込んだ。エプロンの紐を結ぶ指先が小さく震えている。
その日のカフェの空気はまるで嵐の前の静けさのようだった。
客のいない時間帯、私とカイくんはそれぞれ別の作業に没頭し互いに一言も口を利かない。ただ彼の存在が、彼の不機嫌なオーラがじりじりと私の肌を焼く。彼は私がナイト様からの提案をどうするのか試しているのだろうか。それとももう私への興味など完全に失ってしまったのだろうか。
ランチタイムの喧騒が少しだけ私たちの間の緊張を和らげてくれた。
次々と入る注文を捌くのに必死で余計なことを考える余裕はなかった。私がホールを駆け回り彼がキッチンで調理やドリンクの準備をする。その連携は不思議なほどスムーズだった。言葉を交わさなくてもお互いが次に何をするべきか分かっているかのように。
そのことがほんの少しだけ私の心を慰めた。
ピークが過ぎ店内に再び穏やかな時間が戻ってきた頃。
私が空いたグラスを下げているとカウンター席に座っていた女性客二人の会話が耳に飛び込んできた。
「ねえ、昨日のナイト様の配信見た? ルルちゃんって子にコラボ申し込んでたやつ」
「見た見た! すごいよね! ルルちゃん一気に有名人じゃん」
びくりと私の肩が跳ねた。心臓が嫌な音を立てる。
私は気づかれないように平静を装って作業を続けた。けれど耳は彼女たちの会話を一言も聞き漏らすまいとそばだてられていた。
「でもさあ、ナイト様のファン的にはちょっと複雑じゃない? あんなぽっと出の子とコラボなんて」
「分かるー。相手誰でもよかったんじゃないのって感じ。話題作りでしょ、どうせ」
その言葉は鋭い棘となって私の胸に突き刺さった。
分かっている。私とナイト様では格が違いすぎる。彼が私を選んだのは気まぐれかあるいは何か別の意図があるのかもしれない。世間の注目は好意的なものばかりではない。嫉妬やっかみも当然含まれている。
俯いて唇を噛み締める私に不意に低い声がかけられた。
「……本城さん。手が止まってる」
顔を上げるとカイくんが氷のように冷たい瞳で私を見下ろしていた。
彼の視線は私の心を貫いてその奥にある弱さや不安を全て見透かしているかのようだった。
「……すみません」
私は逃げるようにその場を離れた。
彼のあの目は何を意味していたのだろう。女性客たちの会話に同調していたのだろうか。「お前なんかが調子に乗るな」とそう言いたかったのだろうか。
違う。
そうじゃないと信じたい。
だって彼はセバスチャンさんなんだから。
誰よりも私のことを応援してくれていたはずだから。
信じたい気持ちと目の前の現実が私の心の中で激しくぶつかり合う。
◇
その頃カイはバックヤードの壁に寄りかかり静かに目を閉じていた。
腹の底で黒い炎がまだ燻り続けている。
さっきの女性客たちの会話。そしてその言葉に傷つき分かりやすく落ち込む本城凪の姿。
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ナイトは違う。彼は堂々と彼女の隣に立つことができる。
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その時自分はどうするべきなのか。
ファンとしてセバスチャンとして彼女の成功を笑顔で祝福できるのか。
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