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幻獣と皇帝 4
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「――――それにしても、陛下はとてもお忙しいのね」
美しく着飾って、今日も私抜きに整えられていく畑や果樹園を窓から眺める。
本日用意されたのは、くるぶしが出る丈で、フワフワ裾が広がったドレスだ。
淡い水色のストライプと、軽やかなレースが、春の訪れのように可愛らしい。
「白すぎないかしら……」
けれど、白銀の髪に真っ白な肌をした私が着ると、全身白の分量が多いように思える。
まるで、幻獣のようだわ……。そう、このストライプ、ラーティスの瞳の色ではないかしら?
そんなことを思いながら、ラーティスの瞳をのぞき込む。
『ガウ!』
「あっ、ラーティス!?」
ペロペロと顔をなめられる感触はハッキリしているけれど、幻獣なのだから私の顔が汚れてしまう心配もない。
「――――陛下」
ラーティスの瞳をのぞき込めば、そこに映るのは陛下のお姿。
忙しそうだし、笑顔の欠片もなく、いつも寄せられている眉のしわも、心なしか深い。
目の下に隈があるように見受けられるし、どうしてあんなに書類の山に埋もれているの。
「こんなにお忙しいのに、会いに来てくださっていたのね」
そんなことを呟きながら、ラーティスを見つめる。
けれど、ラーティスがそばにいない今、陛下は移動魔法が使えないから、合間を縫って私に会いに来ることは叶わない。
「でも……。代償はあるのよね、きっと」
私の治癒魔法が、相手の苦痛を一時的にでも受け取ってしまうように、たぶん陛下の移動魔法にも代償はあるのだろう。
だから、これでいいのかもしれない……。
そんなことを思いながら、毎日暇さえあればラーティスとにらめっこしてしまう。
「ねえ、ビオラ。このまま二月のお茶会に参加すると、もれなくラーティスをお披露目してしまうことになるわよね?」
「……陛下とソリア様が、幻獣をお持ちであることは、秘匿されるべきだと思います」
「そうよね……」
ビオラには、私が幻獣を持っていることを話した。
『すでに存じていました……』
『え?』
『恐らく私の髪と瞳の色で察しておられたでしょうが、私は東方の生まれです』
『東方、お母様と同じ……』
これが、そのときの会話だ。
黒い髪と瞳は、不吉であるとされている。
そういえば、ザード様は、そういったことは気にしない、と先日も笑っていた。
有能なビオラをその色にかかわらず登用したザード様は、陛下の幼い頃からの後見人でもある。
――――宰相まで上り詰めておられるザード様が、変わり者の部類に入ることは、間違いないわ。
陛下もビオラも確かに有能だけれど、多数派の意見を聞かずに、自分の信条を貫くというのは、並大抵のことではないと思うの。
……そもそも、十三月の離宮に私を連れてきたのが、証拠だわ。あの時は亡くしたお嬢さんに似ていたからだと仰っていたけれど。
「ソリア様……聞いていらっしゃいますか?」
ラーティスの瞳に映る陛下が、背中を向けてしまって、思わず小さなため息をついた途端、その声は頭上から降ってきた。
たった今、考えていた人の声がしたから驚いて顔を上げると、少し不機嫌なザード様が私を見下ろしていた。
「……ザード様」
「――――陛下の幻獣、まだここにいるのですか」
アテーナは、隠してある。
陛下から、ザード様であろうと見せてはいけないと言われているから。
「……離れてくれないのですが、二月の離宮でのお茶会、どうしましょう」
「そうですね……。陛下はお忙しく、手が離せそうにありません。と言うより、私が逃がしません」
「えっ……」
陛下が忙しすぎる元凶は、目の前のお方なのかもしれない。
そんなことを思って、肩を震わせる。
「……ふむ。きちんと着飾っているではありませんか。お美しいですよ?」
「――――毎日、埋もれそうなほど、ドレスをご用意いただいてますので」
「妃とは、そういうものです」
「……そういうもの」
陛下が、皇帝とはそういうものだ、とよく言うのは、ザード様の影響で間違いなさそうだ。
そんなことを思い、下から恨めしげに見上げる。
「さて、魔力のある者には、この白い豹が普通の生き物ではないとすぐに分かってしまうでしょうから」
「そうですね。だから、部屋にこもっているんです」
そう、ラーティスが私のそばから離れないせいで、私は部屋から出ることも出来ない。
このままでは、お茶会に参加することも出来ない。
「陛下の自室に参りましょう」
「え? どうやって……」
「この十三月の離宮には、皇帝陛下の自室への隠し通路がありますから」
「は……?」
ザード様が、白い手袋をした手で、私の手を引く。
ジャラジャラと手にした鍵の束。
そういえば、庭は畑と果樹園に大改装してもらったけれど、十三月の離宮の広大な内部をまだほとんど探索していない。
「行動力があるわりに、自分の周囲には無頓着ですよね」
「――――そうかもしれません」
どちらかと言えば、一カ所にとどまっている方が得意な私は、本や文献を頼りに状況を把握しようとする傾向がある。
「……人払いしてあります。ついて来てください」
「は、はい……」
大きな部屋の奥、暖炉をくぐり、さらに隠されていた扉の鍵を開けて、途中の頑丈な扉の鍵を何度も開けながら地下へと向かう。
長い長い廊下が続く、今も人が来れば仄かな明かりがともるのは、恐らく高度な技術の魔道具が使われているからなのだろう。
「陛下の自室に繋がるなんて、私に教えてもよいのですか?」
「……あなた様には、正妃になっていただきます。私の野望のために」
「そんなこと、言ってよいのですか?」
「全く期待していなかったのに、陛下の心を掴んでしまったあなた様が悪い。……正妃であればいつでも陛下にお会いできますよ?」
魅力的であり、その先は茨の道なのが間違いない提案。
ザード様は、グレーの瞳を細めて、私を観察しているようだ。
「――――レーウィル王国亡き今、私には、後ろ盾がありません」
王族といっても、周囲から迫害されていた、踊り子の娘。
そうだとしても、やはり祖国があるかないかは、あまりに大きい。
「問題ありません。皇帝陛下、そしてソリア様。二人の後見人は、他ならぬ私なのですから」
「……ザード様」
「それに、大きな後ろ盾がなかったという意味では、私も同じです」
「……え?」
「陛下の母君である、シーラ様。若くしてウェリアム侯爵家を継ぐことになった私は、何かと助けていただきました」
振り返ることもせずに告げられた言葉。
多分、陛下のお母様は、ザード様にとって特別なのではないか、そんな思いがよぎる。
「――――でも、ザード様は、結婚されて娘さんがいらっしゃったのですよね?」
「……私が結婚していると、誰が言いましたか?」
「三歳で亡くした娘さんがいると……」
その言葉を継げた途端、勢いよくザード様は振り返る。
ニヤリと笑った口元は、どこか意地悪げだ。
「ああ、シーラ様が飼っておられ、私が世話をしていた猫のことですか……。真っ白ですみれ色の瞳をした、珍しい猫でした」
「…………」
「……はは、勘違いしておられたのですね?」
「……人ですらなかった」
「ええ、真っ白なあれは、猫ですらなかったかもしれません」
「え?」
握った手の力が、少し強くなる。
どこまでも続く廊下、人に知られずにこんなにも長い通路を作るには、並々ならぬ労力が必要だったに違いない。
そんなことを思いつつ、無言になってしまったザード様の後ろを大人しくついていく。
「……十三月の離宮には、かつてカイル陛下の生母、シーラ様が暮らしておられました」
「……陛下も、ここで育ったと仰っていました」
「ええ。この場所は、唯一皇帝陛下の自室と直接繋がりがある宮です」
「特別な、場所なのですね」
猫に似ているという理由で、私をこの宮に置いたザード様は、やはり変わっているに違いない。
「陛下にすら、今日まで秘密にしていましたが」
「ええ……っ!?」
やはりザード様は、意地が悪いに違いない。そして変わり者だ。
手を引かれながら、どこまでも続く通路を進みつつ、私はそう結論づけたのだった。
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