『【スパチャ感謝】バイト先の塩対応な彼が、私の正体を知らずにガチ恋してくる件』

みぃた

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第10話 決意の朝と、宣戦布告の棘

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ナイト様との密会を終えた翌朝。私はほとんど眠れないまま窓の外が白んでいくのを眺めていた。
彼の声がまだ耳の奥に残っている。甘く優しくそしてどこまでも紳士的だった声。彼が提案してくれた企画はどれも魅力的で私の胸はVTuberとしての未来への期待に確かに高鳴っていた。
けれどその高揚感はまるで薄い氷の上を歩いているような危うさを伴っていた。氷の下には暗く冷たい水が渦を巻いている。その正体は分かっている。
セバスチャンさんへの罪悪感だ。

私はスマートフォンの画面を開いた。そこにはナイト様とのコラボを正式に発表するかどうか迷ったままの書きかけの文章が保存されている。
これを投稿すればもう後戻りはできない。
セバスチャンさんはどう思うだろう。私のことを応援してくれなくなるかもしれない。彼だけじゃない。古くからのファンの中には今回のコラボを快く思わない人もきっといるはずだ。
それでも。
私は画面の中の『投稿』ボタンを強く押した。
指先が小さく震える。
これは私の決意表明だ。VTuber『ルル』としてもっと高みを目指すための。そしていつか画面の向こうの誰かや現実世界の誰かに幻滅されることのない強い自分になるための第一歩なのだから。

投稿した瞬間から私のSNSはお祭り騒ぎになった。
祝福のコメント。期待の声。そしてナイト様のファンからの温かい歓迎のメッセージ。その熱狂の中に私の不安は少しだけ紛れていくようだった。
私はその喧騒から目を逸らすようにスマートフォンの電源を落としバイトへ向かう準備を始めた。



その頃、相田カイの部屋ではスマートフォンの青白い光が彼の怒りに歪んだ顔を冷たく照らし出していた。
画面にはルルの今しがた投稿されたばかりのコラボ決定の告知。そしてそれに付随する数えきれないほどの歓喜のコメント。

『ルルちゃん、おめでとう!』
『ナイト様とのコラボ、楽しみすぎる!』
『神回、確定!』

その一つ一つの言葉がカイの心を鋭いナイフで何度も何度も切り刻んでいく。
決めたのか。
あいつの隣に立つことを。
俺の気持ちなど知る由もなく。俺がどんな思いで昨夜を過ごしたのかも知らずに。
腹の底から黒いマグマのようなどうしようもない感情がせり上がってくる。嫉妬。怒り。そして無力な自分への激しい嫌悪。
ファンとして彼女の成功を喜ぶべきだ。頭ではそう理解している。けれど心が体がそれを完全に拒絶していた。
彼女はもう遠い場所へ行ってしまう。
自分が必死に手を伸ばしても決して届かないそんな場所へ。
あの気に食わない王子様と一緒に。

「……ふざけるな」

低い呻き声が部屋の空気を震わせた。
カイはベッドから勢いよく起き上がると壁に飾ってあったルルのタペストリーを衝動的に引き剥がした。
そしてそれを床に叩きつける。
けれどそんなことをしても胸の痛みは少しも和らぐことはなかった。むしろ虚しさがさらに心を蝕んでいくだけだ。
彼は床に散らばったタペストリーをただ呆然と見下ろしていた。
自分の聖域が自分の手によって壊されていく。
もうどうすればいいのか分からなかった。



カフェ『夕凪』のドアを開けた瞬間、私は空気が昨日とは比べ物にならないほど凍てついているのを感じた。
カイくんはカウンターの中で無言でグラスを磨いている。その横顔はまるで能面のように一切の感情を読み取ることができない。けれど彼が全身から猛烈な拒絶のオーラを放っていることだけは痛いほどに伝わってきた。

「おはよう、ございます……」

私の挨拶は彼の作り出す分厚い氷の壁に吸い込まれて消えた。
彼は私を一瞥だにしない。まるで私がそこに存在しないかのように。
私は息を殺してバックヤードへと向かった。今日一日は嵐の中で船を漕ぐような過酷な時間になるだろう。そう覚悟を決めた。

その予感は的中した。
カイくんは私を徹底的に無視した。
業務上どうしても必要な時以外彼は私に一切言葉をかけない。私が話しかけても返ってくるのは壁のような沈黙かあるいは「ああ」「いや」という単語にすらならない短い音だけ。
彼の態度は私から少しずつ体温を奪っていく。手足の先からゆっくりと凍えていくような感覚。
ランチタイムの忙しさだけが唯一の救いだった。体を動かしている間は余計なことを考えずに済む。
けれどそのピークが過ぎ去った時事件は起こった。

「……本城さん」

不意に彼が私の名前を呼んだ。
私が驚いて顔を上げると彼は氷のように冷たい目で私を見つめていた。

「今日のシフトはちゃんと頭に入っているのか。他に考えることがたくさんあるみたいだが」

その言葉は静かだった。けれどその静けさこそが彼の底知れない怒りを物語っていた。それは単なる嫌味や皮肉ではない。明確な棘を持った悪意の言葉だった。
私がナイト様とのコラボにうつつを抜かしているとそう言いたいのだ。

「……っ、そんなことは……!」

ありません、と続けようとした言葉は彼の射抜くような視線に遮られた。
唇が震える。
違う。違うのに。
私はただ必死なだけなのに。
彼の言葉は私の心の一番柔らかい場所を的確に抉った。
足元がぐらりと揺らぐ。
私は何か別の言葉を探そうと必死に頭を回転させた。けれどパニックに陥った思考は空回りするばかりだ。

その時だった。
常連客の田中様が会計のためにレジの前に立った。
私は深呼吸をして無理やり笑顔の仮面を貼り付けレジへと向かう。
「田中様いつもありがとうございます。……ええと三千二百円になります」
「はい、じゃあこれで」
田中様が五千円札を差し出す。私はそれを受け取りレジを開けた。
お釣りは千八百円。
頭では分かっている。分かっているのに指が震えてうまく動かない。カイくんの言葉と視線が私の思考を麻痺させていく。
私は千円札と五百円玉そして百円玉三枚を取り出した。
それを田中様の手に渡そうとした瞬間。

カシャンと硬い音が床に響いた。
私の手から百円玉が数枚滑り落ちたのだ。
コロコロと無機質な音を立てて転がっていく銀色の硬貨。

「……あ……」

私の頭は真っ白になった。
やってしまった。お客様の前でなんてみっともない。
「すみません! すぐに拾います!」
私は慌ててカウンターの下に屈み込もうとした。
その腕を強い力で誰かが掴んだ。

「……いい」

低い地を這うような声。
カイくんだった。
彼は私の腕を掴んだままもう片方の手で素早くレジから新しい百円玉を取り出した。そして完璧な笑顔で田中様に向き直る。

「大変失礼いたしました。お釣り千八百円でございます。こちらのサービス券よろしければ次回お使いください」

その対応はあまりにも完璧だった。
田中様は少し驚いた顔をしたがすぐにお釣りとサービス券を受け取るとにこやかに店を出て行った。
嵐が過ぎ去る。
そして店内に再び私と彼だけの静寂が訪れた。
彼はゆっくりと私から手を離した。

「……バックヤード行け」

その声は怒りとも悲しみともつかない奇妙な響きをしていた。

「お前はもう何もしなくていい」

それは紛れもない拒絶の言葉だった。
けれどなぜだろう。その言葉の奥にほんの僅かだが私をこの気まずい状況から守ろうとするような不器用な優しさを感じてしまった。
私は何も言えずにただ彼の言葉に従うしかなかった。
バックヤードへの扉がこんなにも重く感じたことは今までになかった。
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