この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜

氷雨そら

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初恋と帰る場所

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「――――悪いが、妹は連れて帰る」

 ルナシェを抱き上げるベリアスを冷たく見つめて、アベルが口を開いた。
 確かに、婚約式に来なかった時点で、ルナシェをないがしろにしないという、婚約締結の約束に背いているのだ。

 もちろん、王国のために戦っていたベリアスに、そんな理由で婚約解消を突きつければ、ミンティア辺境伯家への王国全土からの批判は免れないが。
 妹を溺愛する兄であれば、それくらいはやりかねない。

 事実、アベルの表情には迷いがない。
 きっと、前回の人生でも、ルナシェが自分の思いを伝えていれば、願いを口にしていれば、叶えるための力をアベルは貸してくれただろう。

(ベリアス様が帰ってくれば、幸せに過ごせると信じていたの……)

 ルナシェは、婚約式にベリアスが現れなくても、三ヶ月も放置されても、たった三日間しか一緒に過ごすことができなくても、その先には幸せが待っていると信じていた。
 実際、ともにすごした短い時間、どこまでもベリアスはルナシェに甘くて、優しかった。

 ――――政略結婚をする婚約への、義務感からだけだとは、思えないほどに。

(政略結婚する相手に、あれだけ尽くしてくれるベリアス様は、本当に誠実だわ)

 ルナシェは、実は婚約する前からベリアスのことを知っている。
 知っているというよりも、ルナシェの淡くて幼い初恋の相手はベリアスだ。

「――――お兄様」
「帰ろう? ルナシェ」
「嫌です…………。私は、愛する婚約者と少しでも一緒にいたいので、この地に残ります」

 室内に沈黙が訪れる。それはそうだろう。あの日、やり直していることを理解したルナシェ。

 それ以前のルナシェは、自分の気持ちよりも王国や、辺境伯領をいつも優先させていた。
 貴族の責務に忠実であれと、自分を律してきた。

 その時、拭き切れていないベリアスの髪の毛から、ルナシェの頬にしずくが垂れた。
 抱き上げられたまま、顔を上げたルナシェは、ベリアスの柔らかな緑色の瞳が、予想外の出来事に驚きを隠せないくらい見開いているのを見た。

「…………ルナシェ。この場所は、危険だ。ルナシェなら理解できるはずだ。……ベリアス殿の足かせになってはいけない」
「――――お兄様」

 確かに、ルナシェには、戦う力がない。
 この場所が攻められたときに、ルナシェが人質にでもなってしまったら、ベリアスの足を引っ張るどころの騒ぎではない。

(それくらい、分かっている。それでも、私はベリアス様に生きていてほしいの)

 ルナシェが、ベリアスとの婚約を解消せずに、この人生を送る理由なんて、それしかない。

 婚約を解消して、ベリアスから離れれば、ルナシェが断頭台で命を落とすことなんてない。
 それでも、そばにいることを決めた。ルナシェだって、命がけだ。

「明日の朝まで……」
「――――ベリアス様?」

 ベリアスが口を開く。先ほどの驚きは隠されて、ベリアスはまっすぐにルナシェを見つめている。

「アベル殿。申し訳ないのですが、ルナシェは、明朝お返しいたします。それまで、お待ちいただけますか?」
「…………ベリアス殿、一発殴らせてもらってもいいか?」
「どうぞご自由に」

 ルナシェは知らない。ここに来るまでに、すでにベリアスが、副団長ジアスに肩をたたかれ、商人のガストに水を頭から掛けられていることなんて。

 そして、実際にベリアスを殴ったりしないアベル。けれど、その目はベリアスを射殺しそうだ。

「本当に、かわいい妹を嫁に出すだけでも気に入らないのに……。食えない男だ」

 それだけ言い残して、アベルは二人に背を向けた。
 抱き上げられたままのルナシェは、その背中を追いかけることはできない。

「――――ルナシェ」

 びしょ濡れのままのベリアスが、ルナシェを抱きしめる。
 ルナシェの茶色のワンピースが、水分を吸い込んでいく。すでにベリアスの体温で温められているせいか、冷たさは感じない。

「帰ろうか」
「…………はい。…………ところで、自分で歩けますよ?」
「…………はは」

 ベリアスの表情は、穏やかなままだ。
 少し影が差す目元。やつれてしまったようにも見える。
 ベリアスの口元から漏れた乾いた笑いと、抱き上げている腕の力が、逃すまいとでも言うように強められたことで、ルナシェは下ろしてもらうのは無理そうだ、と理解した。
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