27 / 67
鍵と信頼
しおりを挟む袖を通したドレス。そこから香るのは、この日のために抽出した、小さな花のアロマオイル。
こんなにも、甘く華やかな香りは、特別な方法でしか手に入らない。
ルナシェは、ミンティア辺境伯家令嬢として、第一騎士団長ベリアス・シェンディアの婚約者として、そしてシェンディア侯爵家の次期当主の妻として、社交界の中でその立ち位置を明確にしつつあった。
ミンティア辺境伯家の立ち位置は、王国の中でも特別だ。
王国を守る盾であり、それでいて自治権が認められ、王家に反旗を翻すことができる唯一の家門でもある。
だからこそ、以前の人生では、兄アベルやベリアスは、ルナシェが社交界に出ることを望んでいなかった。
けれど、今は違う。
ベリアスと生きていくためには、ルナシェにも力が必要なのだ。
シェンディア侯爵家主催の夜会へと向かうルナシェのドレスは、スカートの裾全体が広がったデザインが、王都の流行だが、ルナシェが身につけるドレスは、腰の後ろにボリュームを持たせている。
白銀の髪の毛は、少しだけ編み込まれ、残りの髪は巻いて流されている。
飾り付けられたレースや宝石は、辺境伯領が誇る品だ。
王族さえも用意することができない品々が、ルナシェの可憐な美貌と組み合わさると、神々しさまで感じるほどだ。
「姫様……。お美しいです」
振り返ったルナシェを満足げに見つめているのは、そのすべてを取りそろえた糸目の商人、ガストだ。
「ガスト、何から何まで……」
「いいえ、先日のお釣りでまかなっていますので。それに、新たな商品の仕入れ先をご紹介いただきましたこと、感謝の言葉もありません。……今後も何卒、よしなに」
「――――頼りにしています」
あの日、婚約破棄をするといって、辺境の北端に向かったルナシェ。
まるで、朝露をまとったつぼみのようだったルナシェは、日に日に大輪のバラのように輝いていく。
それは恐らく、ルナシェが元々持っていた素質なのだろう。
(それにしても、度々出てくるお釣りとは?)
もうすでに、ちょっとした貴族の宝物庫にあるくらいの金額は使っているような気がするルナシェ。
けれど、それでもなぜかガストは、お釣りでまかなっていると言って聞いてくれない。
「ですが、ドレスと同じくらい、当会の従業員の服がお似合いになりますよね……」
「ふふ。また着るわ?」
商品を仕入れる際、辺境伯次期当主のサインと紹介状を携えたガスト。
その後ろには、従業員の制服に身を包んだルナシェがいた。そして、ガストの商会にいた黒い髪と瞳の男が、いつも二人の後ろに控えていた。
「――――そうですか。そのときには、ご一緒させてください。お一人で行動してはいけませんよ? ……それから、グレインを雇っていただきありがとうございます」
「分かっているわ。……それにしても、グレインは、本当に優秀ね? 何でもできるのに、我が家の執事として雇ってしまうなんて、ガストにとって大きな損失だったのではなくて?」
ガストは顔を上げる。
ルナシェの後ろには、背が高い黒い瞳と髪をした青年が立っている。
「…………時々、気配がなくて驚くのだけれど」
ガストからしても、グレインがルナシェの護衛につきたいと言ってきたのは予想外だった。
ガストの配下であっても、完全に御することができない存在、それがグレインという男だ。
恐らく闇夜であれば、ベリアス・シェンディアですら敵わないかもしれない。
彼は、不思議な術を使う。そして、辺境伯領東方の出身だという。
「――――姫様こそ、よく出身も不明な者を受け入れる気になりましたね」
「……ガストのお墨付きだもの。それに、誰が敵か分からない私のそばにいてくれる貴重な人材よ」
「……もし、グレインが」
その言葉は、続けられることがなかった。
グレインが、口を開いたから。
「……さあ、姫様。参りましょう」
「そうね? お兄様も、お待ちだと思うわ」
シェンディア侯爵家からの、夜会の誘い。
ベリアスは、ルナシェの兄アベルに、シェンディア侯爵家と関わらないように告げていたという。
(でも、逃げたりしない。……ベリアス様と私が、不仲だなんてこと、誰にも疑わせたりしない)
すでに、深窓の令嬢がが婚約式の後に、婚約者に会うためだけに、命がけの旅路を経て再会をするという感動の物語は、舞台化されて王都で話題を独占している。
「ねぇ……ガスト。でも、私はあんなこと言わないわ? ベリアス様も」
「――――物語というのは、少し過激な方がいいのですよ。それに、シェンディア卿に関しては、心の声はあんな感じでしょう」
「え?」
――――君のためであれば、すべての責務も、家も、この名すら惜しくはない。
(えぇ? 幾ら何でも、栄えある第一騎士団長、そして侯爵家と私なんて、比べるまでもないわ。……それに、騎士と貴族にとって命より大切な名を、誓うどころか、捨ててしまうなんて)
台本を読んだ瞬間、本当は大幅修正を掛けたかったのだが、興行としてはこれでいいのだと言われてしまえば、それ以上わがままを言うわけにもいかなかった。
「ああ、シェンディア卿にも、台本は送りつけておきましたから」
「えっ?」
「返事の代わりに、こちらが送られてきました」
少しだけ誇らしげにガストが見せてくれたのは、シェンディア侯爵家の紋章が入った、鍵のレプリカだった。
この鍵は、使うことができないただの飾りだ。それでいて、シェンディア侯爵家が管轄する領地のありとあらゆる場所に入ることを侯爵家が許可したことを表す品だ。
(本当に、ガストはベリアス様の信頼を得ているのね)
以前の人生では、ガストとの関わりは、ただドレスを注文したり、何かを用立ててもらう程度だった。もちろん、ベリアスとガストは面識すらなかったはずだ。
それが、ベリアスからは信頼の証とも言える鍵を与えられ、ルナシェとはほとんど毎日行動を共にしている。
おかげで、ルナシェは、自分の資産というものを手に入れつつあるし、いつも流行の最先端のドレスを宣伝のためと言っては着せてもらうことができている。
そんなことを思いながら、ルナシェが顔を見つめていたところ、何を考えているかいまいちよく分からない糸目のまま、ガストは軽く首をかしげた。
44
あなたにおすすめの小説
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い
腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。
お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。
当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。
彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
※表紙 AIアプリ作成
「結婚しよう」
まひる
恋愛
私はメルシャ。16歳。黒茶髪、赤茶の瞳。153㎝。マヌサワの貧乏農村出身。朝から夜まで食事処で働いていた特別特徴も特長もない女の子です。でもある日、無駄に見目の良い男性に求婚されました。何でしょうか、これ。
一人の男性との出会いを切っ掛けに、彼女を取り巻く世界が動き出します。様々な体験を経て、彼女達は何処へ辿り着くのでしょうか。
【完結】「君を愛することはない」と言われた公爵令嬢は思い出の夜を繰り返す
おのまとぺ
恋愛
「君を愛することはない!」
鳴り響く鐘の音の中で、三年の婚約期間の末に結ばれるはずだったマルクス様は高らかに宣言しました。隣には彼の義理の妹シシーがピッタリとくっついています。私は笑顔で「承知いたしました」と答え、ガラスの靴を脱ぎ捨てて、一目散に式場の扉へと走り出しました。
え?悲しくないのかですって?
そんなこと思うわけないじゃないですか。だって、私はこの三年間、一度たりとも彼を愛したことなどなかったのですから。私が本当に愛していたのはーーー
◇よくある婚約破棄
◇元サヤはないです
◇タグは増えたりします
◇薬物などの危険物が少し登場します
【完結】伯爵令嬢の格差婚約のお相手は、王太子殿下でした ~王太子と伯爵令嬢の、とある格差婚約の裏事情~
瀬里@SMARTOON8/31公開予定
恋愛
【HOTランキング7位ありがとうございます!】
ここ最近、ティント王国では「婚約破棄」前提の「格差婚約」が流行っている。
爵位に差がある家同士で結ばれ、正式な婚約者が決まるまでの期間、仮の婚約者を立てるという格差婚約は、破棄された令嬢には明るくない未来をもたらしていた。
伯爵令嬢であるサリアは、高すぎず低すぎない爵位と、背後で睨みをきかせる公爵家の伯父や優しい父に守られそんな風潮と自分とは縁がないものだと思っていた。
まさか、我が家に格差婚約を申し渡せるたった一つの家門――「王家」が婚約を申し込んでくるなど、思いもしなかったのだ。
婚約破棄された令嬢の未来は明るくはないが、この格差婚約で、サリアは、絶望よりもむしろ期待に胸を膨らませることとなる。なぜなら婚約破棄後であれば、許されるかもしれないのだ。
――「結婚をしない」という選択肢が。
格差婚約において一番大切なことは、周りには格差婚約だと悟らせない事。
努力家で優しい王太子殿下のために、二年後の婚約破棄を見据えて「お互いを想い合う婚約者」のお役目をはたすべく努力をするサリアだが、現実はそう甘くなくて――。
他のサイトでも公開してます。全12話です。
【完結】虐げられて自己肯定感を失った令嬢は、周囲からの愛を受け取れない
春風由実
恋愛
事情があって伯爵家で長く虐げられてきたオリヴィアは、公爵家に嫁ぐも、同じく虐げられる日々が続くものだと信じていた。
願わくば、公爵家では邪魔にならず、ひっそりと生かして貰えたら。
そんなオリヴィアの小さな願いを、夫となった公爵レオンは容赦なく打ち砕く。
※完結まで毎日1話更新します。最終話は2/15の投稿です。
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる